Sherlock Holmes

2004.12.01

ホームズとブログ、ネット今昔

 ホームズの世界でブログってないかなぁ、と思っていて。これは、というところがありましたら海外でも教えてください。
 ブログの検索サイトを5つくらい試してみて、ヒットしたのがこちら。

ホームズ日記:ゲストブック

こんにちは。ホームズ日記にようこそ。

シャーロック・ホームズを研究するウェブサイト「シャーロッキアンへのはてしなき道」の更新履歴を書くために立ち上げたブログです。

 ひさしぶりに訪れてみたら、04/12/31(ン?いいのかな)の記事がゲストブック扱いになっているみたい。トラックバックさせていただきまーす。ウチは見切り発車で始めたんで、個人的備忘で雑多にすぎるんですけど…。

 自分で探しているくせ「ホームズのブログ」って何だよ、なんてことを改めて思って、さっき慌てて「はじめてのウェブログ」というところを見に行った。今日は時間もないのでつまみぐい程度。

 考えてみると日本では、ホームズの世界は紙媒体での業績がようやくひとまわりしてきているところだ。1977年に日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)が小林司・東山あかねご夫妻の「お誘い」により成立。80年代に出版された会員の労作や研究の基本書がここ10年ほどの間に再出版されて、きわめて入手しやすくなった(文庫化・新装版・再訳等々)。小林・東山もついに自ら訳した全集を出した。
 ネットワーク上ならではの発信は、日本ではここ数年になって充実したサイトを見るようになった気がする。ネットとホームズと言えば、95年前後のインターネットの急速な普及とほぼ同時に、海外では自分のような浅いファンでもコレはスゴイと思うサイトが既に立ち上がっていた。ホームズは著作権が切れているし(まだ青空文庫がなかった頃でもプロジェクト・グーテンベルクを身近に感じたものだ)、積極的な方はそれこそworld-wideな交流をしているから、まさにうってつけ。日本でもメーリングリストが比較的早い時期に開始されているものの、紙媒体での研究者達がそのまま同時にネットに参入するという印象は薄く、日本のホームズサイトの興亡は激しかったように思う。

 で、「ホームズでブログ」。
 ブログと日記は違う!という意見もあるそうで。ココログを備忘にしている自分が言うのも何ですけど、確かに、誰でもが採り上げるようなニュースを鸚鵡返しに引用して、一言コメントしているだけの記事に当たるとあちゃ〜と思ってしまうのは否めない。ドラえもんの声優さん交代とか…「日記」にしてもあなたの感想が書いてあったら嬉しいなあと思うんですよぅ。
 だから、「シャーロッキアンへのはてしなき道」と題したサイトの更新履歴を中心にブログにするってのは、ううん、なるほど。それもありだな、と思った次第。読んでいて楽しいです。
 要するに親サイトの雰囲気が好きなんですよね。デザインも、記事も。

 あーこのホームページ見ていて思い出した。グラナダ版DVD完全版買わないとなぁ。

【関連リンク】
 「シャーロッキアンへのはてしなき道」「The World of Holmes」のリンク集から充実したサイトが見つかります。下記は自分が知っている限りでのオススメ。

Sherlockian.Net Holmepage
 海外古参サイト。ここから主要な情報源にリンクが張ってある。
Camden House
 正典のテキストと英米の初出時イラストなど。美しく構成されている。

日本シャーロック・ホームズ・クラブ事務局
 入会案内と申込書のダウンロード。English ver.の方が、軽井沢追分にある立像解説や正典索引(分類あり!)など充実している。
The World of Holmes
 ここでしか読めない資料性の高い記事が満載。「「最初の挨拶」とサイト案内」をご覧ください。
しょうそう文学研究所
 乱歩・山中峯太郎研究も。日本語ホームページ下からリンクされている英語ページは、Shoso-in Bulletinのオンライン版を中核としている。

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2005.02.03

森薫『エマ』は「メイドもの」か?

 最初にことわり書き。
 すいません、今回の記事は、偏見とか差別的な観点が含まれてるだろうこと、自覚してます。不快な方がいたらごめんなさい。
 ただ、本筋は最初の一文にありますので、よろしくお願いいたします。

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 ところで森薫『エマ』をお読みになったことのあるみなさん、「エマってどんなマンガ?」と聞かれたらどう言ってますか?
 『エマ』を人に紹介するのに「正統派メイドマンガ」と言うと、誤解も受けるし、そもそも本当は適切じゃないような気が…。控えめに、わかりやすく、端的に言うとこう表現するしかないような気がしていたんだけど。
 ちょっと考えてみました。

 自分自身は、マンガとかアニメにしっかり免疫があるせいか、「メイドもの」といわれてもホームズの仲間に「あれはいいよー」と言われたらすっと読めた。
 そりゃ、作者森薫は正統派のメイドさんを書きたくて同人時代から書いてきたんだし(その世界ではオピニオンリーダー扱いされているようでもあり)、あとがきマンガでもメイドさんのあれこれにフェティシズムを開陳してますよね。日本のヲタクシーンにしか存在しない猫耳メイドさんとは一線を画します、ほんとのメイドの魅力わかるでしょ、という味が作品中に含まれているのはわかります。
 でも、「『エマ』という作品」で大事なのは、「正統派メイド」の「正統派」の部分なんじゃないかなあ。
 『エマ ヴィクトリアンガイド』に出ていたけれど、編集さんと「何やります?」と三択提示されて選んだのが「恋愛もの」だったんだから、「恋愛もの」でしょう。で、舞台を彼女が得意で大好きなメイドやヴィクトリア朝の階級社会をもってきた。でも、メインテーマは恋愛。

 「エマ」のオチ予想に、「エマがメイドでなくなっちゃったらダメだ(メイドマンガのアイデンティティが崩れる)」という意見があるんだけれど、考えてみると変。この主張の論拠は二つあると思う。
 ひとつは、「エマ=メイドもの」としてのこだわり。でも、この作品のテーマは「メイド」じゃなくて、「恋愛」でしょう。恋愛のケリのつけ方によっては、エマがメイドでなくなる可能性は充分にある。
 もうひとつは、確かに、歴史的な階級社会が舞台背景にあって、考証(というかウンチクか)が魅力なのは間違いない。でも、考証の上でのフィクション、"ブリティッシュ・ロマンス"なんだからさ。歴史的にメイドがのし上がったら間違いだ、と言い出したらきりがない(ここでNHKの大河ドラマとか出してきたりしたらダメですかね)。もちろん、安易に階級の壁を飛び越えちゃったらつまらないですけど。ストーリーの構成、恋愛の障害、そして様々な視覚的な描写。よく時代の雰囲気出ていると思いませんか。
 前者の理由で言ってたら「『エマ』はメイドものでなくてはならない」んでしょうが、後者の理由で言ってたら同じ「メイドもの」でも、こだわっているところが違う。後者の人に「でもさ、ともあれ「エマ」ってジャンルとしては何なの?」と聞いてみたくなる。

 じゃあキミは何て説明すんのさ、って言われたら。やっぱり「"正統派"メイドもの」と言うしかないのか?

 ホームズの同人仲間の中でも、マンガに免疫がない人もいる。だから、自分も含めて最初はまずは資料として「ヴィクトリアンガイド」購入まではいく。しかし皆が皆、本編に食指が伸びるかというかというと、最初は抵抗感があるらしい。
 ところが、元々文学系の趣味の集まりというのは「同人」的な素地がそもそもあるというか(トートロジーですかね)、自分の領分ではないはずの「メイドさん」偏見も乗り越えられるところがあるようだ。ホームズのお仲間3人にエマ本編を勧めたが(いずれもそんなにどっぷりとマンガは読まない。ホームズ関係でお金なくなっちゃうので)、読む前の「えっ…いいよぉ」という声は、賞賛に変わった。
 ホームズのパロディ・パスティッシュには、商業作品にも、ストーリーも考証ももっとひどいものがある。そういう目からすると、森薫『エマ』は「よく描写されているよね」ということに。考証という点では、ホームズのような中流階級の視点ではなく、むしろ下層階級の世界が描写されていることの方が新鮮だろう。ホームズのファンには、当時の歴史や文学に非常に詳しい人もいれば、詳しくない人も多いから(ハーイ、自分がソウデス)。あとは登場人物に入り込めるかどうかで、好みが出てくるだろうか。
 ホームズ・ファンの間では間違いなく、「ヴィクトリア朝恋愛もの」。"ヴィクトリアン・ロマンス"(!)なんだろうな(つまんない結論ですみません)。

 実は、この記事書くきっかけ。3人とも説得するの大変だったからなんですよ。ホームズ・ファンてのはたいてい、ヴィクトリア朝関係だったら何でも親和性があるもんなんですけど…。マンガやアニメに抵抗があるとは限らないはずなんですけど…。これ、性別・世代まったく関係ないんですよね(ちなみに年輩の方が「ねえ、手塚治虫漫画全集のDVD…どうする?」などとおっしゃるのはざらで、その成果のひとつが水野雅士『手塚治虫とコナン・ドイル』だろう)。
 一人めは、ぱらっとめくって「『ヨコハマ買い出し紀行』に似てるね」と言った後、わが家に投宿中に布団の中で読み出したら止まらなくなって一晩で読みきり、朝になったら眠い目をこすりながら宗旨変え。
 二人めは、「まあ買わなくてもいいですから」と貸し出したら、お嬢さんと一緒になっていいよねと。
 三人めは、ひさしぶりに会って食事後に大書店に行って。「絶対損はしないと思うけど、もし気に入らなかったら2冊目として全部自分が引き取るからさ」と全冊買い(本の収集はちゃんとする人なので、丹念に帯含めきれいな本を選んでいたから、自分としては保存用に本当に引き取りたいくらい)。その後恋愛ものとしての感想を報告いただいている。
 いかに「メイドもの」という呼び方が損をしているか。まあ、損しているのがいったい誰なのか、と思うと変な話。

 「ヴィクトリア朝恋愛もの」という言い方で通用するかわからない。もうちょっと普通に言うと、「歴史大河もの」なんだろうか。なんか違う気がする…。
 やっぱり「"正統派"メイドもの」と言うしかないのかなあ。ブリティッシュ・ロマンス転じて「英國戀物語」?
 ねえ、みなさん。何て言って紹介してますか?

参考 空間コミックビーム:大場渉の空間 2004.4.20を参照。
 森薫自身のHPの日記にもこの話題、あったような。権威づけのために参照してるんじゃなくて、ヴィクトリア朝文化の振興という観点で評価されている、ということが言いたいだけです。

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2005.02.28

"Finding Neverland"―ネバーランド

 ネタ切れと書き疲れもあって、そろそろまた休止宣言しようと思っているのですが。
 コメントいただいたり、トラックバックありがとうございます。とても嬉しいです。
 レス、のんびりですが書かせていただきますね。

 このブログの普段のスタイルは、日記形式ではなく、一度書いておいたものを寝かせておくことの方が多いことは、よくおいでの方はご存知かと思います。
 ところが今日は、書いておきたいことがありまして。記憶が鮮明なうちに書いてしまいますね。レス前にすんません。

 本当にひさしぶりに映画を見てきました。
 邦題「ネバーランド」、"Finding Neverland"です。
 感動してきました。オススメもできる映画です。

 『ピーターパンとウェンディ』戯曲制作を背景にした、ジェームズ・M・バリとピーターのモデルになった家族達との実話を元に脚色したもののようです。

 時代設定が1903年で、ヴィクトリア朝にひっかかってるもんだから、ホームズ・ファンとしては課題映画なもんで。
 それとはまったく関係なく、映画好きの家人が息子と自分が実家行きの間に観に行って、涙流してよかったと。
 この手のホームズ関係映画を全部見始めていたらきりがないし、一方で良作ならばDVDとして手許に置きたいじゃないですか。だから、実際に映画館に足を運ぶまでもなく、資料のために「映画パンフ」だけは観に行ったら買ってきてくれ、と言っているんですが、家人は相当に感動しないと買わない質でして。
 気分転換も図って、足を向けたわけです(パンフ購入以外に実はもうひとつ、夏公開の『劇場版・機動戦士Ζガンダム 第一部・星を継ぐ者』の特典付前売券購入という理由もあったからなのですが)。

 映画そのものの評は、ほかのお詳しいところに譲ります。
 自分の感想の前置きに、ストーリーをざっと。
 バリの演劇がスランプ気味。そこへ、いつもネタを探しに行っていた公園に(社交の場でもあるのでしょう)、息子たちを連れたご婦人が来ていて、急速に仲良くなっていく。
 その中のピーターという男の子が、バリは自分自身に似ている気がしてならない。ピーターは父を亡くしたことに傷ついていて、芝居のような世界はウソと決めつけて、自分は大人になるのだ、と。
 彼らとの付き合いの中で、戯曲「ピーターパン」は描かれていくのですが、そのこと自体は観客には既知のものとして表にほとんど出てきません。
 むしろ、バリがその子どもたち一家に入れ込んでいくことで、そもそもの奥方とうまくいかなくなったり、子どもたちの母親との関係が社交界で悪い噂になったり、…ああでもこんなことは外側のことなんだな。

 大事なことは、Neverlandは本当にある。空想すれば本当にそこにあるんだ、というメッセージと、それと関わって、家族であること、大人になることが絡めて描かれているところにありました。
 子役なしにはこの映画は成り立ちません。子どもたちもバリも、交流していく中で人生の新たな息吹を得ていく。互いに必要な存在になっていく。
 勝手な感想ですが、親ともなる世代になってみて、今の家族のこと、自分の子どもの頃のこと、自分の親のこと…諸々考える時期が来ているだけにね、いい映画を見たなあという気になったんじゃないかと思います。
 悲しい現実を前にするからこそ大人になりながら、信じることの大切さを大事にして今を生きていこうとする。最後のシーンが近づくにつれ、もう劇場内はやさしい涙が流れている気配が、あちこちでしていましたよ。女性の涙ばかりじゃなかった模様。
 ただただお涙ちょうだいの映画じゃなかったです。少なくとも、恋愛映画じゃないですからね。
 音楽も含め、映画全体の作りが穏やかで美しく感じられました。もちろん、英国風のロケは素晴らしいし。
 うーん、…うまく書けてない気がするな。なにかしら、伝わってますかね。

 パンフを見たらヘエと思わせるキャストで嬉しくなりました。
 バリ役はジョニー・デップ。映画オンチで知らないのですが、過去の経歴だけ見るとこんな落ち着いた役は珍しいんじゃないかな。映画全体の雰囲気にすごくよくはまってました。
 若き未亡人役はケイト・ウィンスレット。タイタニックのヒロインで有名らしいですね。パンフのインタビューにも出てましたけれど、結婚して実際の母親になったことが演技にしっかり影響を与えたとか、そのとおりだと思います。うわついた感じ全然しないんだもん。
 ほかの主要な脇役も実力派ばかりだったという印象です。
 ダスティン・ホフマンが味のある脇役でしっかり出ていたのに気がつかなかったのは、くやしかったですね。

 コナン・ドイルがバリに話しかける役で出てくるのですが、画面を見ているだけじゃわからなかったです。
 これで宿題は達成、DVD購入は決定だな。

 しかし、映画も何カ月ぶりかしらん。
 もしかすると「赤毛のアン第3部・アンの結婚」以来まともな映画は観に行っていない。
 そういや、ロードオブザリング第1部と第3部だけは観に行ったか(「キャシャーン」はカウント外!間違い!あんなんだったら「キューティーハニー」観てスカッとしておけばよかった!)。
 次はスター・ウォーズエピソードIIIは観に行きたいんですが、いまは子育てを楽しみにしないといけないのでしょうなあ。

 その意味でも、家族で話題にできるいい映画でした。

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2006.01.12

目次:新井潤美『不機嫌なメアリー・ポピンズ』

※2006.1.20.にアップ。1.12.には読了。

不機嫌なメアリー・ポピンズ イギリス小説と映画から読む「階級」
新井潤美
平凡社新書, 2005.5

I ラヴ・コメディ今昔

嫌われるヒロイン?―ジェイン・オースティン『エマ』
 ジェイン・オースティンという作家
 オースティンのもっともスノビッシュなヒロイン
 微妙な階級差へのこだわり
 私生児は「問題なし」
 「憎めないお嬢さん」としてのエマ
 ビヴァリー・ヒルズ版『エマ』の『クルーレス』
 ここが違う、パルトロウ版『エマ』

エリザベス・ベネットが九〇年代のロンドンにいたなら?―ヘレン・フィールディング『ブリジット・ジョーンズの日記』
 『ブリジット・ジョーンズ』と『高慢と偏見』
 翻案としての映画版
 「ジェントルマン」とは
 階級の「目印」―Uとnon-U
 取り去られた「目印」、残された「目印」

II 働く女たち

逆境の淑女、ガヴァネス―シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』
 大衆文化と『サウンド・オブ・ミュージック』
 雇い主とのロマンス
 「ガヴァネス」という身分
 不敵なガヴァネス
 奔放な性格のバックグラウンドは
 読者を満足させた穏便で理想的な結末

なぜナニーは不機嫌なのか―P・L・トラヴァーズ『メアリー・ポピンズ』
 ガヴァネス的英語
 イギリスの「ナニー」
 ロウアー・クラスの女性は母性本能が強い?
 なぜ子供の養育を他人に任せるのか
 メアリー・ポピンズはナニーの典型
 ナニーと子供たちの別れ
 児童文学と階級
 ナニーという大きな存在

コンパニオンから女主人へ―ダフネ・デュ・モーリア『レベッカ』
 名前のないヒロイン
 階級とコンパニオンという仕事
 主人を悩ませる「使用人問題」
 投影された作者の「使用人問題」
 嫉妬と誤解
 「殺人」から「事故」へのハッピーエンド

III 階級と男たち

ジェントルマンと教育―チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』
 親の階級を超える子供たち
 インテリではないアッパー・クラス
 階級と教育
 ピップの話し方の謎
 ディケンズ作品映画のひそかな見どころ
 階級社会のメロドラマと子供の出世
 そしてディケンズの子孫も

愛を勝ちとる「格下の男」―E・M・フォースター『眺めのいい部屋』
 イギリス人の観光客
 ワーズワースと「習い覚えた嗜好」
 「海外のイギリス人」のステレオタイプ
 観光客どうしの階級の溝
 階級と郊外という場所
 ヒロインをとりまく二人の男
 細やかに描かれたミドル・クラスのスノビズム

「手の届かない女」への偏執―ジョン・ファウルズ『コレクター』
 ある練習問題
 『コレクター』のストーリー
 なぜ映画化が難しいか
 ロウアー・ミドル・クラスという「喜劇的手法」
 主人公はどのような「口調」で描かれているか
 主人公と対照的なヒロインの言葉
 描かれなかった階級的要素と、変容

IV イギリス人が異世界を描けば

「ユートピア」は階級社会の行く末?―H・G・ウェルズ『タイム・マシン』
 階級とともに語られる作家
 ウェルズという作家
 ウェルズとマルクス主義
 作品に投影された階級観
 映画化作品と「時代の関心」

悪の権化はなぜ「フツーの人」になったのか?―アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』
 不満だらけの映画化作品
 映画化作品のストーリー
 なぜ結末が違うのか
 「ステレオタイプ」からの脱却と言葉づかい
 隠語と言葉遊び
 『時計じかけのオレンジ』でのしかけ
 階級を超えた主人公
 悪の権化の「成長」が示すもの

魔法使いにも階級がある―J・K・ロウリング『ハリー・ポッター』
 イギリス児童文学と「学校もの」
 パブリック・スクールは地獄?
 ミドル・クラス層の増大と「学校もの」の隆盛
 「別の世界」への憧れ
 日英でのとらえ方のズレ
 配役とアクセント

V マイノリティたちのイギリス

日系作家の描いた「古きよきイギリス」―カズオ・イシグロ『日の名残り』
 現代バトラー事情
 舞台のバトラー
 イシグロのニッポン描写
 「型」で書かれた『日の名残り』
 イシグロの「無国籍性」
 「本物のイギリス」像へ

「新しいイギリス人」と越境する新世代―ハニーフ・クレイシ『郊外のブッダ』ほか
 ウェスト・エンドの劇場で
 多文化国家イギリス
 「サバービア」という舞台
 新しいミドル・クラスたち
 越境する新世代

あとがき
主な参考文献

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2006.01.13

小説エマ 1・2 (1)

Emma_Novel1 ※2006.1.13.に書きかけ。1.20.にアップ。

 ヴィクトリア熱というか。北原尚彦氏の小説第2巻解説は共感した一文。
 森薫『エマ』のおかげでヴィクトリア朝再入門といった趣きだ。昨年は随分と本を買い込んだ。年末年始に雑多な未整理の山に手を着けてやっと、昨年はエマの年だったなぁと実感する始末。気分転換にとポツポツと読み始めているが、なかなか意外な刺激がある。
 久美沙織の筆による小説には、とっつきにくい印象が残っていた。第1巻を手にした時点では。それが、たまたま第2巻から読み出したら、読める読める。ありゃ面白いや、と第1巻に戻ると、確かに違和感があって。1巻から素直に入ると続かなかったかも。これは不幸だ…。
 小説第2巻が面白いのは元々対応する原作の第2巻が盛り上がるストーリーだということもある。クライマックスがあるし、構成にもリズムがある。しかしその上でこの小説は、北原氏おっしゃるように「ヴィクトリア朝小説」として読んで面白いなぁと。ヴィクトリア朝が舞台という意味だけでなく、「あの時代の読み物」風。そこで第2巻は面白く読めたのだ。
 ホームズ物語の英語はよくも悪くもあの時代のもので構文が格式張っているらしいし、物語の構成も当時の典型的なスタイルと聞く。ドイルは書き手としては光るものがなかったのかもしれないが、叙景的な描写はともかくよく出てくる。ディケンズやらスティーヴンスンを同列に並べては違和感のある向きもあろうが、叙景にしろ叙情にしろあのくどくどしい感じが似ていると思う。
 そう、ヴィクトリア朝小説としての小説エマ。2巻は確かに、久美節は「幸せな結婚」を見せているように思う。長い叙景や叙情は波長が合わないとクドく感じるが、読めるときは流れるように描写が頭の中に流れ込んでくる。

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2006.01.14

小説エマ 1・2 (2)

Emma_Novel2  承前。

 原作と対比して、久美節の個性は3つの面に感じられた。一つは、登場人物の性格造形。一つは、感情や内面の描写(叙情)。一つは、当時の社会の背景描写(叙景)。
  第1巻解説で村上リコ氏が書いている。「久美さんが執筆を進めるにあたって、一度、映像資料のおすすめをするメールのやり取りをさせていただきました。一 九世紀ロンドンの情景を「視る」ために―という言葉を彼女は使いました。久美さんは心の眼で「視て」書く方なのですね。…(中略)…情景、音、匂いのみな らず、人々の心の動きまでも克明に、その世界にあるものとして幻視させてくれる文章がここにはあります」。
 そうなのだな。逆に言えば、原作のマ ンガは、ただただ淡々と心の内奥も何も語りもせず、音も立てずにカットの連続で描写していく。あのやわらかなタッチと繊細な凝りようが、たまらないのだ が。それは文章ではむしろできないことだ。むしろまた、マンガの描写は突き放しているとさえ思う。描写が意味するところが何であるか、そこがどこか、映っ ている服装とか、作法とか、モノが何か、その中での心情の推移とか。そこに、久美沙織の筆の入る余地があった。例えばモノが何か、森薫は自分の思い入れを 込めて丹念に書き込むけれども、わからない読者にはわからない。重要な描写であったとしても。文章は、そこに焦点を当てて書かないわけにはいかない。そこ で単なる書き起こしに負けていない、久美沙織の「視線」の個性が表れていたと思う。
 ある意味ではクドクドしいところがある「ホームズ物語」を、 人物の会話部分だけ取り出して分析的に読む人々がいるそうだ。この小説エマでも、そんなふうに読んでいる自分を意識した。というのも、心情描写のために、 改めて伏線や流れを作っているところがあり、マンガで描かれている場面の前後をうまく書いている。内心の声も含めて。その肉付け、ふくらませ方は、自分は 悪くないと思った。
 ただ、性格造型は久美沙織独特の領域があって。特にハキムである。第1巻は何とはなしに、マンガからの「逸脱」と感じさせる 描写が多かったように思う。残念ながら原作ノヴェライズの場合、読者の既存のイメージがあるから、そこでズレを生じさせると損だ。おそらく、第2巻を書く 時点ではアニメも終盤にさしかかり、確かにアニメ化をきっかけとしたノヴェライズだったのだろうけれど、広い意味での「エマ」ファン(数多く関わった作り 手を含む)のもつイメージがつかみやすくなっていたのだろう。うまく軌道修正できたのではないだろうか。

 この小説を、「ヴィクトリア朝を勉強しました!」という饒舌さに辟易して読めない、という人は多いようだ。自分はしかし、第2巻から読んでみたら 小説として成り立っているように感じた。終盤に差しかかるにつれて「くそー、またうまく泣けるように書いてある…」と久美節のよさを感じた。アニメ第12 話も、小説第2巻も、マンガの第2巻が少々物足りなく感じるくらいだ。
 そういった熱くさせる何かがあって、「その背景を知りたい」と思わせられ たのである。背景となったその時代にだって、人は生きていて。その無名な人々の一人一人だからこそ、『エマ』に登場する人々は魅力的なのだろうから。まさ に自分にとっては、「ヴィクトリア朝小説」である。

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2006.01.21

目次:本田毅彦『大英帝国の大事典作り』

大英帝国の大事典作り
本田毅彦
講談社選書メチエ, 2005.11

序章 イギリス社会における「知」のインフラ―辞書・事典作りの伝統

第一章 『ブリタニカ百科事典』歴史
 第一節 一八世紀という時代
 第二節 『サイクロピーディア』から『百科全書』へ
 第三節 『ブリタニカ』

第二章 『オックスフォード英語辞典』の歴史
 第一節 イギリスにおける辞書編纂の歴史
 第二節 グリム兄弟と『ドイツ語辞典』
 第三節 ジェイムズ・マリーと『OED』
 第四節 『OED』に対する、現在の視点からの評価・批判

第三章 『イギリス国民伝記辞典』の歴史
 第一節 イギリス人と伝記―ジョン・オーブリーからレズリー・スティーヴンへ
 第二節 レズリー・スティーヴンの生涯
 第三節 スティーヴンと『DNB』

第四章 三つの辞書・事典の現状と将来

あとがき

人名索引

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2006.01.24

目次:小林章夫『召使いたちの大英帝国』

召使いたちの大英帝国
小林章夫
洋泉社新書, 2005.7

プロローグ
家事使用人が多くいた 使用人はなぜイギリスが本場なのか 執事はイギリス的職業?

第1章 広大な使用人の世界―執事から従僕まで
イギリスは、召使いにとっては煉獄? 使用人の頂点に立つ執事 主人と見分けがつかない召使い頭 フランス人シェフとイギリス料理 バトラーの仕事は酒の管理から 「ジェントルマン付きのジェントルマン」、従者 長身でハンサムなフットマン

第2章 女使用人たちの仕事
「うるさ型」の怖いハウスキーパー 若くて従順な小間使いは奥様専用 「ミセス」と呼ばれた女性料理人 育児室の主、乳母 目が回るほど忙しい女中 他にもまだまだいた召使いたち

第3章 使用人部屋の世界を覗いてみれば
膨大な経費で使用人を雇う 使用人たちの年俸はいくらぐらいだったのか? 福利厚生が充実していた使用人 使用人の余得―チップと付け届け ちょっと息抜き 使用人の一日を覗く 何歳から働くか 召使いたちの退職後の生活

第4章 主人もさまざま、使用人もさまざま
一二匹の犬を食卓に座らせた主人 エキセントリックな主人の奇矯な振る舞い 思いやりのあるご主人も…… 『召使いへの忠告』 手抜きの方法教えます 赤ん坊を落としても知らん顔 上手にチップを手に入れる方法 いい召使いを雇うには?

第5章 貞操の危機―主人と使用人の緊張した関係
小間使いパミラのシンデレラ物語 『パミラ』のパロディ―男を手玉に取るシャミラ 愛人から売春婦になった女性召使い 召使い部屋は危険な場所 女も誘惑する 女中と夫を関係させる奥様 使用人との幸せな結婚 主人と召使いの同性愛

第6章 使用人と新天地
黒人少年売ります 召使いか?奴隷か? 海を渡る召使い 有名無実だった年季奉公契約 オーストラリアへ渡る人々 厚遇されたイギリスの召使い 召使いの上手な使い方

第7章 貴族の没落と召使いの変化
土地に頼って生きる貴族 貴族が没落していく 中産階級も召使いを雇うようになる 新しい召使い―運転手 よい召使いとはどのようなものか 過酷な条件で暮らす召使い 使用人世界の階級制度が消えていく

第8章 現代使用人事情
サーヴィス産業の発達と新たな使用人 どっこい、ナニーは生きている 女性の憧れの的、ナニー養成学校 執事もまた生き続ける ニュービジネス、執事養成学校 住み込みからパートの時代へ

エピローグ
家事労働は減ったのか 住宅事情が使用人を減らす 使用人は魅力的な職業だった

参考文献
あとがき

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目次:南條竹則『ドリトル先生の英国』

※感想はこちら

ドリトル先生の英国
南條竹則
文春新書, 2000.10

はじめに
名前について

第一章 博物学者
発端―物語の生い立ち 沼のほとりのパドルビー ドリトル先生の家 先生の庭 博物学者 ドリトル先生と進化論 もう一人の博物学者

第二章 興業の世界
ドリトル先生の金銭感覚 珍獣オシツオサレツ 「ブロッサム・サーカス」 パドルビーのだんまり芝居 「パンチとジュディー」の犬 にせ医者《ブラウン医学博士》 「カナリア・オペラ」 ドリトル先生とパガニーニ 画家モーランド

第三章 ドリトル家の食卓
楽しい台所 「古英国卓上暦」 先生の好物 美食家ガブガブ オランダボウフウの謎 『ガブガブの書』 町の名物 アブラミのお菓子 菜食と肉食について

第四章 ドリトル先生と女性
独身者 先生の家族構成 ドリトル先生は女嫌い? ヴィクトリア朝と女性 "新しい女"ピピネラ 白ネズミの恋人 オットセイとの駆け落ち

第五章 ドリトル先生と階級社会
靴屋主人との合奏 猫肉屋 世捨て人のルカ 貝ほりのジョー 治安判事ウィリアム・ピーボディ卿 動物にも階級あり スズメのべらんめえ イースト・エンドのドリトル先生 「無料骨店」その他 「ネズミ・クラブ」

第六章 世界の友
ジョリキンキの王子 ドリトル先生のライヴァル ファンティポのココ王 神秘の国・日本 植民地主義 月の巨人

第七章 ドリトル先生と聖書の世界
秘密の湖 ノアの方舟 アジアからきた外国人 フランチェスコ聖者との似より あまねき愛

あとがき―ドリトル先生の訳者―

参考文献
図版一覧

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2006.01.26

感想:南條竹則『ドリトル先生の英国』

DollitleinBritain ・目次はこちら
・子どもの頃熱中した。が、最後の数巻は未読。数年前、差別語狩りに遭うと聞いて、岩波少年文庫版を中古で購入してある。
・図に採られた作者ロフティング自身の手になる挿絵に惚れ直す。自分が最初に出会ったのは、学研の児童文学全集に収められた『航海記』で、水上勉の絵だった!これまた魅力的だった。実家に残ってるかな…。
・「ドリトル先生物語」もまた、19世紀イギリスのジェントリの話だった。ドリトル先生は全然ジェントリらしくないが、やはりその歴史的社会的背景を知って読み込むというのは非常に興味深い。これぞ知識人、大人の子ども読み!という感じ。大人になっても、なったからこそ、作品への愛情がじわぁっと伝わってきた本だった。訳に携わった石井桃子、井伏鱒二についてあとがきでまで語ってくれているが、これ「あとがき」じゃないよ絶対。
『ガブガブの本』、ほしくなった!南條さんの訳。いい仕事してる。こういうの見ると、出版産業って金儲けだけじゃ絶対やれないよなーと思う。

・第一章 第一次大戦下1920年代の執筆。パドルビーがどこか。ロフティングは1886.1.14.バークシャーのメイドゥンヘッド生(ロンドンから近い)。家と庭に見るジェントリとその逸脱者の生活。博物学・進化論の時代(1828年ロンドン動物園inリージェント・パーク)。『航海記』の始まりは1839年に設定、ダーウィン以前(『種の起源』1859年)。
・第二章 「ハーレクインの無言劇」に必ず出てくるパンタローネ、アルレッキーノ、…、コロンビーナ(どこかで耳に…)。「パンチとジュディー」に必ず出てくる犬トビー(トビーはホームズに出てくる犬の名前)。quacksalver(『閃光のハサウェイ』)。ビーチャムの丸薬。パガニーニ。
・第三章 平田禿木『古英国卓上暦』四季折々の英国定番の美味。ウミガメのスープ(『エマ』)。パセリならぬオランダボウフウの訳。アニメ版ジャングル大帝をひきつつ「ドリトル先生は菜食主義者ではない」。
・第四章 英国と独身者(『独身者の思想史』)。
・第五章 『航海記』1923年ニューベリー児童文学賞受賞。スタビンズ君は下層階級の出。猫肉屋と『ロンドンの街の声』。上流階級の狐狩り。動物たちに描き出された階級意識、ことば。ジャック・ロンドン『どん底のひとびと』。「貧乏犬のためのイースト・エンド無料骨店」「引退した辻馬車馬、荷馬車馬の会」「雑種犬ホーム」。「ネズミ・クラブ」の会員は初め五十匹だったのが、ネズミ算式に増えて五千匹になった。Mooniversary。
・第六章 バンポはオックスフォード大。ドリトル先生の博愛主義の困難。月の三部作にみるラヴクラフトの「宇宙的恐怖」。
・第七章 『秘密の湖』の文学的失敗。ノアと旧世界への絶望。マシュツ王=ヒトラー。コールリッジの詩によるしめくくり。

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