図書館

2004.11.14

香田証生氏の斬首動画と見ない自由

※この記事は元々次の記事とひとつの文章だったものを、長文だったので二つのトピックに分けたものです。併せてお読みください。(以上、2005.1.28追記)
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 標題に掲げた前提となる事件の事実経過については、周知のこととして。
 動画公開後にWeb上では複製がばらまかれ、すぐに「見るべきだ」「見ないべきだ」と議論が戦わされるようになった。
 ここで挙げる論点は二つ。正直、つまらないと思う人もいるかもしれない。そんな誰でもが考えるようなことを書いておく。

 見たくない人が見ない自由。
 「うっかりクリックして見てしまった…吐きそう」という発言が見受けられる。
 リンク先が何であるかはきちんとわかるようにした方がよいし、あまりに誰でもが見られるようには軽々にリンクしない方がよい。あとは、見るならば自らの判断で。見たくないものを見ないようにする心構えは大事だということだ。
 どなたかが挙げられていたが、判断能力のない子どもが帰宅して一人でパソコンを立ち上げ、見てしまえるような状態にするのはまずい。これはそのとおりだと思う。同様の例として挙げられるのは、テレビ。テレビはスイッチを入れた瞬間に目に飛び込んでくる。だから、規制の対象になる。

 見たい人が見る自由。
 不思議なのは、Googleのイメージ検索。「香田」でも「証生」でも何もヒットしない。検索のしかたが悪いんだろうか。
 最近、職場で国立情報学研究所の方を招いて話を聞いたので、陪席させてもらった。Googleのような検索サービスと図書館事業とで競合する側面での生き残りを模索しているからだ。お招きしたK氏曰く、「GoogleもYahoo!も「上位に来れば適合率が高い」「カテゴリは重要なサイトが登録されている」という幻想、社会的信頼を植え付ける戦略が功を奏したにすぎない」という皮肉な見方をされておられた。
 インターネットはブラックボックスである。有限な資料を扱う図書館とは違う。だから、GoogleもYahoo!も、便宜的な、限界のある単なる道具として使われているわけだが、これだけ何もヒットしない、となると単なる道具というわけでなく「隠している」という意図的な操作があることが推測される(事情ご存知の方教えてください)。
 もちろん、イメージ検索では検索結果がサムネイル表示されてしまうので、先の「見たくないものを見ない自由」のために制限をかける理由がある。それが検索サービス提供会社の意思ならそれでいい。しかし、規制をかけているなら「かけている」とはっきりと言明すべきではないだろうか。それならそれで、それでも探したい人はほかの方策を探そうとすればよい。意思表示をしないのは、「検索サービス」として不誠実というか、欠陥である。

 香田さんの動画は、社会的な規範として一律に、見るべきだとも見せるべきではないとも言えない。事実として、流通するからである。見るかどうか決めるのは、決めるのは各自の判断だろう。各自が判断ができるような提示の仕方についてだけは、社会的な規範として論じられる必要はある。
 もちろんそのような自由を前提とした上で、この共同体に生きるそれぞれが、見た方がいいか・制限を加えるかべきかといった意見の交換はありうるし、議論の場があることをありがたいと思う。この共同体の中で生きて自分の考え方を鍛えるためにも、自分はそのような議論を欲する。

参考にしたサイト
自分は、「はてな」で11/3付検索結果をひとつひとつ見ていきました。

極東ブログ:香田証生さん殺害シーンを語ることの意味について
 この問題については、まずこちらの論評をご覧になった上で、ほかに行かれることをオススメします。文字で斬首の経過を書いた紹介もされていますので、概略がつかめます。コメントも読むと参考になります。

成城トランスカレッジ!:編集するモノ、されたモノ。
 2ch上の反応を整理していくつか貼り付けてあります。

一朗汰の日記:私の視点〜外国旅行と移動の自由
 自分はけっこうこういう視点、実は大事じゃないかと思います。うまく伝わらないかも知れませんが。「一般的自由」と言います。それが国家の保護をどのようにして受けるべきかは確かに難しい。

以下備忘。

夏のひこうき雲:死を見つめることの意味
 上記極東ブログの感想。

---【04.11.21.以下追記】---
夏のひこうき雲:香田さんの斬首動画を見ること、語ることの意味
 本記事につき、上記リンク先にてsummercontrailさんと対話。

夏のひこうき雲:みんな、香田さんの動画を探しすぎだよ……。
 summercontrailさんの後続記事。
---【04.11.21.以上追記】---

プレイノートの書きこぼし。:香田バースト、アゲイン。
 自分を含め今回の件でどんな検索語を使って徘徊しているかというひとつの例証。

ダメオタ官僚日記:遺体搬送費用は誰が負担すべきか
 悲しくなっちゃうんですけどね、法律論からするとどうなのかなあと考えてしまう自分もいます。

千年王国:テロ組織がネットに香田さん殺害の動画を流す
 まとめリンク集のひとつ。取り扱い要注意。



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2004.11.15

見る自由と検索サービスの前提

 見る自由、見ない自由とそれにまつわる検索サービスという構図は、図書館でも同じことが言えると思う。前日のエントリを承けて、敷衍してみよう。
 それぞれの図書館がもつ社会的インパクト、役割によって、所蔵資料の利用制限はかけられうる。資料の管理をしている図書館側からすれば、「裁量がある」と言うだろう。「適正手続」まで用意するに違いない。
 しかし、その判断が妥当か否か、検索者の納得を得るためや議論をするためにも、利用制限の理由は提示すべきである。どのような選書方針か。利用制限の理由は。一般に図書館はこれを十分に明確に提示しているとは思えない。

 さらにしかし、いまの図書館では日常的にはこのような議論をする以前の状態だというのが実態だろう。
 図書館の目録がWebベースのOPAC(Online Public Access Catalog)となって、感覚的にはGoogle同様の検索窓に適当にタームを入れて検索できるようになって久しい。しかし、ヒットしないならヒットしない理由を、明示しないのはおかしい。単に茫漠としているだけ…そこに陥穽はある。
 図書館の目録は、明らかに有限の資料群(蔵書)から統御された規則に基づき人的な労力を投入して作成されたデータ群であり、有限の集合から検索するからこそ、(この検索語でのヒットは)「xx件」「なし」と意味のある「情報」が生成されるからだ。どのような規則でデータが作成され、どのような選書方針のもとに構成された集合なのか。それがわかるとわからないとでは、「情報」の意味が全然違ってくる。何という集合からどのようなルールにもとづいて取り出したかが判然としないのでは、ブラックボックス以外の何でもない。
 GoogleやYahoo!との根本的な違いは、有限な集合に丹念な統御を加えているというところにあるはずだが、当の図書館自体がOPACのヘルプをわかりにくいままにしている。どこにGoogleやYahoo!との違いがあるのか。その辺のしくみをわかりやすく説明しなければ、検索式を作るどころか「適当に」単語を入れておしまいといった現状では、何の違いもない。業界で言われている「情報リテラシー」「利用者教育」といった大仰なことば以前の、図書館のしくみそのものに関わる問題だろう。
 GoogleやYahoo!よりも、Amazonやbk1と比較するともっとわかりやすいかもしれない。実際あの単純な窓でも、「書評」が付いているゆえに、有効な検索ができることも多い。

 最後のネタは、図書館で働いている自分の実体験によるものです。amazonが、書誌情報しか掲載されていないOPACなんかよりも、役に立つことがあります。図書館の目録が提示すべきDBとしての整合性による有益さよりも、amazonならではのその付加価値において、単なるワケノワカランOPACより価値ある情報が得られる、と言いたいのです。
 驚いたのはamazon.comに付いている書評には、Research Libraryのための書評グループが付けているものがあって、こうしたものはかなり信頼性があると見ました。
 自分の職場では、目録規則に則って丹念に書誌情報を作成しています。しかし、それだけの検索のしくみ、資料群の見せ方がないと、Googleやamazonと比べても大して効果ないんじゃないか。経営資源を投入していることに対する社会的な説得力が、あるんだろうか。そんな疑問に毎日さらされながら仕事をしています。

【2005.1.28追記】
 前回の記事については、あまりにヒットが多くて気になっていた(2004.11.30の記事)。
 検索エンジンの使い方に対する疑問の論理は、当ブログ内での2005.1.212005.1.22の記事を、コメントまでご参照いただきたい。りんどうさんのおかげで、もう少し言いたいことがまとまっていると思う。
 また、当時私の拙い記事に反応いただいた「夏のひこうき雲」の記事でもさらにコメントをいただいた。感謝。

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2004.11.21

悠久山・慈眼寺・図書館

 備忘3件。地震-地域-図書館関係。

 悠久山
 先週、蒼紫神社の状況を探した。そしたらズヴァリ、悠久山の被害状況を写真に写したページがあった。神社のまん前にご実家がある方だそうで。
 やはりひどい。
 ことばでは聞いてはいたけれど、目の当たりにするとショック。
 戊辰戦没者の碑まで転がってるなんて。
 売店はよくプールに行った小学生が帰りにジュースやアイスを買うところだったんだけど、営業再開してくれるんだろうか。コンビニになったりしたらさびしいなあ。

 中越地方の図書館員現地発ブログ
 ココログのトップに中越地震関連の更新リンクがある。昨夜なにげなくひとつをクリックしたら、長岡在住小千谷市内高校図書館司書の方の地震日記だった。現地発の図書館者の報告、見たかったんだ。以前からホームページはあったが、地震を機に始めたブログだそうだ。
 小千谷には自分も、遠くなってしまった縁があって、戊辰戦争で有名な慈眼寺の話など書いてあってありがたかった。小千谷市立図書館がそのそばにあることも知らなかったんだけれど、復旧に向けて精力的な様子が頼もしい。
 山古志や悠久山、小千谷は変わらず残っていた風景があったが、地震のために様変わりしてしまうんだろうなあ(慨嘆)。いま、生きている人がまずなにより大事なんだけどね。
 よくよく読むと、なんか見覚えがある。すぐ前の記事でも触れたたけぱんださんのところにもトラックバックがあって、巡回している図書館関係者の複数のブログにもリンクが貼ってあり、ホームページまで戻ると割と前に図書館員のホームページを探していて見たことのあるものだった…。
 世の中せまいんだか広いんだか。

 図書館界の関心
 10/28に所属サークル宛て自分が出した報告メールに、中越地方の図書館の状況を心配する記述がある。その部分を抜き出してみると。

 長岡市立中央図書館の情報はまだ確かめてないんですよね。ホームページは「復旧作業中」としか出てない。
 自分がこの道に入った一番のきっかけはあそこにこの分野の関係書がだいたいは入っていたからで。
 災害が起こると日本図書館協会がその地域の図書館の被災状況をとりまとめるんですが(本が落ちてきたり書棚倒れます)、いまはまだそれどころじゃないんだろうか。今週の図書館協会のメーリングリストには何もなし。
 知り合いの新潟県立図書館の職員にメールで問い合わせるしかないのか。疲れてるだろうに…。

 新潟県立図書館の知人には11/3に自身の様子を伺う機会があった(当人は新潟市の隣から通ってるので全然問題なし)。その折に県内の図書館の状況は県立で把握していて、ファイルをネットに出しているとわかった。

 この関係で、上記かんちゃんさんのブログからのリンクで興味深い記事に当たった。
 これまた巡回している図書館関係者ブログからリンクのあるところだった…。まあ、全部なんて見てられないんだけど。

愚智提衡而立治之至也: 「現場」を作るのは「人」でしょう

 日図協,日図研,図問研の公共図書館3団体に共通しているのは,どこも罹災地の会員の消息を全く伝えようとしていないことですね.そもそも,3団体ともに罹災地の会員に関する情報を集めようとした形跡が無い.
 こーゆう団体が「現場第一」を唱えても,信じられますか.「現場」って「人」が作り支えていくものであるはずなのに,そもそも各団体の生命線であるところの「人」の生命をいささか軽んじてはいませんか>>図書館業界団体のお偉方.

 11/6-7と図書館情報学会定例の研究集会が大阪方面であり、無理を押して参加。
 学会でもあるので、関心が低い印象だったのはしかたがないか。公式にはなにかしらコメントがあったみたいだが…。余裕がなくて、今回は知人と交流をしている場合でもなく、自分が必要ある発表しか聴かなかった。そんな自分の勝手な印象ですのでスミマセン。
 ブログを読んで、阪神大震災を経験した関西の図書館関係者でも関心低いのかしらんと考えてしまう。日図研は拠点向こうだし。かつて阪神大震災のとき、自分も充分な配慮ができなかったんだから、人のことは言えないが。
 でも、阪神のときはNiftyServeの図書館フォーラムでもすぐに情報交換されていたんだけどな。新潟の図書館が関西に比べると格段に知られていないせいもあるのか。

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2004.11.28

JSLIS2004秋季大会

 先日参加した日本図書館情報学会研究大会(秋季)のことを書く。
 昨年に引き続き、自分が取り組んでいる課題と密接に関連する発表があったので、二本の発表のためだけに大阪まで行ってきた。
 二本のうち、より重要な発表は、池内淳氏「公立図書館における公共概念の両義性とその射影」である。

 これは、ある意味、もう本質的なところで言いたいことは言われてしまったかな…。むしろスマートに。第一印象としては、こんな感じ。
 それから思考がぐるぐるまわる。いやしかし、まだ自分のアプローチから補える部分があり、だからこそ補強できる。彼の業績を補強証拠として使うことで、むしろ自分のアプローチのオリジナリティを主張できる…と前向きに考えてみたり。そこから、自分の側でもつ独自の論理を追っているつもりが、やはり彼の論理に収斂するようでもあって落ち込んでみたり。
 浮き沈みが激しい。
 思考をことばにしてみることで落ち着くだろうか。まとめてみよう(何度も書き直しますんでよろしく)。
 なお、次の要約とコメントは筆者の個人的な理解にもとづくものですので、誤りがあるかもしれません。この記事の掲載自体含め、問題ありましたらご指摘ください。

 前置き。
 本当にすばらしい発表だったと自分は思っています。ドキドキしながら聞いていたのですけれども、感嘆、賛辞、拍手で心の中がいっぱいになりました(自分は勝手に、この研究は学会賞獲れるんじゃないかというくらいに思っています)。

 池内淳ホームページ
 home> profile> research activityの「学会発表」の項に次のリンクがある。
池内淳. "公立図書館における公共概念の両義性とその射影", 第52回日本図書館情報学会研究大会. (2004年11月6日)
 PowerPointプレゼンテーションが起動するはずらしいのだが、うまく動かない。複数の環境で試しているのだが…。

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「公立図書館における公共概念の両義性とその射影」要約

※修正が入ることがあります。

【方法】発表者は以前から、公立図書館を公共財モデルで説明しようとしてきた。

【背景】当初は行財政改革や民営化に対抗するために公共財モデルを援用していたと思われるが、近年は翻って、出版流通市場からの「公立図書館=貸本屋」批判に対応するために、市場との理論的な整合性に苦心されていた(うろ覚え)。今発表でその回答が、示されたと言ってよいだろう。

【本発表の構成】前提-経済学における図書館の一般モデル-二つの公共性についての検討-具体的な解決策

【概要】

○前提として、図書館一般を「設置母体の構成員が蔵書を共同で所有し利用するためのシステム」と定義づけてしまう(!)。

○図書館一般の財としての性格を、「クラブ財」と指摘した。この指摘は過去なされていても、本発表の文脈の中で位置付けていることが重要と考える。筆者が重要と考える理由は、「図書館はクラブ財である」との指摘には"「公共性」以前の「共同性」の観念が含まれている"と考えることができるためである。

・その位置付けとは、図書館を、市場-財政の機能から見て次の「財」の三つのレベルに配している。第一に、個々の資料を「私的財」と捉える(この点で出版流通と競合)。第二に、出版流通市場というフローから離れたストック機能としての「クラブ財」(図書館以外に貸本屋等も含む)。第三に、政府機能のひとつとして「公共財でありたい、また部分的に公共財である」公立図書館。図書館はクラブ財であり、公立図書館はそのままでは市場とぶつかりかねない「準公共財」である。

○マクロ経済学(財政学)の基本に立ち返り、「市場」のもつ公共性概念と「政府の果たすべき役割」としての公共性概念を確認。公共性概念は元来多義的であり、マクロ経済学で見出される上記二つの公共性概念もまた、元々別の公共性を指向する観念である。

・本発表を重要視する点として、「この二つの公共性概念は公立図書館と出版流通市場にのみ限られない、政府と市場の一般的な問題である」という認識が発表者にあること。例えば郵政事業など「公立図書館に限った話ではない」ということである。その上で公立図書館と出版流通の問題に具体的に還元しているゆえに、本発表の理論的一貫性と有効性がある。

・これまで観察されてきた二つの公共性の関係は、政府が半ば意図的に市場と衝突する場合と、市場と関係ない領域で政府の機能が成功してきたにすぎない場合に大別される。後者では幸いにして市場と衝突してこなかったためにたまたま「公共部門としての成功」を収めてきているが(衝突する市場がなく政府が補完すべき領域)、前者の図書館を充分に発達させた場合には、調整機能として公貸権等の制度が整備される必要がある。

○帰着する提案が、一貫した理論に裏付けられた上で、具体的な解決策を提示している。まず、公立図書館の公共財としては中途半端な「公共性」を、「公共財」の定義どおりに徹底させることによって、社会的に説得力あるきちんとした公共財に仕立て上げるべきだ、とする。その上でまた、市場の公共性と調整すべきところは個別具体的に整合的な解決策を検討すべき、としている。

【難点】

・図書館一般の性質をいきなり公共性につながるものとしてではなく、社会的な「共同性」に着目しているのはよい。しかし、あくまで財として見るのは、商品たり得る(=価格を計算し得る)個別の資料や資料群(蔵書)であり、貸出サービスに限った話題となっている。図書館の「共同性」の効果は物理的な資料(群)に限らない「情報」、貸出に限らない諸「サービス」等に展張した社会的機能にある(発表者自身は認識があると思われる)。評者はそこにこそ図書館ならではの注目すべき点があると考える(本発表は媒体に限ったことで理論的一貫性を維持している)。本発表の二つの公共性モデルだけでは、別に出版物、図書館に限らない類似財についての研究と同じである(だから、発表としては公立図書館の具体的解決策に議論を導いているのであるが)。

・マクロ経済学のモデルを用いているため、市場と政府の役割が「前提」になっている。ある意味では、功利主義モデル以外のなにものでもない。

・公共性の観念が(従来の経済学的)市場モデル・公共財モデルに依拠しているため、ほかの公共性観念に及んでいない。評者の考えでは、そのほかの公共性観念こそが、図書館の社会的正当化論拠としての「共同性」「公共性」をもたらしうるものである。

次の記事に続く。

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「公立図書館における公共概念の両義性とその射影」コメント

※修正が入ることがあります。

前の記事から続く。

【コメント】

 再度確認。
 本発表について筆者が注目する点は、以下の一般理論としての部分である。

・図書館の定義上「共同性」概念に注目したこと。
・物理的な資料・資料群と貸出に議論を限定したことで、(「公立図書館」に限らない)図書館一般の財の性質(共同性・公共性)に迫ることができたこと。
・関係する公共性概念として市場モデルと公共財モデルを提示したこと。

 以上を元に、続けて展開する結論部分―公共図書館の公共財としての可能性の提示及び出版流通との解決策の具体的な検討―については、構成としても一貫しており賛嘆するが、筆者の問題意識からは外れる。

 図書館一般の社会的正当化論拠としての「公共性」を検討するための筆者の提案は、次の二つである。

・図書館の本質が物理的な「蔵書」及び共同体による「共同所有・利用」にあることには異論がないが、それだけでは不十分である。図書館の社会的な正当性(効用)を考える上では、資料(群)から「言語・表現」「意味・情報」と共同性の問題に入り込む必要がある。
・憲法学には、「言論(表現)の自由市場」論がある。図書館の問題は経済的自由市場のレベルで語り終えてよいか。政府と財というよりも、設置母体と言論という観点から「市場」との関係を検討する余地がある。

 しかし…慶應のマクロ経済分析グループは、方法論上の疑問を感じないのだろうか。
 本発表のような「公共財」モデルによる分析は図書館の一般性に迫るものでありながら、政府の役割としての公立図書館と貸出サービスに議論を限定した途端、議論が矮小化する気がする。対政府、対市場とでの戦術の違いなのか。

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脱線気味の疑問〜政府の読書支援のありかた

 具体的に一例を。

 ずいぶん前に、著作権に詳しい知人に対して、図書館の市場補完機能(読み手の利益を保障する機能・零細な書き手の流通を保障する機能)について採り上げて議論したことがあります。ちなみに私は、著作権による図書館における複写の制約や、貸本屋批判に対しては昔から懐疑的でした(詳細略)。
 知人いわく、「だったら政府は、零細な書き手の本を買い上げて、読みたい人のところに無償供与したっていいでしょう。著作権法を無視するような風潮を正当化する議論はおかしいですよ」。知人は、図書館に勤めながら、図書館は個人の権利としての著作者の利益を侵害するほどの正当性はないと考えていました。

 図書館=公共財モデルは、出版流通市場と公立図書館の貸出サービスについて、双方の一致点を見いだせないかという検討をします。
 このようなマクロ経済学(財政学)の立場からは、知人が言う「市場に直接介入して、ある本を購入して供与」という選択肢は、どのように評価されるのでしょう。むしろ、共有及び無償利用によって著作者から苦情が来るのですから、一部毎に対価を支払うことで図書館よりも有効な活動ではないか。こう判断することもありえますよね。
 クラブ財であると単に定義するだけではなく、図書館のようなストック、共有の意義を模索する必要があると思われるのです。言ってみれば、市場補完機能として、政府はなぜ図書館という共同所有の形態を選択するのか。そこが、どう考えるべきかわからない(頭、悪いんでしょうね…)。

 実際、ブックスタートは個々の子どもに特定の本を与えるというしくみなわけです。
 図書館や子どもの読書をアピールする道具的な手段…というだけでなく、特定の本の著者に利益を与える行為、読み手に対して特定の本を推奨する行為という側面も同時にもっている。これを、ことさらに言うべきではないのか…。

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2005.01.14

学校図書館における災害ボランティア

新潟中越地震:sl-shockの学校図書館ボランティア: 活動案内

sl-shockの案内チラシ

私たちの活動を紹介したり、募金についてお願いするときに使える“案内チラシ”を作成しました。必要に応じてダウンロード、印刷してお使い下さい。
sl-shockの活動案内

 ここのブログでもリンクさせていただいている、かんちゃんの「きょうもつんどく中ココログ版」経由で、学校図書館でのボランティア活動を知った。
 きちんと知ってから紹介したいと思っていたけれども、どんどん状況は進んでいるようだし、ここを訪れる人に少しでも話題が提供できればと中途半端でも採り上げさせていただこうかと思う。自分でsl-shockに入ってないせいか、活動がわかりにくいため勝手に整理させてもらいたいこともあって(ありゃ、先方はトラックバック受け付けてないや)。個人的な思い入れはこの記事後半を参照ください。
 自分の知るところはweb上での情報しかなく、「リンク先をご覧ください」「ぜひご寄付を」と書くくらいしかしないタイマンヤローだ。実際にボランティアで頑張っておられるみなさん、ごめんなさい。

活動自体の母体学校図書館メーリングリスト:sl-shock

 リンク先はYahoo!Groupsのメーリングリストのホームページです。ブログのプロフィールからも跳べます。MLの月別投稿件数を見ていると、割と活発な印象。

ボランティア活動の概要は…

 ブログのプロフィールのほか、上記引用記事のチラシ。Wordファイルです。
 ブログ本体は「活動記録」となっている。
 が、活動概要がどこにあるのかわかりにくい…。
 ブログの最下層、11/19,11/20(その1その2)の記事でいいのかな?
 左サイドバーのカテゴリーにある、「ボランティア募集」「募金収支報告」に目を通しても状況がわかるか。このカテゴリーを時系列順に読み直すとわかりやすいですね。

「きょうもつんどく中ココログ版」での紹介記事
※Googleでサイト内を「sl-shock」で検索かけただけですが、かんちゃんの説明はわかりやすいと思いましたので。

 ・新潟中越地震23日目1
 ・新潟中越地震29日目1
 ・新潟中越地震34日目
 ・新潟中越地震58日目




 あと、以下は私の勝手な気持ち。

 このたびの新潟県中越地震で「図書館に何ができるか」という問いかけがある。
 でも自分の中で、図書館の力で何ができるのか、できないのではないか。無理しないでまずは自分の生活から…などという気持ちにとらわれる。現場にいないだけに、勝手な思いこみかもしれない。

 雪国の、寒さというより、実際に始まった降雪の厳しさ。自身の経験を思い返すに、被災された状況での冬を考えてしまうのである。湿った空気の中での、しもやけ、とかね…。
 消雪パイプ発祥の地、雪混じりの冷水が流れる道路が当たり前の長岡では、自分はダサかろうがなんだろうが、長靴の合理性を愛していた。珍しい中学生・高校生だと思うけど(スノトレ、流行ったなあ)。
 東北地方太平洋側での乾いた雪では、長靴なんか使わなくてもいいし(女性の膝まである格好いい「ブーツ」でしょう)、道路は凍結するもので、道路横には凍結防止用の塩が常備されている。そういうものだ。全然、感覚が違う。雪かき、雪おろしなんてことば自体が通じないことすらある。スノーダンプとか(右サイドバーのNG!ナガオカグレイトにその名を採り上げたコーナーあり、説明はそちらに譲ります)。

 少々脱線した。
 それでも、sl-shockのブログでこれだけの報告を読んでいると、「図書館の力」をある方向では感じさせられはする。

 しかし図書館関連団体でも、災害地域への活動はほかに見当たらないし、このボランティア活動にしたってあまり注目・宣伝されているとは思えない。以前Liblog JAPANのトップページサイドバーに採り上げられていたくらいかなあ。いまはないようですが。Googleで「sl-shock ボランティア」で検索してもあまり件数が出ない。
 それで、ここで少しでも助勢できればと思い、採り上げることにした次第。なにかの役に立てばいいですが、まあ自己満足でも。

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2005.01.21

10,000 hit!(4):検索エンジンの境界と"情報"

【検索エンジンの境界とレファレンス】
 別件で気づいたことだが、検索エンジンにクロールをしないでくれっていうrobots.txtが入っているサイトはけっこうある。
 だから、自分がリンクを辿って知ったサイトでも検索エンジンにひっかかってこない、だけど内容が充実しているサイトというのは多い。結果として、それら実のあるサイトよりも自分のブログが上位にきてしまうという、なんだかわからないことになる一因になってはいるだろう。
 robots.txtは検索エンジンのせいではない。せいではないんだけれど、検索エンジンが検索対象としている/検索対象としない集合のはっきりした境界のひとつではある。利用する側が勝手に信奉しないように、道具は道具として性質を了解して使わないと。
 逆に、自分が意識しているように、ある主題について書いたとき、参照先をまとめておく(リンクを張る)ということは大事だと思った。ほかの人がそのリンクをその主題を調べるために使えるからね。

 リンクによって初めて、機械で引っかからないサイトへの道が残されることもある。
 そういう、「ある観点から人間が有用であると判断した」主題毎の「リンク集」=「リンクの集まり」こそが、まさに「referすること=レファレンス」情報源だと思う。そこに人間の関与の余地、創造性やオリジナリティが見出せないか。

【機械検索と"情報"】
 図書館のOPACの意味は、本来はその資料は所蔵しているぞという「蔵書目録」の意味しかない。
 しかし、どのような蔵書構成方針の許に集められた集合であるかという「人間の判断」がわかれば、「目録」以上の「書誌」としての意味がある。機械が機械的に「判断」もなく検索してくるという動作は、本当の「"情報"検索」」ではない。
 また、OPACのレコード単位で見ると、目録規則で記述している個々の書誌事項は、目録規則あっての情報でしかないので、その限りでは標準的だが、書誌の採録項目として必ずしも普遍性はない。書誌は作成する観点によって必要となる採録項目は変わってくるので、情報としての有用性は一般的に保証されないということだ。
 なぜなら―この項、最初の一文に戻る―、Web-OPACが言っているのは、「その図書館で標準的な記述がされた書誌事項で、ある検索の結果として所蔵が確認されるよ」という「情報」しか与えないのだから。

 これらのことを忘れた図書館員がいるのだとすれば、おそろしい。情報化だ、電子図書館だと言っている昨今、実際に増えている気がする。
 "情報"って何なのさ。なんでもかんでも集めてくればいいってもんじゃないんだぜ。そこで有用性の判断が必要なんだから。それが図書館に人的資源を投入する理由だろう。その正当化論拠が、意識されていない。

 このことは、11.14の記事とその後続の11.15の記事で言いたかったことに関係しています。

【05.1.25訂正】下記いただいたコメントにより、訂正を入れました。

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2005.01.25

ブログを保存するには

 かんちゃんの地震日記「きょうもつんどく中ココログ版」が更新停止になったため、Web巡回・保存ソフトを急遽試す。

 更新停止について雑感。
 生活感溢れる文章を楽しみにしていたので残念。雪が本格的に降ってきて、雪国の生活はこれからというところだったから、現地発の報告には地震の影響もまた見え隠れして貴重だと思っていたのだけれど…。体調を圧して無理に更新している様子も心配だったり、かんちゃんさん自身が行き詰まりを感じていたようなので、納得づくの上ならばいい区切りだったのかなとも(個人的には無理矢理)考えています。
 なお、読書日記日々記さんところに関連記事あり。

 突然の展開だったので、閉鎖も想定、記録としての保存を危惧して上記。
 このブログを始めたのも、「自分にとっては大事なサイトがどんどん閉鎖されていくから備忘のため」。Web巡回・保存ソフトはいつか思い出さなければならないことだったので、いい機会でした。ひさしぶりに複数試してみたところ、決定的なものはなし。
 暫定的に「波乗野郎(PerManSurfer3)」というフリーソフトを少し工夫して使っています。Win版、Mac版とあって嬉しい。ローカルでリンクを全部張り直してくれるので、ことブログではほんとに便利です。
 というか、無知なのも恥ずかしいですけれども、ブログも普通にホームページ巡回ソフトできれいに保存できたのは驚き。最初はココログ巡回ソフトで探し始めて、定番のCMNというソフトに当たったんですが、これだと各記事のテキストしか読めないみたいだったんで。ブログはWeb巡回・保存ソフトには負担なようですが、波乗野郎はまるごとローカルに落としてくれるので、自分はよかったです。

 世紀が変わってからでしょうか、ホームページの充実度ってすごいですよね。国の施策でWeb情報資源の保存プロジェクトが動き出すわけだ。資料性が高いページ多いですもん。
 だから、「仮面ライダーアギト」テレビ朝日版ホームページがなくなっていたことはショックだった…。

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より以前の記事一覧