日本酒

2010.10.29

下北沢

 十年は訪れていなかったんではなかろうか。
 いろいろな思い出のある街だ。

 かつても冴えなかった、自分は似合わない街。
 でも、懐かしい店はある。
 変わってしまった風景もあるけれど。
 一番時間を過ごした本屋があったところが、まったく違う建物になってしまっていたこと。
 これには、びっくりした。

 夜だったから、好きだったパン屋さんがいまどんな感じかは確かめられなかった。
 気に入りのラーメン屋に辿り着けず。あとで健在と聞いてこれまたショック。

 新潟の名前を掲げた居酒屋。
 前から入ってみたかった、ただ機会がなかった。
 もやもやした気持ちもあり、思い切って入ってみた。
 楽しかった。
 おいしかっただけじゃなく、お店の方も、常連さんも気持ちよく一緒に付き合ってくださった。
 新潟由来は、店主のご家族の出身が新潟なのだそうだ。
 ずっと残っていてくれて、本当に嬉しい。

 次はいつになるだろうか。
 行けなかったら行けなかったで、かまわないのだが。

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2010.05.27

DVD『夏子の酒』

 ついに出た。
 販売予約が始まったと知って、すぐに予約した。

 新潟の風景が見たくて、オープニングだけ見るつもりが。
 携帯して聴いている、熊谷幸子の曲が流れてくる―。
 今のテレビはありがたいですね。
 音もいいし、画像もいい。
 つい引き込まれる。
 …考えてみたら、電波状態がずっと悪かった。就職してから、ずっと。

 本放送時、録画したものの、妙に照れくさくて音声だけざっと流したっきり。
 どうも第一話の、夏子の東京での姿、化粧がダメだったんだな。
 化粧を落とした夏子の姿は悪くない。
 和久井映見、いいじゃん。

 若村麻由美もいいなあ。
 石黒賢、この頃にはいろんなドラマに出ていたはずだけど、今から見ると若い。
 松下由樹が、化粧が濃い役なのが惜しい。早くいいシーンが来ないかな。

 マンガのファンだっただけに、距離を置かないとダメだったようだ。
 今やっと素直に見ることができている。

 長岡市街が出てるなあ。懐かしい。この間も見た風景。

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2008.02.18

中越地震と川口町

 先日長岡の実家に帰省したときのこと。
 映画『マリと子犬の物語』がものすごい勢いで観られている、と聞いた。近所のニイちゃんが呼んでくれるので一緒に飲んでいたのだが、奥様「ありゃーあたしが飲まんけば、23時に始まる回連れて行けたがんに」。「全国紙でも取り上げられてたよね。今期大穴で全国でも一番の評判だって」「子役がじょうずでねえ」。
 テレビでもドキュメンタリータッチの特番があるな、と確認していたのだが、見逃した(…そう、この晩飲んだせいだったような気がする)。
 正確なところはほかで調べてほしいが、自分の適当な記憶では、元は絵本で、Yahoo!動画でCG紙芝居風の短編アニメーションを観た。

 ニイちゃんの家のオバちゃんは、震災で亡くなっている。
 小さな頃からずっと、本当に、ことばに尽くせないくらい世話になった。葬式にはなんとしても行きたかった。震災直後でまだ新幹線も復旧していない。新潟空港経由でなんとか長岡入りした。ニイちゃんはあの余震が続く中でよく葬式が出せたと振り返る。
 もちろん『マリと子犬の物語』を観れば、当時のことを思い出す。

 ただ、ご夫妻仰る。「山古志ばっか採り上げられてもねえ」「川口のことはニュースにならないよね」。
 震源地は、川口町だった。同じ被災者として、かわいそうだと。
 山古志村は長岡市への合併が決まっていた後に地震が起きた。川口町は小千谷市や長岡市とは合併しない判断をしていた。

Wikipedia「川口町 - 市町村合併」の項

前町長の施政時には、川口町は隣接自治体と合併せず自立の道を進む方針を定めていた。2003年には小千谷市との合併案が出たものの町議会で否決されている。公共施設の整備や福祉の充実など公共事業に注力していたが、2004年の新潟県中越地震では町内各地に甚大な被害が発生し、その復興のために多くの予算が回されることとなった。この中越地震の影響で町の財政が逼迫。これ以上の独自立町は困難と判断し、周辺の市と合併を模索することとなった。

2006年初頭から合併先候補として長岡市、小千谷市、魚沼市の3市が挙がり、住民意向調査では長岡市への合併を望む声が半数以上を占めた。同年9月に行われた定例議会で長岡市への合併申し入れが決定し、2008年度中の合併に向けて準備が進められることとなった。尚、長岡市とは境界を接していないため、仮に合併が実現した場合は飛地合併となる。

 ???
 川口町の昨秋の住民意向調査の話は知っていたが、長岡市は受け入れる展開になっているのだろうか。

asahi.com「財政改革進める川口町」
関貴志のホームページ:「川口町との合併問題」の取り扱い

 どうも、長岡側はまだ決めていない様子(でいいのかな?)。

 ほかにざっと参照したページ。
広報かわぐち特別号 市町村合併特集号
 図書館がある!どうなっちゃったんだろう。サイト内検索では図書館条例はあるが。
がんばれ越後・川口町

 ↓合併投票に批判的な記事、いくつか。
まだ ふみもみず:新潟県川口町 無意味な住民投票などやめろ
蛍の深い杜の平凡な日々:川口町の住民投票 

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2008.02.03

A Memoir of Cafe Sherlock Holmes

 ときわ台の「バー&レストラン シャーロック・ホームズ」が閉店した。
 この2月2日のことである。

 閉店の報を聞いたのが、今年に入ってから。
 かなり厳しい情勢の中、無理して訪れた。

 久しぶりに入ってみて。
 …惜しい。本当に惜しい。
 こんな場が、なくなってしまうなんて。
 惜しんで訪れたほかのお客さんと、語り合った。

 なくなる理由は「入っているマンション建て替えのため」で、復活もメドは立っていないものの予定はしている。が、「シャーロック・ホームズ」の名を冠したお店ではなくなる様子。
 マスターはもう、74歳と聞いた。次は息子さんの店になる。
 それで、調度やアンティークを放出していたのだった。
 「頼むから復活を」とお願いしたが、復活しても雰囲気は変わってしまうだろう。アンティーク等は残すと言っていたが、前のマスターの店を思い出すよすがとして、のみだろう。
 「あの店」はもう、ないのだ。

 これまで、気に入って通った店が何軒かある。
 学生時代、なけなしの金を用意して頑張って行った日本酒の店に、十年ぶりに顔を出したら、ママさんがまだ、いて、なんと覚えていてくれた。
 独身時代や、いま住んでいる町にも、そんな店がある。その町を離れたり、忙しくなったりして、行けなくなったらそれでお終い、だろう。
 いつまでもいつまでも、そこにあり続けるわけは、ないのだ。

 学生時代に恩師に連れて行ってもらった小さなバー。就職して余裕ができたら、行きたかったんだけどなあ。数少ない機会を作って何度か店の前まで行ってみているが、タイミングが悪いらしい。まだ閉店はしていないのだが、いつも閉まっている。マスターも高齢だろうし、当時のお礼を言いに行きたい。
 青森には、家人との思い出の居酒屋がある。駅からはけっこう歩く。本当に美味しい料理と、いい酒ばかりだった。青森の酒と料理…。二度行って嬉しかったのだが、また行けるだろうか。青森を訪れたときに、まだあるだろうか。

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2006.11.25

感想:長谷部恭男『Interactive憲法』(1)

The_life_and_opinions_of_proffessor_b  ※今週入手。現在楽しみながらつまみ読み中。

 まず、「はしがき」より。
 「本書は、雑誌『法学教室』で2004年4月号から2006年3月号にかけて連載された「Interactive憲法―B教授の生活と意見」をまとめたものです。各所で説明を補充するとともに、連載時には公表されなかった原稿を補論1および2として末尾に加えました。」

 連載時からこのブログに紹介記事を載せようと書きかけの草稿がある。それがまあ、時の経つのは早いことよ。連載が終わり、単行本になってしまったとは。この期間の自分の生産性のなさが情けない。
 本にまとめたときの副題は、表紙にも標題紙にも明記されておらず、奥付に英語で表記されているだけだが、もちろん、連載時の副題のとおり。
 一読すればわかるが、B教授は独身の女性で、本書各章はいろいろな登場人物との対話の形をとっている。これがまた、ユーモアたっぷり。
 たとえば第1章注1→「行政法に限らず、ユーモア感覚にすぐれた公法学者は絶滅寸前の希少生物であって、筆者もあまりお目にかかったことがない。」てな具合。
 学生向きの『法学教室』に連載していたために楽しく読める割には、けっこうレベルが高い。

 自分がこの連載が楽しみになったのは、ミーハーもいいところで、長谷部氏描くB教授の魅力と、連載第1回に新潟の日本酒の記述があったからかな…と思う。
 第1章は離婚した父親のEと懐石料理を前にして、こんな記述が。
・<冷やの「〆張鶴」を自分で注ぎながら>→注2「「〆張鶴」は新潟の酒。キレがよく、飲みはじめに向いている。」
・<冷やの「得月」を自分で注ぎながら>→注12「「得月」は新潟の酒。風味がやわらかく、和食によくあう。」
 そのくせ、第1章だけ読んでもサンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』が注に出てくるし、モンテスキュー等々はもちろん、長谷部理論では欠かせないフィスやら、まー縦横無尽だこと。

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2006.03.06

恩師の定年退官

 先週、今年度でB教授が定年退官を迎えるというので、最終講義、祝賀会、日付が変わっても痛飲(笑)。
 前日日中に、長岡の、自分にとっては"いつものお店"の酒販店さんに電話。酒2本を学部の教務留で送った。
 「久保田碧寿」と「呼友」。学生時代にもたぶん、先生と飲んでいたはずの酒。
 しかしまさか、花束贈呈の場で一緒に酒を贈呈させられるとは。光栄ではあったのだが、目を白黒させてしまった。

 初めて知った。B先生、自分が生まれた年度に着任。ということは在職年が自分の年齢と同じ。
 三十数年。意外に短いと思った。先生は別の大学に呼ばれていて、まだ退くというわけではないのだが。
 自分の職歴がどうなるだろう、ということは何度も考えた。何年があるのか。
 学者の世界で、三十年余で、何ができるだろう。

 今回は、さすがに奥様もご一緒に、キャンパスまでおいでだった。よく学生はご自宅に招いていただいて、奥様のおもてなしをうけたものだった。
 自分のことを、「変わってないわねえ」。中年に入った自分としては、喜んでいい言葉ではないが、憶えていてくださっただけで、嬉しかった。
 学生のときにお邪魔した折、先生がご家族でエディンバラに旅行に行った写真を見せていただいたことを思い出す。エディンバラはコナン・ドイル所縁の地だ。

 先生は腰の低い方で、持ち上げてもくださる。
 昔、図書館の世界に足を踏み入れることを決めた自分にくださった言葉をまた、自分を弁護士や研究者になっている先輩後輩の前で紹介くださる中でおっしゃる。
 「君は大学院に来ると思っていたのに、もったいない」。今回は「今からだって」とまで続いた。
 自分にそんな才がないことはわかっている。褒めてくださるのは嬉しい。こんなところに書いてしまうのだからバカである。リップサービスでもB先生にそう言っていただいたということ、自分が自分に誇れるいくつかの、ささやかなひとつ。

 このブログで以前登場した、実に優秀な後輩ともひさしぶりに顔を合わせた。先生から訊くと、あのアレクシーが―あまり人を褒めることがないそうだ―、「自分よりも優秀だ、成果を残す」と評していたという。
 基礎法学は実定法学に比べて、何というのか、ある種変わった人材の縁が多い。まず二十数人の宴席に民間企業に勤めている人は一人だけ。
 自分が在籍時から政治思想史を担当されているウェーバー研究者が、B先生と縁があるとは知らなかった。また、いま自分が住んでいる地域の大学で、政治学を担当しているという先輩。彼は学部時代にB先生のゼミに参加していただけだったが、B先生の緻密な議論、社会哲学を議論した経験に、自分のルーツや、実際に役立った局面があると言う。
 先生がお辞めになったあとに残される、ある院生。基礎法学なんて就職も困難なのに、よくも学問の途に入ってきたと思う。彼は、公式の席上で感極まってしまっていたが、酒が進むにつれて、本当に優秀なところがにじみ出てきた。上記の優秀な後輩同様、今どきの学生とは違う、一種の先祖返り、特別変異なのかもしれない。学部を含め、数年しかやっていないのに、加藤新平やアメリカはもちろん、ヨーロッパの法哲学界百年くらいの論争を俯瞰できる才。研究者ではなく「学者」、そんな片鱗を覗かせる。

 ああ、これは。自分は、知り合いになった先輩の院生室にお邪魔させていただいたくらいでよかったのだ。憧れをもって。
 ほかの大学院、修士のレベルの安易さも聞き知っているが、自分の出身大学の大学院、研究室は違っていた。本当に優れたモノがある。ゴマカシなく、逸材が、コツコツと自らを磨いている。偏差値だとか、そんなことは関係ない。そんな環境だったのだ。

 今どきだなあと思ったが、最終講義はDVDに焼いて配付してくれるという。
 先生は毎回内容をプリントにして配付くださっていたが、学生時代は全部聴き逃すまいと最前列に構えてノートをとっていた。ノートは自分が3年と4年のときと、先輩からコピーさせてもらった3年分のファイルがある。
 あの懐かしい、もう一度聴きたいと思っていた講義。最終講義は絶対に参加しようと思っていた。在籍時の熱心さとは違い、残念ながら遅刻してしまったことを、着いてから悔やんだ。あの穏やかな語り口から伝わる「学問」。講義録では伝わらない"何か"である。DVD、ありがたい。

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2005.11.04

山古志の闘牛、八海山の一升瓶

 所用ありて、11/3は実家。朝から晩まで作業。行くときも帰るときも、新幹線に飛び乗った。帰ってきたら23時。それからまだ後始末がまだ続いて…まだ終わってない。あーでもがんばんなきゃ。
 ここのブログにも折に触れ「余裕がない」と書いているけれど、先月からそして今月も、週末は自分だけでなんとかできるようなものではない予定がなにやかやと入っている。日中にきちんと仕事するためにも、平日に消耗しないように気をつけていかないと。今日は疲れ切って出勤、さすがに残業できなくてまっすぐ帰宅。
 でも、いまも疲れてるけれど書いておいてしまいたい記事がある。

 11/3の昼過ぎ。ほんとにおひさしぶり、伯父さん伯母さんが従兄の運転する車に乗ってやってきた。従兄は子どもを連れてきていて、ウチと同じ3歳。しかしほんとに彼とはひさしぶりだったなあ。伯母さん、越後風しょうゆ赤飯をもってきてくれた。従兄の誕生日だから毎年作ってるんだとか。

 で。長岡に何をしに来たかというと。
 山古志の闘牛の千秋楽が11/3で、観に来たんだそうだ。伯母さんが大ファンで、自分は山古志の闘牛は彼女に連れられて一度だけ観に行ったことがある。地震直前の秋、近しい親戚だけで近所の温泉に行ったときも、旅館の出口に闘牛のポスターが貼られていて、また観に行くぞと思ったものだった。それがまさかこんなことになろうとは。
 伯母が闘牛の千秋楽に行くと聞いて、くやしくてくやしくてならなかった。山古志は長岡市にもなったのに!いろいろ大変なことの結果だけれど、最近は長岡の郊外で闘牛をやってくれるのに!
 そんなに長い時間じゃないから行こうよと誘われたが、ほんとに時間がなかった…。

 伯母は、おしゃべりが大好きだ。明るい伯母によく元気をもらった。
 玄関先で、山古志への思いをまくしたてた。今回も元気をもらった。
 「おら、山古志のショに元気もらってくるんだて!山古志のショは元気らよ〜アッハッハ」。
 大手高校に避難していたときも知り合いの様子を見に行って、かえって元気をもらってきたと言っていた。
 千秋楽に出る「ミノル」が贔屓だという。「牛の名前?」「イヤ、飼い主もおんなじ名前なんだて」。
 車の後部ドアから出てきたのは一升瓶。八海山の本醸造。
 「牛の身体にぜーんぶかけてやるんだよ!そーいや、あんたの分ももってきてやればよかったねえ」。
 伯父伯母は八海山の麓に住んでいる。「八海山」はほんとに地元のお酒。ときどきいただいたことがある。さすがに今回は酒はもって帰るどころではなかったが。

 いかめしいことを言えば、たぶん山古志の闘牛は、「神事」なんだろう。
 だけど、活き活きとしている。今でも活きている、大事な「みんなの文化」ハレの催事なのだということが、山古志の大ファンだという明るい伯母の来訪で、再認識できたような気がした。
 酒も、こうでなくっちゃ。ちんまりとかしこまって飲むだけが酒じゃない。闘う牛にかけてこそ、「地酒」の名にしおう。
 ああ、ほんと行きたかったよ〜。

 たけぱんださん、山古志のみなさん。「わかってない!」と怒られちゃうかもしれないけど、こんな山古志ファンもいるってことで。エピソードのひとつとして聞き置いてください。

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2005.08.21

夏も盛りを過ぎて…過ぎたのかな?

 このひと月が大変だったことは言うまでもない。家族が事故で怪我を負ってしまったからだ。
 なんだか疲れましたよ。
 この記事、8/24に書いているが、8/21の晩の時制で書きます。

 共働きの子育て、元々土日出勤があるために休日が合わず、何かと大変なんである。単に一緒に家事ができないなんてもんじゃない。
 不規則な休日に、へたに無理をするとかえって体調を崩して、翌週からの出勤に影響が出る。
 場合によっては土曜保育や育児ボランティアさんに預けるなどして、子どもに負担をかけることになったり…。
 そもそもが週末も生活は保育園のサイクルに準ずるようにしているから、自由ではない。

 7/21付記事で触れている実家への帰省は、年に数えるほどしかない「一家揃っての帰省」だった。事前の日程調整にずいぶん苦労した。
 昨年からの家族の要望で、クラゲが出る前に3回は海に行きたい。結局2回行った。
 花火も見に行ったな。

 ほかにも家族サービスはしていると思うが、そうこうしているうちに7月後半に怪我をしてしまった。
 この一ヶ月、何かと大変だった。自分の性格では、気疲れした方が大きかったかもしれない(苦笑)。
 それでも、日常的に生ずる実質的な不自由のフォローを何やかやとやり、手配もした。
 通勤がうまくいくか不安だったので一緒に経路をゆっくりと確認しに出かけ、ついでにランチと「スター・ウォーズ エピソードIII シスの復讐」を観てきた。これくらい許してよね。
 そうして、一ヶ月。ようやく家庭生活が元に戻り、仕事にも普通に復帰しつつある。

 この週末、親戚が小学生の甥を連れて陣中見舞いにやってきた。
 土曜に鎌倉大仏と長谷観音に行ってきた。わが子の昼寝前の運動(散歩)がてら、と言いつつ甥っ子とみんなで出かけることになった。朝早く出た割には、子どもの移動に時間がかかり、時々刻々、暑くなること。自分はかなり消耗した。帰ってからみんなで昼寝、うつらうつら。
 夜、親戚がいるときを見計らって眠った子どもを預け、子ども抜きで軽く飲みに出かける。わが町にはもったいなくも珍しく、日本酒の古酒を売りにしている店があり、飲みに行くときは常だ。実に旨く、楽しかった。
 ところが、今朝。久しぶりで飲み疲れたらしい。トシか…。親戚に子どもの世話を頼んで横になっていた。
 そういえば、飲んだ後帰宅してから昨夜半、日中中途半端に観た『ネバーランド』DVDの後半を観たんだった。このDVDは買ってきたばかり。親戚はジョニー・デップのファンになってしまっていたから、観直しは楽しんでくれた。自分でも発見が多かった。眠かったけれど。

 台風が近づいて前線が活動するようになり、雨も降ってきている。
 振り返れば単に暑いだけではない、大変な夏だった。でも、自分はまだ切り替えができていない感じ。
 そうは言っても休んだ分、仕事がたまっている…。

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2005.04.19

業務の配置換えになりました。

 仕事が変わると気分も変わりますね。ああ新しい年度だなって。
 これまで書き溜めていたものが続いていたので、報告が遅れました。
 おかげさまで、年度初めから研修がずっと続いていました。本格的に実地に使っていき始めるのも含めると、4月いっぱいはまだまだ新人気分が抜けないと思います。
 今度の仕事では新人、と言ってももう中堅の年代です。これまで十数年の間のいろいろなめぐり合わせの結果でしかないのですが、個人的に努力を重ねてきた割には業務経験としての「売り」がないのがつらい。ずっとつらい思いをしてきました。また、子どももできて、若い頃のように無思慮に仕事に全力投球だけしていればいいというわけにもいかなくなってきている。
 いずれにせよ、黙々とまずは仕事を覚えて、いろいろな提案はそれからだとは思っているのですが。いまの自分は、焦りは禁物、目の前の課題をひとつずつきちんと片付けていく。そんなところかな。

 今度の仕事は、以前からやってみたかった念願の仕事なので、家人とささやかに、酒盛りをしました。つらかった期間が長かったので、ともかくも嬉しかったんです。
 以前ブログでも紹介した、小千谷訪問で買ってきた珍味を肴に、日本酒「特別純米吟醸 山古志」。
 残念ながら「山古志」は口に合いませんでした。箱の解説を見ると、山古志村の棚田で作られた酒米「一本〆」で作られたとあります。お福酒造は長岡でも昔から有名な蔵ですが、これまでの付き合いからしてもどうも口に合わないみたいです。

 忙しい春の幕間でした。

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2005.03.25

小千谷に行って来ました。

 週末、長岡の実家に帰省。再び、子どもと親一人での旅程でした(前回の記事はこちら)。家人が土日出勤のため、孫にベタ惚れの母に子どもの世話を頼む悪い親です。
 子どもは「Maxとき号でおばあちゃんちに行ける」ことと「(絵本に出てくる)駅弁が食べられる」ことが楽しみだったようですが、車内でひとりで付き合う親の方は昼寝もしてくれないので、少々げっそり。
 しかし二人で新幹線窓外を見ていて、越後湯沢で軽い視覚的衝撃。またもや「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」。白主体のモノトーンの視野に、斜めに降る雪。長岡に着いてみると、晴れていたのですけれどね。
 着いてすぐに、雪遊び。先の記事にも書いたご近所のお兄ちゃん作成のかまくらが大きくなっていました。あとで人が集まるというので、床を深く広くする作業を手伝って、自分でも「ひとンちの雪掘り」楽しんでいました。
 たぶん、今週の気温と雨で溶けてしまったでしょうから、雪遊びをするにはちょうど最後の、いい機会だったと思います。

 翌日曜の午後には諸々理由があって一泊で帰宅する予定だったので、その午前中に父に頼んで小千谷に車を出してもらいました。父はついでに震源地の川口方面も行こうと言って出ました。
 地震以来、初めての小千谷行きです。
 実は小千谷は、自分が幼年時代を過ごした街です。はっきり書けば、両親が共働きだったために生後ご近所のおばあちゃんに預かってもらい、慈眼寺の隣の小千谷幼稚園に通い、市の総合体育館の隣の小千谷小学校に入ってから引越、転校しました。長岡に母の実家があったものですから、自分の「おばあちゃんち」に行くときは、あの崩落があった妙見堰のトンネルを通過する内側からの映像は当たり前のことのように視覚に焼き付いています。
 今回は、報道やネットでしか知らないあの小千谷を自分の目で見てみたかった。地震以来どころか、小千谷には中学に上がってからは訪れたことがありませんでしたから、もちろん変わったところがたくさんあるのは当然です。でも、変わらないところもたくさんあるようでした。それが、どうなっているのか…。

 幼稚園にまず行きました。幼稚園はなんと卒園式当日。なんだかラッキー。玄関から覗いた幼稚園のホールは覚えていたとおりで、正面の舞台では大昔なにかやった覚えもあります。園歌は覚えていなかったけれど、各クラスへ向かう廊下への入口に掲げられた園歌の額はそのままでした。
 隣の慈眼寺は雪で埋まっていましたが、ちょうど復興チャリティーイベントをやっていたので少しだけ寄付。時間とかちゃんと知っていればプロジェクトのシールも買ってきたんですが、正式な時間よりも早かったみたいです。
 そこから歩いていける市の総合体育館、隣の小学校に。小学校前には、引越直前の休みの日に、いじめっ子だったけれど仲は悪くなかった幼稚園の同級生と最後のお別れをした懐かしい記憶もあります。
 近くにあった小千谷市立図書館は休館日でした。

 魚沼神社を経由して、昔の住宅のあったところに。
 幼なじみの家に「30年前に○○ちゃんと遊んでいた者ですけど…」と顔を出したら、おばちゃんが覚えていてくれて、ひとしきりおしゃべり。
 隣の敷地が空き地になっていて1メートルほどの高さの積雪。その一画を指して、「地震のあと秋に新潟へ引っ越してしまいましたて」。この辺からだんだん、これまで知らなかった、雪の下に隠された地震の爪跡を目の当たりにしていくことになります。

 それから商店街、小千谷駅前を通り過ぎて震源地・川口へ。駅前くらいまではブルーシートの見えるよく知るような被災地でしたが、さらに上の集落へ。
 好天に恵まれて、魚沼三山がすばらしい光景でした。越後三山の名の方が知られていますね、(越後)駒ヶ岳、中ノ岳、そして八海山です。高校時代は登山部でしたから嬉しかったですよ。ああ、この風景を愛しているぞって心から思いました。
 子ども心に「小学校の校歌でいうほど小千谷から八海山って見えるのかなあ」と思っていたものでしたが、これならと納得しました(長岡からも見えるということも今回知った…恥)。
 しかし、美しい山々の遠景の手前、近景には、5メートルの積雪の下に崩壊した家屋があることは明白。白い雪は何もかにも隠してしまいます。本当に、心が痛みました。行く前から心が騒いだので、小千谷駅前で父に「なんで川口に行くのさ」と言っていたくらいでした。いまは雪の下にあってどうにも手が着けられませんが、雪解けとともに顕わになり、地滑りなどの二次災害が起こることは目に見えています。暗い気持ちになりました。

 センバ漬けを酒の肴にほしいと思ったので、小千谷駅前に戻り、土産物屋さんに寄ってずいぶん味噌漬けだの買い込んできました。センバ漬けは入手できず。工場のいくつかは壊滅しているとも聞きました。
 ちなみにここで購入した酒饅は最高にうまかったです。「しおり」から書き出しておきます。

 「酒饅頭ほくほく」菓子処さかたや(三島郡寺泊町)製造。
 北越北線開通記念に、「上善如水」と餡は県内産サツマイモ「ベニアズマ」を使用。

 酒を使った土産菓子でここまでうまいのは初めて。上善如水も酒そのものは酷評しか与えられないんだけど、これならいいです。
 自宅に帰宅してみると、土日出勤だった家人が高熱。というわけで、せっかく肴を買ってきたのに酒はお預け、今週はしばらく子どもの面倒を見ることになったという次第です。

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