文化・芸術

2007.08.05

コロボックル物語展に行ってきた

神奈川近代文学館
佐藤さとる コロボックル物語展 だれも知らない小さな国
2007年8月4日(土)~9月30日(日)

 いやーよかった。

・もらってきたものは、パンフレット、チラシ、『KANAGAWA ARTS PRESS』7号(2007.7)。
・購入。『コロボックル通信』イメージクリップ, 2006.8、絵はがきセット1種。

・入口にちびた赤鉛筆が、二つあります。
・第I部(佐藤さとる・コロボックル物語誕生まで)第II部(村上勉が描くコロボックル)とも充実。原稿、手紙類は貴重。「もうわるいことをいたしません」の手形はじっくり見てきましょう。
・私家版「だれも知らない小さな国」、初の単行本版「だれも知らない小さな国」が複数部、違う場所に展示してあって「おおすごい」。
・安針塚地図。コロボックル世界の由来となった場所がはっきり書かれています。モチノキとか。いつか横須賀に行ってみたいと思っていたんだ。
・「コロボックルを探せクイズ」。全部見つけられたけど、メガネをもっていけばよかった。細部までよく見えなかったんだよね…。
・『MOE』2001年の特集号に掲載された写真等もあり。
・イメージクリップ社で販売している村上勉氏の商品。『コロボックル通信』と絵はがきセットを販売していた。ほしかったんだけど高いのと通信販売が面倒だったので、今回いい機会となった。

・『KANAGAWA ARTS PRESS』表紙、インタビューは佐藤さとる氏。「5巻で登場人物の女の子が司書になるのだけれど「その図書館は野毛山の図書館ではないか」と言われたこともあります。その通りです。桜木町の駅から市電で中学(旧制)に通っていたのですが、帰りは歩いて野毛の図書館まで行きました。学校帰りに寄り道して叱られないのは図書館ぐらいでしたから」。

・8/4にあったという講演会の記録。こことかこことかこことか。行きたかったなー。佐藤さんもう79歳で、出てくるのが好きじゃないとなれば、少ない機会だったんだろうなあ。
鬼ヶ島通信ふぁんさいと村上勉の世界佐藤さとるWEB

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2007.02.21

鎌倉文学館「鎌倉文庫とその時代」を見に行った(3)

※3/1深夜に公開。

 あれー、鎌倉芸術館の指定管理者と違うんだっけ…と思い、検索してみた。
 芸術館の指定管理者「サントリーパブリシティサービス」「鎌倉文学館」あとひとつ、単語を付け加えた気もする(が、何だったっけ)。

 職員の方が仰っていた「落ち着いてきた」って―こういうことだったのか。気が滅入る。

 わかりやすい記事
 元の記事
 そもそもの記事
 元の記事の過去記事1
 元の記事の過去記事2
 その後の鎌倉芸術館の評価

 不勉強を恥じて、「鎌倉芸術館 自殺 指定管理者」でGoogle検索。
 57件。ノイズ多すぎ。検索ヘタクソ!でも、57件でしかない。

 指定管理者制度に詳しいウォッチャーはまだしも、話題になっていないのねえ…。
 最初の記事から鎌倉市長のプロフィールへ飛ぶと、元の記事の過去記事でゴニョゴニョ言っているのが少し得心がいく。

 指定管理者制度であろうが従来の財団であろうが(自治体直営であろうが)、鎌倉文学館のレベルを落とさないような、評価と職員の確保は大事だと思う。
 あの展示とそのバックヤードを想像するに、それだけの仕事をしているスタッフであろうと素人目に思うのだが、どうだろうか。

 文学館の地図を見て、それから大仏を見に行って。
 鎌倉市という一自治体で、あれだけの文化財を維持していくのは無理があるよなあ…と思ったのが発端だったのだが。
 誰か、お金持ち!なんとかしてよね。ミュージアムショップでささやかなお金を落とすことで自分の満足を表すことしかできない身としては、こんな場末でつぶやくしか、ない。

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2007.02.20

鎌倉文学館「鎌倉文庫とその時代」を見に行った(2)

※3/1夜に公開。

 展示をひとわたり見て、階下の一角に「レファレンスルーム」。
 入ると右手に机がひとつ、左手に事務室、正面にカードボックス。
 目前で存在感を発揮しているカードボックスを引き出し、どんな資料があるんだろう…と眺めていたら、子どもがドアの開いていた事務室の女性に声をかけた。コンニチワ!
 それでつい、話し込んでしまう。向こうも悪い気はしなかったらしい 。子どもがいて、助かることもある。

 カードには普通の本、文学全集等々が収められていた。メインのフロアは展示を中心とした空間の使い方をしていたので、自然と聞いてみたくなったのだ。「資料、どこにあるんでしょう?」「何点くらい?」「収蔵スペース、大丈夫ですか」。だって、事務室も狭かったものなあ。
 点数は忘れてしまった。三万点だか三千点だったか。図書館じゃないから、毎年そんなに増えないし、点数に比べると厚みのない手紙等が多いが、それでも収蔵庫計画はやはりきびしいらし い。
 カードボックス―データベース化の予算がないのだ。さすがに事務室にパソコンは置いてあったが。

 鎌倉市の図書館は直営である(図書館員の側からすると、相当大変なお客さんが多いという話を聞いたことがある)。
 対して、鎌倉文学館は、指定管理者制度が導入されている。最近ようやく安定してきたそうだ(→※(3)へ続く)。

 入口近くのミュージアムショップに立ち寄る。
 わずかな金額でも、ぜひ協力させてもらおう。建物の雰囲気がいいから、グッズも悪くない。
 鎌倉文学館刊行のシリーズ「鎌倉と文学」という本。小さくて持ち歩きにもよさそうだけど…ガマンガマン。
 おお!?角野栄子「魔女の宅急便」原作版デザインのレターセット!
 前年の企画展のときに作ったものだそうで、最後の在庫処分だった。
 色違いで二組、購入。

 門を出てしばらく。普通の住宅の勝手口でやっている小さなパン屋さんで気がついた。…小銭入れを落とした…。ドジっっ!!
 文学館に電話をし、探しながら戻る。坂を上り、バラ園(の地面)を見て―さっきレファレンスルームで話をした職員の方がちょうど庭に出て来て、見つけてくれたところだった。おにぎりを食べていて落としたんじゃないかと思ったが、どんぴしゃり。
 最後に、妙に記憶に残ることを、しでかしてしまった―。

 鎌倉文学館、おすすめです。

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2007.02.19

鎌倉文学館「鎌倉文庫とその時代」を見に行った(1)

※3/1早朝に公開。鎌倉文学館を訪ねたのは、もっと前。

 企画展「収蔵品展 鎌倉文人録シリーズ 1 貸本屋鎌倉文庫とその時代」
 期間:2006年12月8日(金)~2007年4月22日(日)
 鎌倉文学館のページはこちら。Wikipedia「鎌倉文庫」。
 ついでにNPOによる鎌倉の情報ページ

 この企画展、どこでポスターを見かけたか。展示自体には期待していなかったが、期間も長いので頭のどこかに入れていた。
 子どもが「鎌倉の大仏さまをまた見に行きたい」と口にしていたので、大仏のついでにでも行けたらいいなと思ったのだ。
 新潟に比べると関東の冬は、圧倒的にお出かけによい季節。今シーズンは暖冬だけれど。

 子連れで歩くには鎌倉は、歩道が整備されておらず危ない。
 鎌倉は市内あちこちに見どころがあって、歩いてみると街の風情を知ることができていい。しかし、定番のJR鎌倉駅から鶴岡八幡に至る道路ならさすがにきれいで余裕があるけれど、例外のようだ。

 鎌倉文学館は、立地と建物がいい。なんと言っても貴族のお邸である。
 敷地内に石のトンネルがある。くぐってまがった坂道を上ると、きれいな建物。下足を脱いで上がる。フロアガイドの写真を見ていただくと屋内の雰囲気が伝わると思うが、「なんと言っても貴族のお邸」だ。
 あとで庭に出て子どもとおにぎり。庭は斜面になっていて、足元にはバラ園。遠くに由比ガ浜を望む。

 常設展もおもしろい。文人で描く鎌倉の歴史といった感。
 名前が即頭に思い浮かぶのでもないのだが、国語の教科書に見かける人のほかにも著名人がたくさん。フクちゃんの横山隆一とか。
 一番印象深かったのが、文人の住まいを点で打った鎌倉市の地図。数え切れない。
 鎌倉の歴史自体が江ノ電とともにあったらしいから 、展示でモノゴトの推移、地図で地理的な配置がなんとなくわかったような気がなる。横須賀線と江ノ電の駅の位置関係を見て、えーこんなに狭い範囲によくこれだけ有名人の住まいがあるなんてなあ…と。

 鎌倉文庫は、貸本屋といっても特殊なんだろうなと思う。
 終戦間際の貧しい状況で文化人が蔵書を持ち寄って開いた文庫だそうで、わずか数年でなくなった。しかし、その後の鎌倉の文化事情に影響を与えた…といった構成になっていた。
 ポスターのフクちゃんがいいよね。「ダレガナントイッテモ本ハタイセツニシヨウトボクハオモヒマシタ」。わが家の小さな読書家クンに読んでもらいました。

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2005.11.04

山古志の闘牛、八海山の一升瓶

 所用ありて、11/3は実家。朝から晩まで作業。行くときも帰るときも、新幹線に飛び乗った。帰ってきたら23時。それからまだ後始末がまだ続いて…まだ終わってない。あーでもがんばんなきゃ。
 ここのブログにも折に触れ「余裕がない」と書いているけれど、先月からそして今月も、週末は自分だけでなんとかできるようなものではない予定がなにやかやと入っている。日中にきちんと仕事するためにも、平日に消耗しないように気をつけていかないと。今日は疲れ切って出勤、さすがに残業できなくてまっすぐ帰宅。
 でも、いまも疲れてるけれど書いておいてしまいたい記事がある。

 11/3の昼過ぎ。ほんとにおひさしぶり、伯父さん伯母さんが従兄の運転する車に乗ってやってきた。従兄は子どもを連れてきていて、ウチと同じ3歳。しかしほんとに彼とはひさしぶりだったなあ。伯母さん、越後風しょうゆ赤飯をもってきてくれた。従兄の誕生日だから毎年作ってるんだとか。

 で。長岡に何をしに来たかというと。
 山古志の闘牛の千秋楽が11/3で、観に来たんだそうだ。伯母さんが大ファンで、自分は山古志の闘牛は彼女に連れられて一度だけ観に行ったことがある。地震直前の秋、近しい親戚だけで近所の温泉に行ったときも、旅館の出口に闘牛のポスターが貼られていて、また観に行くぞと思ったものだった。それがまさかこんなことになろうとは。
 伯母が闘牛の千秋楽に行くと聞いて、くやしくてくやしくてならなかった。山古志は長岡市にもなったのに!いろいろ大変なことの結果だけれど、最近は長岡の郊外で闘牛をやってくれるのに!
 そんなに長い時間じゃないから行こうよと誘われたが、ほんとに時間がなかった…。

 伯母は、おしゃべりが大好きだ。明るい伯母によく元気をもらった。
 玄関先で、山古志への思いをまくしたてた。今回も元気をもらった。
 「おら、山古志のショに元気もらってくるんだて!山古志のショは元気らよ〜アッハッハ」。
 大手高校に避難していたときも知り合いの様子を見に行って、かえって元気をもらってきたと言っていた。
 千秋楽に出る「ミノル」が贔屓だという。「牛の名前?」「イヤ、飼い主もおんなじ名前なんだて」。
 車の後部ドアから出てきたのは一升瓶。八海山の本醸造。
 「牛の身体にぜーんぶかけてやるんだよ!そーいや、あんたの分ももってきてやればよかったねえ」。
 伯父伯母は八海山の麓に住んでいる。「八海山」はほんとに地元のお酒。ときどきいただいたことがある。さすがに今回は酒はもって帰るどころではなかったが。

 いかめしいことを言えば、たぶん山古志の闘牛は、「神事」なんだろう。
 だけど、活き活きとしている。今でも活きている、大事な「みんなの文化」ハレの催事なのだということが、山古志の大ファンだという明るい伯母の来訪で、再認識できたような気がした。
 酒も、こうでなくっちゃ。ちんまりとかしこまって飲むだけが酒じゃない。闘う牛にかけてこそ、「地酒」の名にしおう。
 ああ、ほんと行きたかったよ〜。

 たけぱんださん、山古志のみなさん。「わかってない!」と怒られちゃうかもしれないけど、こんな山古志ファンもいるってことで。エピソードのひとつとして聞き置いてください。

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