旅行・地域

2004.11.09

ぽざまんブログ、地震で大活躍

 地震があった。自分の出身が新潟なので、最近わさわさしていた。
 関連して、ぽざまんBLOGを紹介。

 「ぽざまん」とは元々、MacのPozerという人体3Dソフトを使ったマンガを掲載しているホームページ。大したものではないのだけど「一応18禁」。念のためホームページへの直接のリンクはしないでおく。今回紹介するのはその日記ブログの方。本家ホームページも見たい方はブログの方からとべるので、どうぞ(よろしければぜひぜひ)。
 ぽざまんの管理人さんが同じ県の出身とわかってからは親近感も沸くようになり(ホームページのみの時代からですよん)、ブログが始まってからはよく覗くようになっていた。ホームページ由来のおふざけ具合が好きで、例えばJoJo立ちのネタとかね。ここで紹介されているPoser仲間である全力HPの「ラジオJoJo体操第一フラッシュ」には大爆笑。

 で、地震である。
 ぽざまんブログの「華氏911」評を読んで、おや普段のオチャラケとは違う。ふうむなるほどなあと思っていたら。
 地震で大変身。
 管理人さんのご兄弟が小国町におられるのだが、この地域については地震直後からしばらくの間、きちんと整理された情報がなかった。
 そこで、ご当人は東京都内におられるにもかかわらず(ご自身の出身地でもない!)、Web上に散らばった草の根発の情報を集めてきて、小国町の地震関連情報としてまとめ、発信しておられたのだ。リンク先は最終版。小国町が自ら情報発信を始めるようになるまでの臨時措置となったが、小国町に親類縁者がいる遠方の人々には感謝されたにちがいない。地図なんかものすごくわかりやすい。

 自分も遠方でやきもきしていたが、現地入りして自分の目で実態を見聞したおかげで、いまは多少の余震でも安心できている。それまでは、本震直後の二日ほどは充分に連絡も取れなかったし、続く大きな余震を東京で感じたときには、頭痛と吐き気に悩まされたほどだ。あとで聞けば現地ではひどい揺れでも冷静だったというのに、「知らない」ということがいかに不安を煽るものか。
 マスコミはひどいところばかり映す上にそれがどんな位置付けなのか正確な情報を言わない。例えば道路が壊れた映像なら、それがどこなのか、通れるのか。ほかの道路の被害から見てどの程度のものなのか。彼らが現地入りして見知った範囲でもいいのだ。それどころか、同じ映像を繰り返し繰り返し流す。時間が経ってきたら追加情報と組み合わせるとかしろよなあ。役立たず…。
 さらに、マスコミは現地でひどい所業をしていたらしいという話もいくつか、現地発の書き込みがネット上では見つかる。真贋はご自身でご判断ください。例えばぽざまんブログではここ。直後に乗り込んだ某局レポーターの一人は学生時代の同級生だったり、他人事ではなかった。アイツ、性格悪いんだもの…。

 今年はブログ大隆盛の年だと思ったら、今回の地震で大活躍。
 阪神大震災のときもWebの効用が目立ったというが、今回は自分も、高校時代の同級生が立ち上げていた掲示板や、まちBBS等々で現地情報を得ることができた。ネットの力を改めて実感した。
 ぽざまんブログでのデジタルデバイドアナログデバイドの話も、うんうんとうなづきながら読んでいる。阪神大震災当時と比べれば今回は行政や公共交通機関のネットへの情報発信は格段に違っていただろう。不満も残るけどね。
 それにしても加茂市、どうなってたんでしょうねえ。ぽざまんブログの管理人さんの嘆息は、よくわかる気がしますよ。

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2004.11.12

今年の冬は新潟の酒を飲んでください。

余震の中、立ち上がる地場産業…「久保田」蔵元再興へ(Yahoo!ニュース)

 酒どころ越後のブランド地酒として、全国に数多くのファンを持つ「久保田」。その蔵元で、新潟県中越地震の直撃を受けた朝日酒造(越路町)が、中断していた酒の出荷を一部再開した。

(中略)

 前日の本震で、越路町は震度6弱を観測。昨年仕込んで出荷直前だった1万5000本の半分近くが、瓶が割れたり、ラベルが汚れたりして、出荷できなくなっていた。電気は6日間復旧せず、厳格な温度管理が必要なもろみは、「発酵しすぎて泡が吹き出していた」という。平沢修社長(56)は、「中途半端なものは出さない」と、9月から仕込んでいた酒については、すべての廃棄を決めた。一升瓶にして数十万本分だった。

 174年の歴史を持つ名門酒蔵の危機に、160人の社員は打ちひしがれた。しかし、本震から2日たったころから、「また『久保田』を飲みたい」という激励の手紙が全国のファンから届き始めた。電話が通じるようになると、ファクスも加わり、その数はゆうに100通を超えた。「ガンバレ」と毛筆で大書された手紙は、コピーして社内の各部署に配られ、社員を鼓舞した。

(後略)


 新潟を出て、学生時代。田舎の酒をもってきては故郷に思いを馳せた。
 就職のときに地元に帰れず東京に決まったとき、「冷蔵庫の中にふるさとはある」と心慰めた。

 本ブログでも以前紹介した朝日酒造の「久保田碧寿」は、そんな思い入れのある一本だ。
 だから、今回の地震で「久保田、壊滅的打撃」という報道が出たときは、なんだかショックだった。実家に帰ったとき、先のエントリでも書いた「いつものお店」に寄ることができたので、その酒販店さんと朝日酒造を支援する気持ちもあって(もちろん自分の分もほしかったのだが)、久保田の碧寿を数本確保してきた。
 その後、復活の報道を聞いて嬉しくなって、このエントリを書いている。
 まあ実家の親は「朝日酒造は優良企業だから大丈夫さぁ」と言っていたし、地元マスコミに勤める親戚のところにも朝日酒造から「万単位で瓶が割れたのは事実ですが、タンクは大丈夫でした」というFAXが入ったという話も聞いていたのだけれど。

 しかし、ほかの小さな蔵がどうなっているか。
 「久保田碧寿」の一本と「お福正宗」をそれぞれ、職場で酒を教えてもらった、もう退職された方お二人にお送りした。「今年の冬は新潟の酒を飲んでください」と手紙をつけて。新潟を贔屓にしてくださっているオバサマからは自分と実家を心配してくれる電話が届き、東北で元気にやっているオジサンからは自分と仲間で作ったという米と手紙が届いた。
 このお二方には確実に、「気持ち」が届いたという気がして、嬉しかった。

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2004.11.13

震災、思い出の風景は

 山古志出身の方のこんな生々しい報告がある。

たけぱんだな日々: 新潟中越地震 山古志から脱出してきた兄からの情報(個人的情報発信 7)

現地での実際の経緯は山兄Sによると以下の感じらしいです。

・虫亀地区は地震直後、他の地区につながる道がすべて寸断。
(埋まったのではなく、崩れてなくなったとのこと。)
・虫亀地区での家の全倒壊はなし。ただ、小屋の半壊はいくつもあった。
・実家、および山兄Sの自宅は崩壊を免れた。が、たぶんもう住めない。
(中略)
・山古志役場にあった震度計は8まで測れるが、それを振り切った状態で壊れていた。
・たけぱんだが見て育った景色はもうない。たぶん見たらショックを受けると思う。


 「見て育った景色はもうない。見たらショックを受けると思う」なんて…。
 地震で自分の実家のことだけで手一杯、あわただしく情報収集していた中で見つけた記述だったが、胸に迫るものがある。
 そうして自分の風景を、思い出す。

 蓬平温泉は本震当初、地区で火災があったが橋が落ちて消防車が入れず大変だったという報道があった。
 蓬平には高龍神社という地域に親しまれた神社がある。近隣市町村の小学校の運動会の応援歌には必ず出てくるようだ(こーりゅうじんじゃのかんぬしが〜おーみくじひいてーもうすには〜…)。元旦、近所の方に誘われてそのときだけお参りに行くのだが、近年エレベータがついたというほどの急階段がある。これも壊れて登れなくなっているそうだ。
 蓬平の温泉宿で有名な和泉屋は、家族で何度か訪れた。露天風呂にヒビが入ったというのだから、相当なものだ。温泉客も来ていたが皆で励ましあった、かつて廃業から復活したこともあるのだし2005年夏の復興に向けてがんばる、という女将の記事を読んだ。
 長岡のもうひとつの奥座敷、成願寺温泉が廃業を決めた(10/30)。軽登山で東山連峰を降りてくると、よく前を通った。あの風情、いつか訪れてみたかった。昔からそこにあるのが当たり前だと思っていたのに。
 悠久山は長岡市街に近く市民の憩いの森といった趣きで、個人的にも思い入れがある。その中心をなす蒼紫神社もひどい状態だと聞く。
 そして山古志の「牛の角突き」。一度しか見に行っていない。また行って、子どもに見せてやりたいものだと思っている。

 幸い、自分の実家は市街地の辺縁部だったこともあってライフラインの復旧は早かったし、余震対策、冬支度も進んでいる。しかし同じ長岡市でも市街地を離れた周辺農山間部が相当大変なようだ。実際に、倒壊した家屋や補修中の道路を見てきた。
 避難所生活とまでなると生活の基盤自体に至るまで破壊され尽くされているが、新潟の建物が雪害に耐えられるよう頑健な造りになっていたからといって、揺れれば屋内のモノは散乱する。
 同じように、企業の社屋、工場の中だって被害に遭う。自宅での生活だけが地震からの復興ではない。建物が大丈夫でも、企業としての活動が即大丈夫とは言えない。
 県外や県内にほかに拠点のあるところはまだいい。そのおかげでライフライン復旧や日用品の流通復帰がきわめて早期に回復したと言って過言ではない。しかし、中越地方に拠点を置いている地場産業は、自らの力で再建に向けて闘っていかねばならない。

 闘いはこれからだ。故郷よ!

【2004.11.14追記】
 Mac周辺機器専門店「セレクション越後屋」で、震災の様子を写真入りで紹介されていた。自分が帰省して見てきた光景もある…。驚いたのは、震災情報連絡掲示板が、これまたセンスよく設置されていた。
 昨秋ファン騒動のときに一度利用しただけだったのだが、気にはなっていた。ホームページに書かれた報告を見るとやはり同様に心配したお客さんがほかにもたくさんいたようだ。現在へこたれずに震災処分市開催中とのこと。

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2004.11.16

動く山。子どもたちにささやかな気持ちを。

たけぱんだな日々: 新潟中越地震 現地報告16

今回の地震の規模がどれほど凄まじかったかは、その写真が物語っていた。
でも、「いや、行けば分かるがこんなもんじゃない。」と従弟を含め、その場にいた人達がみんな言っていた。
「お前、ショックを受けるよ。」といった山兄Sの言葉はそのとおりだった。

 以前紹介した山古志出身のたけぱんださんがまた現地報告を掲載。写真で示してもらうとその脅威が一端なりとも感じられる。
 長岡駅構内や市街からも見える長岡市営スキー場が亀裂だらけだという報道も聞いたけれど、相当なものだ。家屋倒壊や道路の亀裂ももちろん大変だが、それどころか…という感じだ。

たけぱんだな日々: 新潟中越地震 被災地でのクリスマスにむけて企画発足

 たけぱんださん上記企画中。まずは話をもっていってみているところみたい。
 自分は単にトラックバックしたりコメント書いたりしているだけで…。ボランティア行けなくてごめんなさい。
 もし自分のこのブログご覧になっている方がいたら、上記リンク辿って見に行ってみてください。

 たけぱんださん、倒れないでね。

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2004.11.21

悠久山・慈眼寺・図書館

 備忘3件。地震-地域-図書館関係。

 悠久山
 先週、蒼紫神社の状況を探した。そしたらズヴァリ、悠久山の被害状況を写真に写したページがあった。神社のまん前にご実家がある方だそうで。
 やはりひどい。
 ことばでは聞いてはいたけれど、目の当たりにするとショック。
 戊辰戦没者の碑まで転がってるなんて。
 売店はよくプールに行った小学生が帰りにジュースやアイスを買うところだったんだけど、営業再開してくれるんだろうか。コンビニになったりしたらさびしいなあ。

 中越地方の図書館員現地発ブログ
 ココログのトップに中越地震関連の更新リンクがある。昨夜なにげなくひとつをクリックしたら、長岡在住小千谷市内高校図書館司書の方の地震日記だった。現地発の図書館者の報告、見たかったんだ。以前からホームページはあったが、地震を機に始めたブログだそうだ。
 小千谷には自分も、遠くなってしまった縁があって、戊辰戦争で有名な慈眼寺の話など書いてあってありがたかった。小千谷市立図書館がそのそばにあることも知らなかったんだけれど、復旧に向けて精力的な様子が頼もしい。
 山古志や悠久山、小千谷は変わらず残っていた風景があったが、地震のために様変わりしてしまうんだろうなあ(慨嘆)。いま、生きている人がまずなにより大事なんだけどね。
 よくよく読むと、なんか見覚えがある。すぐ前の記事でも触れたたけぱんださんのところにもトラックバックがあって、巡回している図書館関係者の複数のブログにもリンクが貼ってあり、ホームページまで戻ると割と前に図書館員のホームページを探していて見たことのあるものだった…。
 世の中せまいんだか広いんだか。

 図書館界の関心
 10/28に所属サークル宛て自分が出した報告メールに、中越地方の図書館の状況を心配する記述がある。その部分を抜き出してみると。

 長岡市立中央図書館の情報はまだ確かめてないんですよね。ホームページは「復旧作業中」としか出てない。
 自分がこの道に入った一番のきっかけはあそこにこの分野の関係書がだいたいは入っていたからで。
 災害が起こると日本図書館協会がその地域の図書館の被災状況をとりまとめるんですが(本が落ちてきたり書棚倒れます)、いまはまだそれどころじゃないんだろうか。今週の図書館協会のメーリングリストには何もなし。
 知り合いの新潟県立図書館の職員にメールで問い合わせるしかないのか。疲れてるだろうに…。

 新潟県立図書館の知人には11/3に自身の様子を伺う機会があった(当人は新潟市の隣から通ってるので全然問題なし)。その折に県内の図書館の状況は県立で把握していて、ファイルをネットに出しているとわかった。

 この関係で、上記かんちゃんさんのブログからのリンクで興味深い記事に当たった。
 これまた巡回している図書館関係者ブログからリンクのあるところだった…。まあ、全部なんて見てられないんだけど。

愚智提衡而立治之至也: 「現場」を作るのは「人」でしょう

 日図協,日図研,図問研の公共図書館3団体に共通しているのは,どこも罹災地の会員の消息を全く伝えようとしていないことですね.そもそも,3団体ともに罹災地の会員に関する情報を集めようとした形跡が無い.
 こーゆう団体が「現場第一」を唱えても,信じられますか.「現場」って「人」が作り支えていくものであるはずなのに,そもそも各団体の生命線であるところの「人」の生命をいささか軽んじてはいませんか>>図書館業界団体のお偉方.

 11/6-7と図書館情報学会定例の研究集会が大阪方面であり、無理を押して参加。
 学会でもあるので、関心が低い印象だったのはしかたがないか。公式にはなにかしらコメントがあったみたいだが…。余裕がなくて、今回は知人と交流をしている場合でもなく、自分が必要ある発表しか聴かなかった。そんな自分の勝手な印象ですのでスミマセン。
 ブログを読んで、阪神大震災を経験した関西の図書館関係者でも関心低いのかしらんと考えてしまう。日図研は拠点向こうだし。かつて阪神大震災のとき、自分も充分な配慮ができなかったんだから、人のことは言えないが。
 でも、阪神のときはNiftyServeの図書館フォーラムでもすぐに情報交換されていたんだけどな。新潟の図書館が関西に比べると格段に知られていないせいもあるのか。

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2004.11.29

新潟を写真で見る

 ここ数日見つけてきたサイトの整理。順番は適当。
 しかし、年輩の方もお若い方もすごいです。こうやって目の当たりにすることができるんですから…。

新潟県中越地震の日記写真
 租税と経営の高野裕TMC's Home page内。以前採り上げたとおり、長岡市内在住、悠久山にご実家がある。蒼紫神社の様子に驚いたが、復旧の様子も採り上げられている。毎日更新。

地理の部屋と佐渡島
 長岡近辺にお住まい・勤務の地理の先生らしい。地理学者らしい観点からのコメントは新潟の風土を理解する上でも有用に思う。だいたい毎日更新。

Yahoo!フォトアルバム 被災地
 Good Day to Die:新潟県中越地震 被災地レポートから。現在埼玉県在住でご実家が小千谷市の川口より、つまり震源地にかなり近い辺りにあるという。写真はご親戚がお住まいの川口の様子を見に行ったときのものか。

マイフォト:新潟中越地震関連
 たけぱんだな日々内。以前採り上げたとおり、山古志出身の方。いまは埼玉在住でしたっけ?ご実家のみなさんの様子を見に行ってこられたときの写真を公開。

気まぐれ更新日記 新潟県中越地震ログ 2004/10/24〜10/29
 DML機関内。バイト先の蓬平温泉で地震にお遭いになった生々しい報告。高龍神社はどうなったのか…。ご実家は埼玉県、長岡工業高等専門学校の学生をやっておられる方。日記を追っていくと高専の写真がある(11/24)。高専は大変な状態で、長岡技科大で授業をやっていると耳にしたが、この方によると来年まで授業がないようだ。

新潟を紹介するblog
 新潟市発、タイトルどおりのブログ。

「新潟県中越地震」被災者支援チャリティー:@nifty
 11/30迄。写真は新潟県の風景画像。中條均紀写真集「古志の里」(左記リンクは山古志ふぁん倶楽部内の紹介ページ)が新潟の棚田ブームの火付け役だとは知りませんでした。

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2005.01.15

文化財としての慈眼寺の復興は

戊辰戦争ゆかりの寺被災、修復へ“官軍”に支援要請

 新潟県中越地震で、北越戊辰(ぼしん)戦争回避のための講和会談が開かれた小千谷市の慈眼寺(じげんじ)が損壊し、修復に向けて市民有志が戦争ゆかりの自治体に支援の呼びかけを始めた。
 地元・長岡藩とかつて戦った官軍側の鹿児島や山口県などの首長に協力を求め、募金も募ることにしている。
 活動を始めたのは、「小千谷北越戊辰史跡復興支援の会」(野沢金一郎会長)。檀家(だんか)の多くが被災して寺の再建に手が回らないことから、地元の会社員や医師らが先月、結成した。戦争とゆかりある地域の首長らにさっそく支援を求める文書を送った。
 寺は、長岡藩家老の河井継之助と新政府軍の軍監岩村精一郎が会談した「会見の間」の土壁が崩れ落ちたまま。築250年の本堂も大きく傾き、柱と梁(はり)を太いワイヤで固定して倒壊を防いでいる。
 4、5000万円以上の修復費用が見込まれる。檀家の理容業男性(57)は「お寺を修復したいのはやまやまだが、家と店がつぶれ、それどころではない」と嘆く。
 発起人の1人で会の事務局長を務める広井一さん(65)は「市全体が被災し、文化財の修復まではなかなか手が回らないが、市の名所だけに早く復興させたい」と話している。
 寺副住職の船岡芳英さん(50)は「寺や檀家だけでは再建は難しい。支援の申し出はありがたい」と喜んでいる。

 ◆北越戊辰戦争=明治初期の戊辰戦争で、長岡藩周辺地域で行われた一連の戦闘。
 新政府軍と長岡藩の講和会談は決裂して戦争に突入し、長岡城は落城した。
 以後、戦いの舞台は東北の会津戦争に移った。

 小千谷市の慈眼寺の被害の様子については、Web上でも写真を見たりしている。
 「正面から見ても傾きがわかる」という本堂玄関の写真を見ると、「ああ、ここは幼い頃の記憶に鮮明に焼きついている光景だ…」という思いとともに、温かみのある木と石の構えが歪んでいるさまに泣きたくなる。
 慈眼寺はじめ越後での戊辰戦争の歴史は「蒼龍窟がゆく!」をときどき参照している。自分が以前目にした写真はその掲示板の12/6の発言。慈眼寺のページ内にも被災の写真のページがあり、目を覆わんばかりの状態だ。
 慈眼寺のホームページ小千谷幼稚園のホームページ

 機会あって、中越地震の現地へ派遣された公的調査の報告会に参加聴講してきた。現場に密着した冷静な調査報告であったので、地域のためになるだろうと嬉しかった。知られない、伝わらない、ということが一番困ることだから。
 しかし、質疑。「地域で重要な文化財の修復・保存についての動きは」という問いに、やはり「今回の調査では手が回らなかった」「現場でもそういう話は出なかった」という。戦争を含む災害時の文化財の保存修復活動は徐々に認知されて始めているだけに、残念だった。
 慈眼寺や、長岡の史跡は、どうなってしまうのだろう。

 上記慈眼寺についての記事は、YOMIURI ON-LINEからクリップした(慈眼寺のページ内にも新聞報道の一覧がある)。
 あれだけの史跡であっても、国の助成には動きがないのだろうか…と暗澹とした気持ちになった。
 チャリティを新潟市でやったという話がときどき報道されるが、新潟市民に寄付を求めても効果ないよな、もっと東京とかで集めた方が効果的なのに…と思う。
 もちろん、自分たちから「これ、大事だからなんとかしてはもらえまいか」と動くことが大切だろうが、こんな未曾有の災害時であっても、その資金や手配を自分たち(=新潟県民)で全部まかなわなくてはならないのか。かつての官軍側に支援を請うたことに嫌な思いをしているわけでは、もちろんない。支援いただけるのであれば、給水車等と同様にありがたく思う。しかし政府が動くのではなく、自治体相互の支援という文脈によくわからない思いを抱えて書いている。
 政府(ここでは国)の再配分の機能は、こんなときでも文化財には及ばないのかなあ。慈眼寺がどのレベルの文化財に指定されているかにもよるのだろうが…。「市指定文化財」じゃ、まったくダメなのか。

 こんなんじゃ、図書館なんて、「当然ダメ」じゃん。

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2005.01.27

長岡みやげ、あれこれ

 先週末、急遽所用で長岡に帰った。その備忘。
 主に帰りの土産の話。

 朝日酒造の純米大吟醸「呼友」を一本買う。
 長岡駅構内の酒屋は、以前伺ったところでは、有名どころの酒をあえて置いていないという。駅正面にあたる西口近辺に3、4軒ある酒屋は、それぞれ個性がありどの店も力の入れ方が違っている。一軒が朝日酒造の酒を扱っているので、地震からしばらく経っているいま、入荷の様子を見てみようと思い寄ってみた。
 「久保田」は、店頭には生酒の「翆寿」だけしかなかった(千寿はもちろんあったけど)。碧寿や万寿は出荷シーズンが違うのだろうか?新幹線出発時刻まで時間がなく急いでいたので、訊きそびれてしまった。新潟の酒のうち、久保田のことばかり気にしているように思われるのが嫌だったのもある(自分の個人的思い入れについて書いた過去記事はこちらこちら)。
 それから最近余裕のある帰省がないせいか、今回初めて気がついたこと。朝日山の「越州」もなんだかいまはいろんな冠が付いているのですね。最初は「越州朝日山」の名前で、種類があっただけ、だったはずだけど…。ちゃんと観察してなかったなあ。ちなみに呼友も乎友だと思っていたが、「呼ぶ」だった。最初に出たときに、「ヘエこれで「友乎(よ)びて飲む酒」と読むんだ」と話した記憶は間違いだったか。
 また自宅に眠らせておくのもと思案したが、呼友は、最近自宅で飲んでない、入手の機会もあまりないかろうと、やはり(つい)買うことにし(まっ)た。
 いつもの価格のようだったので、レジで「やっぱり値段上がってますかねぇ」とボソと聞いてみたら、「箱付だと箱代100円かかりますからね」と普通の顔をして返ってきた。瓶そのままのものと並んでいたので、贈答品に使う可能性も考慮して箱入をつい選んでもっていったのだが、そりゃ箱代分は高いよな。「久保田会」は地震だからと言って高くはしないらしい。大変な時勢、高く売ってもいいのになあ、とも思ったが、ここは地元である。企業努力なのだろう。それとも、本当に大丈夫、なのか。店員さんもなんだか当たり前の顔していたし。
 しかし気になるのはこの冬仕込んだ酒の味だ。帰省中にご近所の奥さんが「朝日酒造の酒粕、出てたから買ってあるよ。やっぱり味落ちてる。…吉乃川よりンまいけどね(笑)」。今回入手した呼友は、いつ仕込んだものだろうか。あとでラベルを見てみよう。

 出発時刻まで間がないのに、ほかに気になっていた土産を。改札前のNEWDAYSは土産ばかりで、コンビニじゃないみたい。
 「五十六カレー」。
 「横須賀海軍カレー」のヒットでご当地カレーブームにあやかったレトルトカレーだ。長岡は山本五十六の出身地。新潟名産マイタケ入り、だそうだ。
 帰宅して気がついたが、ビニール袋まで黄色い、五十六カレー専用のものだった。

【五十六カレー関連リンク】
AllAboutJapan:越後長岡の『五十六カレー』
長岡新聞:地域おこしの「五十六カレー」
常陽新聞ニュース:土浦市が「食のまちづくり」-山本五十六ゆかりの激辛カレー開発-
ご当地カレーあれこれ
NIKKEI NET:「五十六カレー」の名物シェフがフランス料理店を開店

 土曜は、関東地方は快晴。トンネルを抜けて新潟に入ると、白いモノトーンの世界。別世界だった。頭ではわかっているから防寒装備は万端にしてきたのだが、それでも、感覚が忘れている。
 新幹線が長岡駅に入る直前、仮設住宅を高架上から見た。寒さと舞い散る雪に、小さくなっているように見えてならなかった。
 実家近辺を歩いてみて、まさに長岡の冬。道路は消雪パイプの散水、除雪車が雪をのけたあとで端は山になっている。長靴で音を立てて雪を踏みしめる喜びは、内から湧き出てくるようだったけれども(われながら子どもみたいだと思う)、いま地震のあとに生活する立場ではどうなのだろう。建物や風景が当たり前の長岡でも、いつもの冬、なのだろうか。
 日曜に帰ってみると、関東も雪でしたけどね。
 新幹線ではぐっすり眠ってしまったので、いつの間にか大宮。行きはガラガラだったのに、越後湯沢からスノーボーダーやスキーヤーでいっぱいになったのも夢うつつ。慌てて発車間際に買った駅弁をかっこんだ。「がんばろう新潟」とシールの貼られた、「山古志牛焼肉弁当」。つい「山古志」につられてしまったのだが、しまった、これなら牛丼屋で食べた方が安上がりだったなあと思ったのも、あとの祭りだった。

【公開前に追記】
 乗車まで時間がないのに、職場用にボン・オーハシの土産菓子「銘菓・山本五十六元帥」(笑)も買って帰ったのだった。
 職場であけてみたら、おや懐かしいことば。菓子の「能書き」を記す。

ヤマトの勇姿を形にした
フィナンシェに、山本元帥が好んだ
パパイヤとマンゴーの2つの味が今、
お土産としてよみがえります。
 "シテミセテ、
 言ッテ聴カセテ
 サセテミテ、
 誉メテヤラネバ
 人ハ育タジ"   は、
山本元帥が残した
人材育成のための名言として
現在も受け継がれています。

 五十六ばんざーいという人間ではないのだが、なんか今回はカレーも買っちゃったり。
 でも、このことばは、上に立つ者は自覚してほしいなあと思うこと、よくありますよ。

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2005.02.25

五十六カレー、食べました。

 先週末、五十六カレーをついに食べました。以前長岡みやげに買ってきたものです。
 56種の食材に少し期待してしまっていましたが、「具の形が見えない」印象はレトルトらしさか。
 それでも、マイタケのコリコリ感はしっかりありましたよ。
 特筆すべきは、辛さ!
 辛いものは大好きなんだけれども、強くはない。微妙な私ですが、ご当地カレーでこんなに辛いのがあるんだ…と感心いたしました。
 五十六カレー、マイタケの食感と辛さに、私は印象づけられました。さすがニューオータニに出すだけのことはあるという味…と言っちゃっていいのかな。自分は気に入った部類かもしれません。
 また買って帰っちゃうかもしれないな。

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2005.02.26

関東の春の花

 いまの自分にとって、春が来たなと思うのが、梅です。
 先々週くらいから、咲き始めていますね。満開はもう少しみたいですけど。

 就職して初めて上京したときに住んだアパートの隣が梅林。夏はヤブ蚊に苦しめられたけれど、春、窓を開けるとさわやかな香りで部屋がいっぱいになりました。すぐ隣は埼玉県。東武東上線の越生という地は梅林で有名ですし。
 町内あちこちに梅の木があったので、「へえ関東って桜ばかりじゃなくて梅がたくさんあるんだなあ」と思いました。

 関東の梅って、印象強かったんです。
 長岡の梅はあまり記憶にありません。積雪量の多寡にかかわらず、「雪が解けたら、悠久山の桜を花見に…」という印象だったんですよ。
 時機もあります。梅って、2月にはほころび始めますよね。雪国の2月は雪まっさかり。アリエナイ。
 だから関東の梅って、春が近づいてきているんだなあと思わせられる花です。
 通りすがりに、ふっと風に香る触わりもいい。

 いま自分の住んでいる地域にも、梅があちこちにあります。小さなところでは隣の家に、盆栽がありました。木もあちこちの家の庭から覗いています。
 しかし、残念な話があるのです。

 わが街の中心となっている駅は、線路と川が交差するところにあります。駅を中心点に街が、線路と川で十字状に4つのブロックに分断させられてしまっているというわけです。困るのが道路。踏切にせよ行き来するのに大変です。
 開発計画がずっと以前からあるのですが、その中、とあるルートは、線路の上に橋を架けてバイパスする大きな道路を造ろうとしています。

 いまの街に引っ越してきて一年ほどした頃、春になって気づくようになったのですが、とてもたくさんの木が生い茂る梅林があります。上京したての頃のお隣さんの比じゃありません、梅の「林」です。
 毎春、満開がいつになるかと楽しみにしています。
 この界隈、お寺さんが多いんです。その敷地のひとつ。この梅林を含んで、小さな里山になっていて、ヤブ蚊の出ない晩秋や天気のよい冬、初春は、子どもと枯れ葉を踏みしめながら散歩を楽しんでいました。

 この梅林、残念ながら道路造成のために潰されてしまうのです。
 去年からもう最後になるのだろうか…と思いながら、梅の林を見ています。
 道路開発の進展は年間ペースながら、着々と進んできていて、あるところから見えていたきれいな防風林も、つい先日通りがかったら全部刈られてしまっていました。
 梅林は来年の春見られるかどうか、ですね…。

 今年は家族で一度様子を見に行きました。
 満開の頃にまた行って、花と香りを楽しんでこようと思います。

 ところで、職場の同僚(それも埼玉在住ですよ)にも聞いてみたんですが、生粋の関東人も「梅ねえ…水戸の偕楽園は行ったことあるけど、越生は行ったことないなあ」という返答なんです。そういえば小田原も梅で有名ですのに。
 梅は、関東の人にとって、あまり印象に残らない花なんでしょうか?
 それと、ほかの雪のない地域の人はいかがでしょう。

 日本海側で梅というのは、先ほど述べたように花開くときがちょうど雪です。学生時代を過ごした東北地方も、寒くて梅というのはあまり印象がありません。
 きっと、関東-東海以西は意外に梅って当たり前の花なのかな、それが北国ではそうでなかっただけで…と考えているのですが。いかがでしょうか?

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