学問・資格

2004.10.23

偏差値70からの大学受験

 先のエントリで「おもしろい」と書いたWebビジネスコンサルタントのネタ帳から。おっしゃるとおり!引き込まれるように読んでしまいました。

偏差値70からの大学受験
その参考資料として、次のページ。
受験・学習参考書としての『高校数学+α:基礎と論理の物語』

 元のサイトの公開は既に公開開始から2年が経過しようとしているようだが、参考資料の方には、2004年10月に入っての後日譚が書き込まれている。

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2004.11.28

JSLIS2004秋季大会

 先日参加した日本図書館情報学会研究大会(秋季)のことを書く。
 昨年に引き続き、自分が取り組んでいる課題と密接に関連する発表があったので、二本の発表のためだけに大阪まで行ってきた。
 二本のうち、より重要な発表は、池内淳氏「公立図書館における公共概念の両義性とその射影」である。

 これは、ある意味、もう本質的なところで言いたいことは言われてしまったかな…。むしろスマートに。第一印象としては、こんな感じ。
 それから思考がぐるぐるまわる。いやしかし、まだ自分のアプローチから補える部分があり、だからこそ補強できる。彼の業績を補強証拠として使うことで、むしろ自分のアプローチのオリジナリティを主張できる…と前向きに考えてみたり。そこから、自分の側でもつ独自の論理を追っているつもりが、やはり彼の論理に収斂するようでもあって落ち込んでみたり。
 浮き沈みが激しい。
 思考をことばにしてみることで落ち着くだろうか。まとめてみよう(何度も書き直しますんでよろしく)。
 なお、次の要約とコメントは筆者の個人的な理解にもとづくものですので、誤りがあるかもしれません。この記事の掲載自体含め、問題ありましたらご指摘ください。

 前置き。
 本当にすばらしい発表だったと自分は思っています。ドキドキしながら聞いていたのですけれども、感嘆、賛辞、拍手で心の中がいっぱいになりました(自分は勝手に、この研究は学会賞獲れるんじゃないかというくらいに思っています)。

 池内淳ホームページ
 home> profile> research activityの「学会発表」の項に次のリンクがある。
池内淳. "公立図書館における公共概念の両義性とその射影", 第52回日本図書館情報学会研究大会. (2004年11月6日)
 PowerPointプレゼンテーションが起動するはずらしいのだが、うまく動かない。複数の環境で試しているのだが…。

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「公立図書館における公共概念の両義性とその射影」要約

※修正が入ることがあります。

【方法】発表者は以前から、公立図書館を公共財モデルで説明しようとしてきた。

【背景】当初は行財政改革や民営化に対抗するために公共財モデルを援用していたと思われるが、近年は翻って、出版流通市場からの「公立図書館=貸本屋」批判に対応するために、市場との理論的な整合性に苦心されていた(うろ覚え)。今発表でその回答が、示されたと言ってよいだろう。

【本発表の構成】前提-経済学における図書館の一般モデル-二つの公共性についての検討-具体的な解決策

【概要】

○前提として、図書館一般を「設置母体の構成員が蔵書を共同で所有し利用するためのシステム」と定義づけてしまう(!)。

○図書館一般の財としての性格を、「クラブ財」と指摘した。この指摘は過去なされていても、本発表の文脈の中で位置付けていることが重要と考える。筆者が重要と考える理由は、「図書館はクラブ財である」との指摘には"「公共性」以前の「共同性」の観念が含まれている"と考えることができるためである。

・その位置付けとは、図書館を、市場-財政の機能から見て次の「財」の三つのレベルに配している。第一に、個々の資料を「私的財」と捉える(この点で出版流通と競合)。第二に、出版流通市場というフローから離れたストック機能としての「クラブ財」(図書館以外に貸本屋等も含む)。第三に、政府機能のひとつとして「公共財でありたい、また部分的に公共財である」公立図書館。図書館はクラブ財であり、公立図書館はそのままでは市場とぶつかりかねない「準公共財」である。

○マクロ経済学(財政学)の基本に立ち返り、「市場」のもつ公共性概念と「政府の果たすべき役割」としての公共性概念を確認。公共性概念は元来多義的であり、マクロ経済学で見出される上記二つの公共性概念もまた、元々別の公共性を指向する観念である。

・本発表を重要視する点として、「この二つの公共性概念は公立図書館と出版流通市場にのみ限られない、政府と市場の一般的な問題である」という認識が発表者にあること。例えば郵政事業など「公立図書館に限った話ではない」ということである。その上で公立図書館と出版流通の問題に具体的に還元しているゆえに、本発表の理論的一貫性と有効性がある。

・これまで観察されてきた二つの公共性の関係は、政府が半ば意図的に市場と衝突する場合と、市場と関係ない領域で政府の機能が成功してきたにすぎない場合に大別される。後者では幸いにして市場と衝突してこなかったためにたまたま「公共部門としての成功」を収めてきているが(衝突する市場がなく政府が補完すべき領域)、前者の図書館を充分に発達させた場合には、調整機能として公貸権等の制度が整備される必要がある。

○帰着する提案が、一貫した理論に裏付けられた上で、具体的な解決策を提示している。まず、公立図書館の公共財としては中途半端な「公共性」を、「公共財」の定義どおりに徹底させることによって、社会的に説得力あるきちんとした公共財に仕立て上げるべきだ、とする。その上でまた、市場の公共性と調整すべきところは個別具体的に整合的な解決策を検討すべき、としている。

【難点】

・図書館一般の性質をいきなり公共性につながるものとしてではなく、社会的な「共同性」に着目しているのはよい。しかし、あくまで財として見るのは、商品たり得る(=価格を計算し得る)個別の資料や資料群(蔵書)であり、貸出サービスに限った話題となっている。図書館の「共同性」の効果は物理的な資料(群)に限らない「情報」、貸出に限らない諸「サービス」等に展張した社会的機能にある(発表者自身は認識があると思われる)。評者はそこにこそ図書館ならではの注目すべき点があると考える(本発表は媒体に限ったことで理論的一貫性を維持している)。本発表の二つの公共性モデルだけでは、別に出版物、図書館に限らない類似財についての研究と同じである(だから、発表としては公立図書館の具体的解決策に議論を導いているのであるが)。

・マクロ経済学のモデルを用いているため、市場と政府の役割が「前提」になっている。ある意味では、功利主義モデル以外のなにものでもない。

・公共性の観念が(従来の経済学的)市場モデル・公共財モデルに依拠しているため、ほかの公共性観念に及んでいない。評者の考えでは、そのほかの公共性観念こそが、図書館の社会的正当化論拠としての「共同性」「公共性」をもたらしうるものである。

次の記事に続く。

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「公立図書館における公共概念の両義性とその射影」コメント

※修正が入ることがあります。

前の記事から続く。

【コメント】

 再度確認。
 本発表について筆者が注目する点は、以下の一般理論としての部分である。

・図書館の定義上「共同性」概念に注目したこと。
・物理的な資料・資料群と貸出に議論を限定したことで、(「公立図書館」に限らない)図書館一般の財の性質(共同性・公共性)に迫ることができたこと。
・関係する公共性概念として市場モデルと公共財モデルを提示したこと。

 以上を元に、続けて展開する結論部分―公共図書館の公共財としての可能性の提示及び出版流通との解決策の具体的な検討―については、構成としても一貫しており賛嘆するが、筆者の問題意識からは外れる。

 図書館一般の社会的正当化論拠としての「公共性」を検討するための筆者の提案は、次の二つである。

・図書館の本質が物理的な「蔵書」及び共同体による「共同所有・利用」にあることには異論がないが、それだけでは不十分である。図書館の社会的な正当性(効用)を考える上では、資料(群)から「言語・表現」「意味・情報」と共同性の問題に入り込む必要がある。
・憲法学には、「言論(表現)の自由市場」論がある。図書館の問題は経済的自由市場のレベルで語り終えてよいか。政府と財というよりも、設置母体と言論という観点から「市場」との関係を検討する余地がある。

 しかし…慶應のマクロ経済分析グループは、方法論上の疑問を感じないのだろうか。
 本発表のような「公共財」モデルによる分析は図書館の一般性に迫るものでありながら、政府の役割としての公立図書館と貸出サービスに議論を限定した途端、議論が矮小化する気がする。対政府、対市場とでの戦術の違いなのか。

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脱線気味の疑問〜政府の読書支援のありかた

 具体的に一例を。

 ずいぶん前に、著作権に詳しい知人に対して、図書館の市場補完機能(読み手の利益を保障する機能・零細な書き手の流通を保障する機能)について採り上げて議論したことがあります。ちなみに私は、著作権による図書館における複写の制約や、貸本屋批判に対しては昔から懐疑的でした(詳細略)。
 知人いわく、「だったら政府は、零細な書き手の本を買い上げて、読みたい人のところに無償供与したっていいでしょう。著作権法を無視するような風潮を正当化する議論はおかしいですよ」。知人は、図書館に勤めながら、図書館は個人の権利としての著作者の利益を侵害するほどの正当性はないと考えていました。

 図書館=公共財モデルは、出版流通市場と公立図書館の貸出サービスについて、双方の一致点を見いだせないかという検討をします。
 このようなマクロ経済学(財政学)の立場からは、知人が言う「市場に直接介入して、ある本を購入して供与」という選択肢は、どのように評価されるのでしょう。むしろ、共有及び無償利用によって著作者から苦情が来るのですから、一部毎に対価を支払うことで図書館よりも有効な活動ではないか。こう判断することもありえますよね。
 クラブ財であると単に定義するだけではなく、図書館のようなストック、共有の意義を模索する必要があると思われるのです。言ってみれば、市場補完機能として、政府はなぜ図書館という共同所有の形態を選択するのか。そこが、どう考えるべきかわからない(頭、悪いんでしょうね…)。

 実際、ブックスタートは個々の子どもに特定の本を与えるというしくみなわけです。
 図書館や子どもの読書をアピールする道具的な手段…というだけでなく、特定の本の著者に利益を与える行為、読み手に対して特定の本を推奨する行為という側面も同時にもっている。これを、ことさらに言うべきではないのか…。

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2005.01.22

10,000 hit!(5):検索エンジンの活用法

【論文の書き方と階層構造】
 2004.9.1の記事は、論文の階層構造を知りたいと思って、「あるワードを入れて検索したらダメでした…」という記事だ(その上、本題は別のところにある)。
 みなさん、おいでになる。卒論、修論のシーズンで焦っているのだろう。たぶん、こんな役立たない記事書きやがって!と思っているに違いない。すみません、ココログ始めた最初の頃にいろいろ書いてみようと思った記事なんです。
 この項はそのフォローです。ずっと気になっていました。

 この検索結果↓はいい。ためになると思うサイトが満載。まだ間に合うのならば、ご参考にどうぞ。
 Googleに「論文 書き方 章 項」と入れて検索

 でもこれもみなさんが検索した無数のリンク元を、逆に経験的にたどってみた結果わかったことなんですよね…。
 こうすればよかった、という理屈みたいなものが出てきません。

【検索エンジンの活用法】
 どんなキーワードを入れると自分の求める情報を含んだページがひっかかってくるか。でも、検索エンジンは意外に当てにならない、というのがいまのところの印象だ。
 かつての図書館のOPACは、フリーワード検索ではなかった。書名や著者名などの各フィールドごとに、さらにきちんと統制され切り出された読みで検索された。だから、集合を作るときも、検索者の側が「何という語に対応する集合か」ということがよくわかっていた。
 検索エンジンの場合は、もう場当たり。さらにこのブログの時代、先に述べたようにつぶやきさえも拾ってきてしまう。
 いまの自分が検索エンジンに道具としての有用性を見出すとすれば、自分が必要な主題に関連する語をWeb上に書いて、アクセス解析で自分のところに辿り着いた方の検索実績から、ほかによい検索語の組み合わせを探す。上掲の例のごとく。
 でもこれも、膨大な情報(ただの記号としてのことば)があふれつつある現在、砂山から探すためにひとつひとつ摘まみ上げるための便法にしかすぎない。自分の書いたことばが求める主題の検索結果にひっかからないかもしれないし、その上アクセス解析にひっかかるように誰かがクリックしてくれるとは限らないのだから。

 どなたか、ご意見お待ちしております。お前わかってないよ、というような。

【2005.1.30追記】
 おかげさまで、りんどうさんから有益なコメントをいただきました。
 1.30の私のコメントは、長文の上、検索エンジンから図書館に話題がズレましたので、ほとんどそのまま記事として再掲することにしました。こちらです。
 さらにコメントいただけるようでしたら、図書館については新しい記事の方、検索エンジンについては引き続きこちらにそのまま付けるということで切り分けお願いします。

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2005.02.15

図書館学と情報学、法情報学 : 目次

図書館学と情報学、法情報学(1) : 「図書館・情報学」?
図書館学と情報学、法情報学(2) : 「法・情報学」?
図書館学と情報学、法情報学(3) : ネットワーク社会と法情報学
図書館学と情報学、法情報学(4) : 法学と電子情報
図書館学と情報学、法情報学(5) : 法学と「情報」
図書館学と情報学、法情報学(6) : 基礎法学と「法情報」
図書館学と情報学、法情報学(7) : 基礎情報学と情報の社会的認識
図書館学と情報学、法情報学(8) : 図書館・情報学、ようやく
図書館学と情報学、法情報学(9) : 図書館の社会的本質と「情報」
図書館学と情報学、法情報学(10) : 追記

 既に(1)と(2)をアップ。日付をだまくらかしてあとづけでこの記事は挿入している。
 とりあえず一気に書いて、手頃なところでブチブチと切り、表題を付けてみました。もちろん仮題です。
 一覧にしてみると…げっそりしますね、やっぱり。
 その上、法情報学に関する話題が(3)から(7)まで続いていて、バランス悪いことこの上ない(基礎法学と基礎情報学の話入れたくなっちゃったからしかたないんだけどね)。それにしてもオチの部分は特に、最初に始めた話の本筋からぶっとんでいます。手を入れてなんとかなるかなあ。
 なので、途中でやめるかもしれないと、初めのうちに宣言しておきます。MIZUKIさんとこに話が飛び火した原因の話は、(1)と(2)でもう概略書いてありますので、それでもう充分かと。
 なお、ご注意。連続ものはやっぱり時系列順に並んでいた方が読みやすいと思いましたので、トップページの配列順はまたもや古い順になっております。

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図書館学と情報学、法情報学(1) : 「図書館・情報学」?

 当ブログで書いた「図書館・情報学」という表現が、MIZUKIさんのブログで話題になった。
 実は、これは自分なりの意味を込めて、しかしサラッと書いてみたもの。MIZUKIさんのところでは本来の本筋に則った議論をしていただいているので、ご用の向きはぜひご参照を。
 ここでは、その「自分なりの意味」の周辺を書いてみる。論旨を明確にすることを優先させたために、裏がとれていない、印象に偏っているかもしれない。そこはご注意ください。またご指摘いただければありがたいです。

 簡単なことだ。
 「"図書館情報学"は、呼称で一つになるほど、情報学と図書館学が基礎のところで融合なんかしていないんじゃないか」と思っているからだ。
 融合の必要、必然性はあるにもかかわらず。
 だから、図書館学と情報学という意味で、図書館・情報学。

 慶應義塾大学の「図書館・情報学」という呼称への妙なこだわりは知っているが、あえて関係なく書いた。
 慶應関係者の実績と、それ以外の研究者とのそれを見ると、呼称の違いがどれほど重要なのかはいまひとつわからない。

 自分は、法学部の出身だ。
 「法情報学」という呼称領域ができてきている。学会にも法情報学に関連した学会、情報ネットワーク法学会がある。
 これが、「図書館・情報学」の動向とどうにも似通っているように見えてしかたがない。
 迂回して申しわけないが、「法情報学」を枕に、自分の感じていることを話してみよう。

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2005.02.16

図書館学と情報学、法情報学(2) : 「法・情報学」?

 「図書館・情報学」の枕として、「法情報学」について思うこと。
 この先、図書館学に戻ってくるまで長いので、先に謝っておきます。すみません。

 「国際」「情報」と付ければ何でもいい、という風潮がはびこってひさしいが、本家図書館学に限らず、法学の分野にまで及んできている。ただ、日本の法学界本流が採ってきた方向性からすれば、必要なことでもあるとは思う。
 学会のふたを開けてみると、やっぱり二部構成。

 「従来の法学を「情報」の観点で考える」。
 「電子情報ネットワーク環境における新たな法状況を考える」。

 これらは、実は直接的には接点がない。法学を情報の観点から捉える場合の「情報」と、ネットワーク環境における「情報」は、必ずしも同じものを意味していない。
 反面、この二つは従来の法学の方法においてもやってきたことである。前者について言えば、法学ほど社会的な利益の分析、概念構成に実務・学界あげて努力してきた領域もない。後者について言えば、新しい利益状況に新たな規範の必要性が生まれてくるのは当たり前で、電子化・ネットワーク化の側面だけを採り上げるのはむしろ解せない。後者の狭い個別領域を扱うものと了解するのならば、前者と一緒くたにするのはまたわけがわからなくなる。

 自分の主張は、「このような法情報学の学問的状況は、図書館・情報学と似たり寄ったりだ」というもの。
 本記事の論旨は以上。
 以下、伝統的な法学の方法と情報との関係について、もう少し突っ込んでみる。そこで感じていることから、なぜ図書館学と情報学がおかしなことになっているか、見えてくる気がするから。

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2005.02.17

図書館学と情報学、法情報学(3) : ネットワーク社会と法情報学

 ところで自分は、法情報学に単に批判的なわけではない。

 法学徒としては、ネットワーク社会という、新しい社会状況が現実に展開していくさまを目の前にして、規範の世界で予想される新たな反応に期待し、わくわくしていた。法学がローマ法以来の人間社会に通底する規範の合理性、生きた知的遺産をまず踏まえなければならないということを知ってはいても、そんな「生きた知的遺産」が新しい社会状況にどう対応していくか、歴史的に目にできるなんてそうないことだからだ。
 だからこそ、ネットワーク社会の発達に沿って、学界が表立っては即「アタリマエに」受容・対応ができていっていないように見えたことに、歯がゆく感じるようにもなった。
 おそらく、「法情報学」はそのような問題意識から出発した学問だろう。現実の学界の動きに対する、現実的な対応として。

 しかし、方法論的には、やはり疑問が残る。

 前々回の記事の二つのうちの後者、「電子情報ネットワーク環境における新たな法状況を考える」これはまだいい。個別具体的な研究領域だからだ。著作権法のように、新しい法状況に具体的に即応しなければならない分野がある。
 ただし留意すべき点はあって、ネットワーク環境の法理が独立別個特殊に存在するかのような議論がされているのはおかしい。むしろ、ネットワークという新しい「社会の一側面」から、従来の社会の法理もまた連続したものとして見直されてしかるべきだろう。ネットワーク社会といえど、孤絶した社会ではなく、社会の一側面にすぎない。ネットワーク技術は社会を構成する新しい道具、所詮「道具」である。新しい道具によって新しい法状況が表れてくるのは確かだが、それに注目するとともに従来の社会の延長線として相互にフィードバックがされる契機となっていい。

 それでは、前々回の記事の二つのうちの前者は、どうなのか。

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より以前の記事一覧