新潟県中越地震

2008.02.18

中越地震と川口町

 先日長岡の実家に帰省したときのこと。
 映画『マリと子犬の物語』がものすごい勢いで観られている、と聞いた。近所のニイちゃんが呼んでくれるので一緒に飲んでいたのだが、奥様「ありゃーあたしが飲まんけば、23時に始まる回連れて行けたがんに」。「全国紙でも取り上げられてたよね。今期大穴で全国でも一番の評判だって」「子役がじょうずでねえ」。
 テレビでもドキュメンタリータッチの特番があるな、と確認していたのだが、見逃した(…そう、この晩飲んだせいだったような気がする)。
 正確なところはほかで調べてほしいが、自分の適当な記憶では、元は絵本で、Yahoo!動画でCG紙芝居風の短編アニメーションを観た。

 ニイちゃんの家のオバちゃんは、震災で亡くなっている。
 小さな頃からずっと、本当に、ことばに尽くせないくらい世話になった。葬式にはなんとしても行きたかった。震災直後でまだ新幹線も復旧していない。新潟空港経由でなんとか長岡入りした。ニイちゃんはあの余震が続く中でよく葬式が出せたと振り返る。
 もちろん『マリと子犬の物語』を観れば、当時のことを思い出す。

 ただ、ご夫妻仰る。「山古志ばっか採り上げられてもねえ」「川口のことはニュースにならないよね」。
 震源地は、川口町だった。同じ被災者として、かわいそうだと。
 山古志村は長岡市への合併が決まっていた後に地震が起きた。川口町は小千谷市や長岡市とは合併しない判断をしていた。

Wikipedia「川口町 - 市町村合併」の項

前町長の施政時には、川口町は隣接自治体と合併せず自立の道を進む方針を定めていた。2003年には小千谷市との合併案が出たものの町議会で否決されている。公共施設の整備や福祉の充実など公共事業に注力していたが、2004年の新潟県中越地震では町内各地に甚大な被害が発生し、その復興のために多くの予算が回されることとなった。この中越地震の影響で町の財政が逼迫。これ以上の独自立町は困難と判断し、周辺の市と合併を模索することとなった。

2006年初頭から合併先候補として長岡市、小千谷市、魚沼市の3市が挙がり、住民意向調査では長岡市への合併を望む声が半数以上を占めた。同年9月に行われた定例議会で長岡市への合併申し入れが決定し、2008年度中の合併に向けて準備が進められることとなった。尚、長岡市とは境界を接していないため、仮に合併が実現した場合は飛地合併となる。

 ???
 川口町の昨秋の住民意向調査の話は知っていたが、長岡市は受け入れる展開になっているのだろうか。

asahi.com「財政改革進める川口町」
関貴志のホームページ:「川口町との合併問題」の取り扱い

 どうも、長岡側はまだ決めていない様子(でいいのかな?)。

 ほかにざっと参照したページ。
広報かわぐち特別号 市町村合併特集号
 図書館がある!どうなっちゃったんだろう。サイト内検索では図書館条例はあるが。
がんばれ越後・川口町

 ↓合併投票に批判的な記事、いくつか。
まだ ふみもみず:新潟県川口町 無意味な住民投票などやめろ
蛍の深い杜の平凡な日々:川口町の住民投票 

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.12.29

ある図書館員の回想

図書館員の愛弟子:min2-flyさんへ(コメントにしては長くなったので)

 min2-flyさま、迅速な対応ありがとうございました。
 早すぎて、いいのかな~と思いもします。
 でも、ありがとうございました。

 以下、MIZUKIさん言うところの「何だかだらだら書きの思い出話」。

 私が急いだのは、私の年末年始の家庭の事情もありますが、min2-flyさんの論文の〆切が心配だからです。勝手な心配。
 自分も忙しいし(公私ともに滅茶苦茶な一年だった―ほんと、休みに入ってやっと自分が取り戻せた気がします)、放っておいてもよかったのです。未だにリンクはフリーです、「未だに」とか言わずとも当たり前のことですから。こちらからbk1やあちこちにトラックバック打ってますし、古い記事にトラックバックいただくと嬉しかったりします。
 でも、いまmin2-flyさんの労作を放っておいて、年明け以降また無茶な日常に復帰してから「やっぱ煩わしいわ」とかmin2-flyさんに言い出したら (今回ドイツ人が読むだけじゃなくて、日本でカレントアウェアネスの記事になってるってのが痛い)。それこそ、そちらが「煩わしい」でしょう。
 「リンクは自由です!」と無視するくらいの度胸をおもちだったら、いいんですけど(笑)。

 「日本の図書館系ブログの概況・歴史」かあ。肩に力を入れたら大変なことになってしまいそう(今回はみなさんの協力もあって、充分ですね)。
 私が報告する立場なら、発信者の側の都合も考慮しつつも、なんらかの記述を入れておいた方がよいと判断したなら、そのブログについての記述を入れるでしょう。迷うだろうし、表現には慎重を期すと思いますけれど。
 私のブログに多少のインパクトがあるとすれば、船橋市西図書館判決の頃ですが、これはもう過去のものとなりつつあります(一番消してしまいたい記述が多いところでもあります)。だからって刊行されている評釈類に納得いっているわけでもないんですけどね、これはまた別の話。

 全然違う、だけどちょっとは繋がっている話を紹介します。
 どう繋がるかってえと、日本のブログと新潟県中越地震は関係あるってこと。
 自分がPCやネットから離れていたのにまた戻ってきてしまったのは、中越地震のせいですね。
 ウチが始めたのが2004.8.28。地震が2004.10.23。

 友人の修士論文の素材は、阪神大震災のときの、ニフティサーブのログでした。
 当時のニフティのフォーラムは、ツリー型の表示ができたので、トピックごとに分岐させていくことができました。管理人もいた。
 これを情報学的観点から、現実に起こっている課題-提案-解決(報告)という情報処理過程において「フォーラムの形式」が媒体としてどう機能したか、を分析したのです。
 自分も阪神大震災のとき、図書館の動きをリアルタイムで(バーチャルながら)読んでいました。
 まさかその後、自分の郷里が地震に遭うとは思ってもみなかった。
 ブログとWikiがきわめて効果を発揮した初めての局面だったと思います。リアルタイムで、今度は実家の家族を心配する当事者として、情報に飢えていました。図書館系に限定されることではありませんでしたが、図書館系ブログにも影響はあったと思います。新潟中越地震:sl-shockの学校図書館ボランティアとか。

 そのひとつ。
 ココログにカテゴリという主題を示す統制語がありますが(タグクラウド全盛の現時点で有効かは不明)、同じ語を使うユーザーの人数が一定程度揃うと公けになるんですね(スタートレックなんか共通の統制語を使うために調整したそうです)。
 中越地震の統制語を決まったことを報ずる記事が2004.11.27。
 図書館員の愛弟子:ユーザーカテゴリ「新潟県中越地震」
 参考:むいむい星人の寝言:新潟県中越地震カテゴリできました
 その後、このユーザーカテゴリを使ってココログの中で「図書館」を使いましょう、と知り合いに呼びかけたときの記事が2005.3.1。
 図書館員の愛弟子:ココフラッシュをサイドバーに
 参考:読書日記:情報センターの時代

 ココログ内だけの話ですが、ココログで「図書館」をカテゴリ指定できるようになったのは以上の経緯があります。
 hatenaでもまた、別にいろいろあるんじゃないでしょうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.11.04

山古志の闘牛、八海山の一升瓶

 所用ありて、11/3は実家。朝から晩まで作業。行くときも帰るときも、新幹線に飛び乗った。帰ってきたら23時。それからまだ後始末がまだ続いて…まだ終わってない。あーでもがんばんなきゃ。
 ここのブログにも折に触れ「余裕がない」と書いているけれど、先月からそして今月も、週末は自分だけでなんとかできるようなものではない予定がなにやかやと入っている。日中にきちんと仕事するためにも、平日に消耗しないように気をつけていかないと。今日は疲れ切って出勤、さすがに残業できなくてまっすぐ帰宅。
 でも、いまも疲れてるけれど書いておいてしまいたい記事がある。

 11/3の昼過ぎ。ほんとにおひさしぶり、伯父さん伯母さんが従兄の運転する車に乗ってやってきた。従兄は子どもを連れてきていて、ウチと同じ3歳。しかしほんとに彼とはひさしぶりだったなあ。伯母さん、越後風しょうゆ赤飯をもってきてくれた。従兄の誕生日だから毎年作ってるんだとか。

 で。長岡に何をしに来たかというと。
 山古志の闘牛の千秋楽が11/3で、観に来たんだそうだ。伯母さんが大ファンで、自分は山古志の闘牛は彼女に連れられて一度だけ観に行ったことがある。地震直前の秋、近しい親戚だけで近所の温泉に行ったときも、旅館の出口に闘牛のポスターが貼られていて、また観に行くぞと思ったものだった。それがまさかこんなことになろうとは。
 伯母が闘牛の千秋楽に行くと聞いて、くやしくてくやしくてならなかった。山古志は長岡市にもなったのに!いろいろ大変なことの結果だけれど、最近は長岡の郊外で闘牛をやってくれるのに!
 そんなに長い時間じゃないから行こうよと誘われたが、ほんとに時間がなかった…。

 伯母は、おしゃべりが大好きだ。明るい伯母によく元気をもらった。
 玄関先で、山古志への思いをまくしたてた。今回も元気をもらった。
 「おら、山古志のショに元気もらってくるんだて!山古志のショは元気らよ〜アッハッハ」。
 大手高校に避難していたときも知り合いの様子を見に行って、かえって元気をもらってきたと言っていた。
 千秋楽に出る「ミノル」が贔屓だという。「牛の名前?」「イヤ、飼い主もおんなじ名前なんだて」。
 車の後部ドアから出てきたのは一升瓶。八海山の本醸造。
 「牛の身体にぜーんぶかけてやるんだよ!そーいや、あんたの分ももってきてやればよかったねえ」。
 伯父伯母は八海山の麓に住んでいる。「八海山」はほんとに地元のお酒。ときどきいただいたことがある。さすがに今回は酒はもって帰るどころではなかったが。

 いかめしいことを言えば、たぶん山古志の闘牛は、「神事」なんだろう。
 だけど、活き活きとしている。今でも活きている、大事な「みんなの文化」ハレの催事なのだということが、山古志の大ファンだという明るい伯母の来訪で、再認識できたような気がした。
 酒も、こうでなくっちゃ。ちんまりとかしこまって飲むだけが酒じゃない。闘う牛にかけてこそ、「地酒」の名にしおう。
 ああ、ほんと行きたかったよ〜。

 たけぱんださん、山古志のみなさん。「わかってない!」と怒られちゃうかもしれないけど、こんな山古志ファンもいるってことで。エピソードのひとつとして聞き置いてください。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.11.01

たけぱんださん、そして私も新潟県中越地震を振り返る

 山古志出身のたけぱんださんの「たけぱんだな日々」が、一年前を回顧する記事を連載している。
 以前「落ち着いたらまとめるつもり」と書いておられた気がする。それに対応するシリーズだろう。
 たけぱんださん自身は既に故郷を離れて職を得ておられ、地震そのものが落ち着いた頃には、多忙でよくブログの更新がとまったり、仕事で死にそうな様子が推測される記事が出たりしていた。

 地震発生時は山古志を離れていたたけぱんださんだったが、被災地にいる家族を心配しての、地震直後からの動向、心情は自分にも共感するところが多かった。行動力はかなわないけれど。
 心配は心配、自分の実家はそれなりに大丈夫だったけれど、周知のとおり山古志は大変。何度か避難先や現地の様子を報告されるたびに、現地発の生の情報を読ませていただいた。
 印象に残っているのは、たけぱんださんがボランティアと協力しながら、クリスマスケーキをプレゼントするイベントを早期に始動させ、成功させたこと。自分はブログを拝見させていただいて、「ケーキどこがいいでしょっかねー」「やはりボン・オーハシでしょう」なんてコメントを書いたことくらいしかできなかったけれど(でも、様子を探りにボン・オーハシに電話してみたりしたんですよ〜。昔の「たけぱんだな日々」に残ってんじゃないかな)。

 改めて、今回の連載を読んで、あの一刻一刻の生々しさを思い出している。
 実家のごくごくご近所に、地震が原因で亡くなったオバチャンがいる。親戚以上の付き合いをしてきた、半ば親代わりでもあった方だった。長岡花火をそのご家族と一緒に観て、壮大さで胸がいっぱいになると同時に裏腹に「ああ、オバチャンともう一緒に見れないんだなあ」となんだか自然と涙が出た。
 地震だけではないが、今年は頻繁に実家に帰った。でも地震のせいもあるんだろう。実家がなんとなく心配で様子を見てきたかったり、地震があったからこそ、両親が健在なうちに長岡の自然と、子ども、新しい家族との付き合いをさせたかったんだな。
 子どもにとっては初めての雪体験、かまくら。春、桜がまだ残る悠久山に家族揃っての花見。そして花火…。

 自分の実家はもう落ち着いているが、帰るたび、そこここに残る傷痕を見ないことはない。
 いつも、ご近所の"兄ちゃん"と正月に詣でていた高龍神社もどうなっているやら。
 それこそ、山古志の春はまだ遠いのかもしれない。応援しています。

 そう、更新停止になった「きょうもつんどく中ココログ版」も読み返すいい機会だと思っています。
 図書館業界のみなさま、右サイドバーのリンクからぜひどうぞ。作者のかんちゃんがもてあまし気味なようなので今のうちです。あのブログとの"出会い"がなければ、このブログの"いま"もなかったなあ。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.10.18

おもむろに中越地震直後の三日間を振り返る

 10/17の記事へのkawさんのコメントに触発されて、一年前のことが思い出されてきました…。10/19に書いています。

 こちらの一家が風邪でやられてしまって、母が救援に。土曜日の日中こちらに来て、揺れたのは夕食どきでした。
 県内の親戚から電話で即第一報。自分は情報収集を始め(ネット大活躍)、日曜はてんてこまい。月曜朝に新潟空港行の臨時航空便で母を送り出しました。
 その頃実家。水道はちょろちょろ、ガスと電気が止まっていました。冷蔵庫とガステーブル(電子レンジと炊飯器も)、お風呂と洗濯機が使えない、ということです。
 家の中は家具がひっくりかえっています。余震が怖いので(倒壊の可能性もある)、必要物資(毛布)を自動車内に運んで過ごしていたとのこと。

 ところが、遠くから心配していた割には、父は元気だったそうです。近所の方に言わせると意気軒昂。
 家事・洗濯は、母が実家を後にする前にすませて、食べるものも用意してきたし。ガスコンロも鍋を昔よくやりましたから、あります。
 その上、父が電気いじりをやるんですね。ガソリンさえ調達してくれば、車のバッテリーから、変圧器を使って(よくそんなもんもってる…)、煌々と灯りを点けていたそうです。電気の切れた冷蔵庫の中を確認、冷蔵が効かない肉を使って、庭でスキヤキをやったとか。

 その頃、東北電力が即行動開始。号令一下、福島と山形経由で自力でルートを探して、長岡に到達。一日で信濃川の河川敷に巨大な仮設基地を設営!ほかの商品も三日後には普通に店頭に並びました。民間の、生活を支えんとする物流の使命感はものすごい。ガスボンベもガソリンもほどなく並ばずに買えるようになりましたもの。
 わが実家の場合、一週間ほどで水道、最後はガスで半月ほどかかったかと思います。電気は確かにすごい。繋げば通じちゃうんだから。父が電柱の作業員さんに伺うと、東北一帯から呼集されてきたそうです。

 ところで、電話ですが。
 実のところ、ずっと電話線自体は切れてませんでした。コールが成功してもつながらなかったのは、父が車内にいたからで、屋内の電話が鳴っても気がつかなかったんですね。
 NTTが県外からの抑制をしていたくらいで、県内の親戚同士は比較的つながりやすく、実家−親戚−関東の自分と連絡を取っていました。
 そのうち、実家に普段あまり使っていないPHSがあることに気がついて。日曜の段階で母にもたせる救援物資に、バッテリか車内のシガーソケットから取れる充電器を用意しようかと思いましたが、変圧器の話が間に合い充電問題は解決。PHSでコール→屋内電話の連絡態勢を確立しました。
 当人は、せっかく変圧器で交流電源が生成できるのに、充電器を探し出してくるのを忘れていたそうです。まったく、情報がライフラインだということを現地の人間はわかってくれなくて…。

 しかしこれも、DDIポケットだったからよかった。ほかの携帯電話サービスよりも、たまたま安定していたんです。なんとvodafoneは、基地局に予備電源の確保がなかったために、まったく使えなくなっていました。
 そしてもちろん、わが実家の屋内電話が電気不要のダイヤル回線だったということがあります。

 連絡態勢の確立に、実家に携帯メールを提案したのですが、これは蹴られましたね。「まだ余震の緊張が続いているときに新しいことを覚えている余裕がない」。
 ライフラインとしての情報交換の態勢を確立する上で、電話をどのように組み入れるかですが、「携帯電話だから大丈夫」なんていうことは言えません。大事なのは、連絡態勢の複線化・バッテリ供給も含めた組み立てでしょう。
 以前は、slim60のメーカー「ベイサン」に非常用電源があったんだけど、携帯PC用バッテリしか扱わなくなってしまっていた。非常用に買ってもいいかなと思っていたんだけどな。
 まあとにかく、「ひかり電話」を導入するお宅もいろいろ考えた方がいいんじゃないかな、ということで。

【10.20.おう一番大事なことを】
 それでも、「風雪をしのいで眠れるところ」が安泰だったから、こんな安楽なこと書いていられると思うのね。
 各地の天災被害のニュース、水害の床上浸水とか、ハリケーンの集団避難とか、避難所生活も見てると冗談じゃなく心が痛みます。だって、生活の基盤が確保されていないわけで。自分だったら、疲れ切ってしまうと思う…。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.25

小千谷に行って来ました。

 週末、長岡の実家に帰省。再び、子どもと親一人での旅程でした(前回の記事はこちら)。家人が土日出勤のため、孫にベタ惚れの母に子どもの世話を頼む悪い親です。
 子どもは「Maxとき号でおばあちゃんちに行ける」ことと「(絵本に出てくる)駅弁が食べられる」ことが楽しみだったようですが、車内でひとりで付き合う親の方は昼寝もしてくれないので、少々げっそり。
 しかし二人で新幹線窓外を見ていて、越後湯沢で軽い視覚的衝撃。またもや「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」。白主体のモノトーンの視野に、斜めに降る雪。長岡に着いてみると、晴れていたのですけれどね。
 着いてすぐに、雪遊び。先の記事にも書いたご近所のお兄ちゃん作成のかまくらが大きくなっていました。あとで人が集まるというので、床を深く広くする作業を手伝って、自分でも「ひとンちの雪掘り」楽しんでいました。
 たぶん、今週の気温と雨で溶けてしまったでしょうから、雪遊びをするにはちょうど最後の、いい機会だったと思います。

 翌日曜の午後には諸々理由があって一泊で帰宅する予定だったので、その午前中に父に頼んで小千谷に車を出してもらいました。父はついでに震源地の川口方面も行こうと言って出ました。
 地震以来、初めての小千谷行きです。
 実は小千谷は、自分が幼年時代を過ごした街です。はっきり書けば、両親が共働きだったために生後ご近所のおばあちゃんに預かってもらい、慈眼寺の隣の小千谷幼稚園に通い、市の総合体育館の隣の小千谷小学校に入ってから引越、転校しました。長岡に母の実家があったものですから、自分の「おばあちゃんち」に行くときは、あの崩落があった妙見堰のトンネルを通過する内側からの映像は当たり前のことのように視覚に焼き付いています。
 今回は、報道やネットでしか知らないあの小千谷を自分の目で見てみたかった。地震以来どころか、小千谷には中学に上がってからは訪れたことがありませんでしたから、もちろん変わったところがたくさんあるのは当然です。でも、変わらないところもたくさんあるようでした。それが、どうなっているのか…。

 幼稚園にまず行きました。幼稚園はなんと卒園式当日。なんだかラッキー。玄関から覗いた幼稚園のホールは覚えていたとおりで、正面の舞台では大昔なにかやった覚えもあります。園歌は覚えていなかったけれど、各クラスへ向かう廊下への入口に掲げられた園歌の額はそのままでした。
 隣の慈眼寺は雪で埋まっていましたが、ちょうど復興チャリティーイベントをやっていたので少しだけ寄付。時間とかちゃんと知っていればプロジェクトのシールも買ってきたんですが、正式な時間よりも早かったみたいです。
 そこから歩いていける市の総合体育館、隣の小学校に。小学校前には、引越直前の休みの日に、いじめっ子だったけれど仲は悪くなかった幼稚園の同級生と最後のお別れをした懐かしい記憶もあります。
 近くにあった小千谷市立図書館は休館日でした。

 魚沼神社を経由して、昔の住宅のあったところに。
 幼なじみの家に「30年前に○○ちゃんと遊んでいた者ですけど…」と顔を出したら、おばちゃんが覚えていてくれて、ひとしきりおしゃべり。
 隣の敷地が空き地になっていて1メートルほどの高さの積雪。その一画を指して、「地震のあと秋に新潟へ引っ越してしまいましたて」。この辺からだんだん、これまで知らなかった、雪の下に隠された地震の爪跡を目の当たりにしていくことになります。

 それから商店街、小千谷駅前を通り過ぎて震源地・川口へ。駅前くらいまではブルーシートの見えるよく知るような被災地でしたが、さらに上の集落へ。
 好天に恵まれて、魚沼三山がすばらしい光景でした。越後三山の名の方が知られていますね、(越後)駒ヶ岳、中ノ岳、そして八海山です。高校時代は登山部でしたから嬉しかったですよ。ああ、この風景を愛しているぞって心から思いました。
 子ども心に「小学校の校歌でいうほど小千谷から八海山って見えるのかなあ」と思っていたものでしたが、これならと納得しました(長岡からも見えるということも今回知った…恥)。
 しかし、美しい山々の遠景の手前、近景には、5メートルの積雪の下に崩壊した家屋があることは明白。白い雪は何もかにも隠してしまいます。本当に、心が痛みました。行く前から心が騒いだので、小千谷駅前で父に「なんで川口に行くのさ」と言っていたくらいでした。いまは雪の下にあってどうにも手が着けられませんが、雪解けとともに顕わになり、地滑りなどの二次災害が起こることは目に見えています。暗い気持ちになりました。

 センバ漬けを酒の肴にほしいと思ったので、小千谷駅前に戻り、土産物屋さんに寄ってずいぶん味噌漬けだの買い込んできました。センバ漬けは入手できず。工場のいくつかは壊滅しているとも聞きました。
 ちなみにここで購入した酒饅は最高にうまかったです。「しおり」から書き出しておきます。

 「酒饅頭ほくほく」菓子処さかたや(三島郡寺泊町)製造。
 北越北線開通記念に、「上善如水」と餡は県内産サツマイモ「ベニアズマ」を使用。

 酒を使った土産菓子でここまでうまいのは初めて。上善如水も酒そのものは酷評しか与えられないんだけど、これならいいです。
 自宅に帰宅してみると、土日出勤だった家人が高熱。というわけで、せっかく肴を買ってきたのに酒はお預け、今週はしばらく子どもの面倒を見ることになったという次第です。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.01.27

長岡みやげ、あれこれ

 先週末、急遽所用で長岡に帰った。その備忘。
 主に帰りの土産の話。

 朝日酒造の純米大吟醸「呼友」を一本買う。
 長岡駅構内の酒屋は、以前伺ったところでは、有名どころの酒をあえて置いていないという。駅正面にあたる西口近辺に3、4軒ある酒屋は、それぞれ個性がありどの店も力の入れ方が違っている。一軒が朝日酒造の酒を扱っているので、地震からしばらく経っているいま、入荷の様子を見てみようと思い寄ってみた。
 「久保田」は、店頭には生酒の「翆寿」だけしかなかった(千寿はもちろんあったけど)。碧寿や万寿は出荷シーズンが違うのだろうか?新幹線出発時刻まで時間がなく急いでいたので、訊きそびれてしまった。新潟の酒のうち、久保田のことばかり気にしているように思われるのが嫌だったのもある(自分の個人的思い入れについて書いた過去記事はこちらこちら)。
 それから最近余裕のある帰省がないせいか、今回初めて気がついたこと。朝日山の「越州」もなんだかいまはいろんな冠が付いているのですね。最初は「越州朝日山」の名前で、種類があっただけ、だったはずだけど…。ちゃんと観察してなかったなあ。ちなみに呼友も乎友だと思っていたが、「呼ぶ」だった。最初に出たときに、「ヘエこれで「友乎(よ)びて飲む酒」と読むんだ」と話した記憶は間違いだったか。
 また自宅に眠らせておくのもと思案したが、呼友は、最近自宅で飲んでない、入手の機会もあまりないかろうと、やはり(つい)買うことにし(まっ)た。
 いつもの価格のようだったので、レジで「やっぱり値段上がってますかねぇ」とボソと聞いてみたら、「箱付だと箱代100円かかりますからね」と普通の顔をして返ってきた。瓶そのままのものと並んでいたので、贈答品に使う可能性も考慮して箱入をつい選んでもっていったのだが、そりゃ箱代分は高いよな。「久保田会」は地震だからと言って高くはしないらしい。大変な時勢、高く売ってもいいのになあ、とも思ったが、ここは地元である。企業努力なのだろう。それとも、本当に大丈夫、なのか。店員さんもなんだか当たり前の顔していたし。
 しかし気になるのはこの冬仕込んだ酒の味だ。帰省中にご近所の奥さんが「朝日酒造の酒粕、出てたから買ってあるよ。やっぱり味落ちてる。…吉乃川よりンまいけどね(笑)」。今回入手した呼友は、いつ仕込んだものだろうか。あとでラベルを見てみよう。

 出発時刻まで間がないのに、ほかに気になっていた土産を。改札前のNEWDAYSは土産ばかりで、コンビニじゃないみたい。
 「五十六カレー」。
 「横須賀海軍カレー」のヒットでご当地カレーブームにあやかったレトルトカレーだ。長岡は山本五十六の出身地。新潟名産マイタケ入り、だそうだ。
 帰宅して気がついたが、ビニール袋まで黄色い、五十六カレー専用のものだった。

【五十六カレー関連リンク】
AllAboutJapan:越後長岡の『五十六カレー』
長岡新聞:地域おこしの「五十六カレー」
常陽新聞ニュース:土浦市が「食のまちづくり」-山本五十六ゆかりの激辛カレー開発-
ご当地カレーあれこれ
NIKKEI NET:「五十六カレー」の名物シェフがフランス料理店を開店

 土曜は、関東地方は快晴。トンネルを抜けて新潟に入ると、白いモノトーンの世界。別世界だった。頭ではわかっているから防寒装備は万端にしてきたのだが、それでも、感覚が忘れている。
 新幹線が長岡駅に入る直前、仮設住宅を高架上から見た。寒さと舞い散る雪に、小さくなっているように見えてならなかった。
 実家近辺を歩いてみて、まさに長岡の冬。道路は消雪パイプの散水、除雪車が雪をのけたあとで端は山になっている。長靴で音を立てて雪を踏みしめる喜びは、内から湧き出てくるようだったけれども(われながら子どもみたいだと思う)、いま地震のあとに生活する立場ではどうなのだろう。建物や風景が当たり前の長岡でも、いつもの冬、なのだろうか。
 日曜に帰ってみると、関東も雪でしたけどね。
 新幹線ではぐっすり眠ってしまったので、いつの間にか大宮。行きはガラガラだったのに、越後湯沢からスノーボーダーやスキーヤーでいっぱいになったのも夢うつつ。慌てて発車間際に買った駅弁をかっこんだ。「がんばろう新潟」とシールの貼られた、「山古志牛焼肉弁当」。つい「山古志」につられてしまったのだが、しまった、これなら牛丼屋で食べた方が安上がりだったなあと思ったのも、あとの祭りだった。

【公開前に追記】
 乗車まで時間がないのに、職場用にボン・オーハシの土産菓子「銘菓・山本五十六元帥」(笑)も買って帰ったのだった。
 職場であけてみたら、おや懐かしいことば。菓子の「能書き」を記す。

ヤマトの勇姿を形にした
フィナンシェに、山本元帥が好んだ
パパイヤとマンゴーの2つの味が今、
お土産としてよみがえります。
 "シテミセテ、
 言ッテ聴カセテ
 サセテミテ、
 誉メテヤラネバ
 人ハ育タジ"   は、
山本元帥が残した
人材育成のための名言として
現在も受け継がれています。

 五十六ばんざーいという人間ではないのだが、なんか今回はカレーも買っちゃったり。
 でも、このことばは、上に立つ者は自覚してほしいなあと思うこと、よくありますよ。

| | Comments (3) | TrackBack (2)

2005.01.25

ブログを保存するには

 かんちゃんの地震日記「きょうもつんどく中ココログ版」が更新停止になったため、Web巡回・保存ソフトを急遽試す。

 更新停止について雑感。
 生活感溢れる文章を楽しみにしていたので残念。雪が本格的に降ってきて、雪国の生活はこれからというところだったから、現地発の報告には地震の影響もまた見え隠れして貴重だと思っていたのだけれど…。体調を圧して無理に更新している様子も心配だったり、かんちゃんさん自身が行き詰まりを感じていたようなので、納得づくの上ならばいい区切りだったのかなとも(個人的には無理矢理)考えています。
 なお、読書日記日々記さんところに関連記事あり。

 突然の展開だったので、閉鎖も想定、記録としての保存を危惧して上記。
 このブログを始めたのも、「自分にとっては大事なサイトがどんどん閉鎖されていくから備忘のため」。Web巡回・保存ソフトはいつか思い出さなければならないことだったので、いい機会でした。ひさしぶりに複数試してみたところ、決定的なものはなし。
 暫定的に「波乗野郎(PerManSurfer3)」というフリーソフトを少し工夫して使っています。Win版、Mac版とあって嬉しい。ローカルでリンクを全部張り直してくれるので、ことブログではほんとに便利です。
 というか、無知なのも恥ずかしいですけれども、ブログも普通にホームページ巡回ソフトできれいに保存できたのは驚き。最初はココログ巡回ソフトで探し始めて、定番のCMNというソフトに当たったんですが、これだと各記事のテキストしか読めないみたいだったんで。ブログはWeb巡回・保存ソフトには負担なようですが、波乗野郎はまるごとローカルに落としてくれるので、自分はよかったです。

 世紀が変わってからでしょうか、ホームページの充実度ってすごいですよね。国の施策でWeb情報資源の保存プロジェクトが動き出すわけだ。資料性が高いページ多いですもん。
 だから、「仮面ライダーアギト」テレビ朝日版ホームページがなくなっていたことはショックだった…。

| | Comments (3) | TrackBack (1)

2005.01.15

文化財としての慈眼寺の復興は

戊辰戦争ゆかりの寺被災、修復へ“官軍”に支援要請

 新潟県中越地震で、北越戊辰(ぼしん)戦争回避のための講和会談が開かれた小千谷市の慈眼寺(じげんじ)が損壊し、修復に向けて市民有志が戦争ゆかりの自治体に支援の呼びかけを始めた。
 地元・長岡藩とかつて戦った官軍側の鹿児島や山口県などの首長に協力を求め、募金も募ることにしている。
 活動を始めたのは、「小千谷北越戊辰史跡復興支援の会」(野沢金一郎会長)。檀家(だんか)の多くが被災して寺の再建に手が回らないことから、地元の会社員や医師らが先月、結成した。戦争とゆかりある地域の首長らにさっそく支援を求める文書を送った。
 寺は、長岡藩家老の河井継之助と新政府軍の軍監岩村精一郎が会談した「会見の間」の土壁が崩れ落ちたまま。築250年の本堂も大きく傾き、柱と梁(はり)を太いワイヤで固定して倒壊を防いでいる。
 4、5000万円以上の修復費用が見込まれる。檀家の理容業男性(57)は「お寺を修復したいのはやまやまだが、家と店がつぶれ、それどころではない」と嘆く。
 発起人の1人で会の事務局長を務める広井一さん(65)は「市全体が被災し、文化財の修復まではなかなか手が回らないが、市の名所だけに早く復興させたい」と話している。
 寺副住職の船岡芳英さん(50)は「寺や檀家だけでは再建は難しい。支援の申し出はありがたい」と喜んでいる。

 ◆北越戊辰戦争=明治初期の戊辰戦争で、長岡藩周辺地域で行われた一連の戦闘。
 新政府軍と長岡藩の講和会談は決裂して戦争に突入し、長岡城は落城した。
 以後、戦いの舞台は東北の会津戦争に移った。

 小千谷市の慈眼寺の被害の様子については、Web上でも写真を見たりしている。
 「正面から見ても傾きがわかる」という本堂玄関の写真を見ると、「ああ、ここは幼い頃の記憶に鮮明に焼きついている光景だ…」という思いとともに、温かみのある木と石の構えが歪んでいるさまに泣きたくなる。
 慈眼寺はじめ越後での戊辰戦争の歴史は「蒼龍窟がゆく!」をときどき参照している。自分が以前目にした写真はその掲示板の12/6の発言。慈眼寺のページ内にも被災の写真のページがあり、目を覆わんばかりの状態だ。
 慈眼寺のホームページ小千谷幼稚園のホームページ

 機会あって、中越地震の現地へ派遣された公的調査の報告会に参加聴講してきた。現場に密着した冷静な調査報告であったので、地域のためになるだろうと嬉しかった。知られない、伝わらない、ということが一番困ることだから。
 しかし、質疑。「地域で重要な文化財の修復・保存についての動きは」という問いに、やはり「今回の調査では手が回らなかった」「現場でもそういう話は出なかった」という。戦争を含む災害時の文化財の保存修復活動は徐々に認知されて始めているだけに、残念だった。
 慈眼寺や、長岡の史跡は、どうなってしまうのだろう。

 上記慈眼寺についての記事は、YOMIURI ON-LINEからクリップした(慈眼寺のページ内にも新聞報道の一覧がある)。
 あれだけの史跡であっても、国の助成には動きがないのだろうか…と暗澹とした気持ちになった。
 チャリティを新潟市でやったという話がときどき報道されるが、新潟市民に寄付を求めても効果ないよな、もっと東京とかで集めた方が効果的なのに…と思う。
 もちろん、自分たちから「これ、大事だからなんとかしてはもらえまいか」と動くことが大切だろうが、こんな未曾有の災害時であっても、その資金や手配を自分たち(=新潟県民)で全部まかなわなくてはならないのか。かつての官軍側に支援を請うたことに嫌な思いをしているわけでは、もちろんない。支援いただけるのであれば、給水車等と同様にありがたく思う。しかし政府が動くのではなく、自治体相互の支援という文脈によくわからない思いを抱えて書いている。
 政府(ここでは国)の再配分の機能は、こんなときでも文化財には及ばないのかなあ。慈眼寺がどのレベルの文化財に指定されているかにもよるのだろうが…。「市指定文化財」じゃ、まったくダメなのか。

 こんなんじゃ、図書館なんて、「当然ダメ」じゃん。

| | Comments (5) | TrackBack (2)

2005.01.14

学校図書館における災害ボランティア

新潟中越地震:sl-shockの学校図書館ボランティア: 活動案内

sl-shockの案内チラシ

私たちの活動を紹介したり、募金についてお願いするときに使える“案内チラシ”を作成しました。必要に応じてダウンロード、印刷してお使い下さい。
sl-shockの活動案内

 ここのブログでもリンクさせていただいている、かんちゃんの「きょうもつんどく中ココログ版」経由で、学校図書館でのボランティア活動を知った。
 きちんと知ってから紹介したいと思っていたけれども、どんどん状況は進んでいるようだし、ここを訪れる人に少しでも話題が提供できればと中途半端でも採り上げさせていただこうかと思う。自分でsl-shockに入ってないせいか、活動がわかりにくいため勝手に整理させてもらいたいこともあって(ありゃ、先方はトラックバック受け付けてないや)。個人的な思い入れはこの記事後半を参照ください。
 自分の知るところはweb上での情報しかなく、「リンク先をご覧ください」「ぜひご寄付を」と書くくらいしかしないタイマンヤローだ。実際にボランティアで頑張っておられるみなさん、ごめんなさい。

活動自体の母体学校図書館メーリングリスト:sl-shock

 リンク先はYahoo!Groupsのメーリングリストのホームページです。ブログのプロフィールからも跳べます。MLの月別投稿件数を見ていると、割と活発な印象。

ボランティア活動の概要は…

 ブログのプロフィールのほか、上記引用記事のチラシ。Wordファイルです。
 ブログ本体は「活動記録」となっている。
 が、活動概要がどこにあるのかわかりにくい…。
 ブログの最下層、11/19,11/20(その1その2)の記事でいいのかな?
 左サイドバーのカテゴリーにある、「ボランティア募集」「募金収支報告」に目を通しても状況がわかるか。このカテゴリーを時系列順に読み直すとわかりやすいですね。

「きょうもつんどく中ココログ版」での紹介記事
※Googleでサイト内を「sl-shock」で検索かけただけですが、かんちゃんの説明はわかりやすいと思いましたので。

 ・新潟中越地震23日目1
 ・新潟中越地震29日目1
 ・新潟中越地震34日目
 ・新潟中越地震58日目




 あと、以下は私の勝手な気持ち。

 このたびの新潟県中越地震で「図書館に何ができるか」という問いかけがある。
 でも自分の中で、図書館の力で何ができるのか、できないのではないか。無理しないでまずは自分の生活から…などという気持ちにとらわれる。現場にいないだけに、勝手な思いこみかもしれない。

 雪国の、寒さというより、実際に始まった降雪の厳しさ。自身の経験を思い返すに、被災された状況での冬を考えてしまうのである。湿った空気の中での、しもやけ、とかね…。
 消雪パイプ発祥の地、雪混じりの冷水が流れる道路が当たり前の長岡では、自分はダサかろうがなんだろうが、長靴の合理性を愛していた。珍しい中学生・高校生だと思うけど(スノトレ、流行ったなあ)。
 東北地方太平洋側での乾いた雪では、長靴なんか使わなくてもいいし(女性の膝まである格好いい「ブーツ」でしょう)、道路は凍結するもので、道路横には凍結防止用の塩が常備されている。そういうものだ。全然、感覚が違う。雪かき、雪おろしなんてことば自体が通じないことすらある。スノーダンプとか(右サイドバーのNG!ナガオカグレイトにその名を採り上げたコーナーあり、説明はそちらに譲ります)。

 少々脱線した。
 それでも、sl-shockのブログでこれだけの報告を読んでいると、「図書館の力」をある方向では感じさせられはする。

 しかし図書館関連団体でも、災害地域への活動はほかに見当たらないし、このボランティア活動にしたってあまり注目・宣伝されているとは思えない。以前Liblog JAPANのトップページサイドバーに採り上げられていたくらいかなあ。いまはないようですが。Googleで「sl-shock ボランティア」で検索してもあまり件数が出ない。
 それで、ここで少しでも助勢できればと思い、採り上げることにした次第。なにかの役に立てばいいですが、まあ自己満足でも。

| | Comments (0) | TrackBack (0)