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June 2010

2010.06.02

今日の稼ぎ

子どもに白髪を抜いてもらっている。日曜に6本、今朝4本。

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2010.06.25

先週も稼ぎ

 先週も、白髪を抜いてもらった。書いておかないと、もう週末だ。
 10本でお駄賃。
 4本事前に抜いていたけれど、6本抜くのはまた根気が要った。
 でも、頑張った。

 「白髪抜き」って大事。

 そもそも、一本を選り分けるのが大変。手先の器用さと、根気が要る。
 「やって」と頼んで「うん」と言える、素直な内でないとダメ。
 「親の言うことを聞く」こと自体の練習や、指標にもなりうる。
 何でもないことでも、普通に話し合える関係か。

 子どもと、祖父母との付き合い方の様子を見ていても、
 核家族は足りないところがあるな、
 親戚付き合いって大事だよなと思う。

 また白髪抜いてもらえるかな。
 お互いにいろいろある。
 期待しないで、楽しみにしていよう。

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2010.06.26

目次:山本譲司『獄窓記』

『獄窓記』
山本譲司
新潮文庫, 2008.2
※ポプラ社, 2003.12の文庫版。

目次

序章
 入獄の日

第一章 秘書給与詐取事件
 政治を志した生い立ち/菅直人代議士の秘書、そして国政の場へ/事件の発端/東京地検特捜部からの呼び出し/政策秘書の名義借り/逮捕/起訴/裁判/判決/弁護士との打ち合わせ/妻への告白

第二章 新米受刑者として
 分類面接/手紙/妻の面会/移送日決定/黒羽刑務所へ/初出役の日/短気は損気/受刑生活における目標/斯くして配役工場へ

第三章 塀の中の掃き溜め
 寮内工場の仕事/障害を抱えた同囚たち/出所への第一歩/塀の中の日常風景/看守たちの生態/形影相弔う年越し/恩人の死

第四章 出所までの日々
 烏兎匆々/ふたたびクローズアップされた秘書給与問題/辻本氏側とのやりとり/人の一寸我が一尺/明治時代から変わらぬ監獄法/本面接/恨事/出所へのカウントダウン

終章
 出獄

あとがき (2003年9月)

文庫版あとがき (2007年12月)
解説 岩波明 (2007年12月、精神科医)

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2010.06.27

感想:『獄窓記』ようやく読了。

 刑事政策関係の新書が、昨年は立て続けに出版され、このところそれらを読んできた。
 山本譲司氏のこの本は、矯正行政関連では必読とされている。
 図書館に予約して、云々…※この項、独立して次の記事へ。

 メタ獄窓記と言われる『続 獄窓記』から図書館で借りられそうだったし、いきなり最初の獄中記から行くのはためらいがあった。しかし他の本を借りていたりして、結果的にこの最初の著作からとなった。
 通勤電車では、文庫本がやはりありがたかった。

 刑務所内の記述に接する懸念は、気にしすぎだった。むしろ「普通の感覚」での記述であって、すっと入っていくことができた。
 読み始めてすぐにかなり引き込まれたのに、最近は、仕事も充実している?割に、疲れてしまって生活の組立もうまくない。
 結局、病院での待ち時間に、最後の三分の一を読み終えた。

 その重要性は、Amazonのレビューでも、いろいろなサイトでも言及があるから繰り返し述べない。同意する。
 しかし、やはり読んでみてよかった。
 自分の個人的な生活経験を省みて、感ずるところがあった。
 例えば、最初にグッと来たのはここ。

 p.162.「息子の両手がこちらのほうに伸びてきたが、それをアクリル板が遮る。しかし、息子は、私に抱っこをせがむように、何度も同じ動作を繰り返している。私は、その愛くるしい仕草に見入るばかりで、次の言葉がなかなか出てこない。」

 p.349以降の「恩人の死」は節全体にグッと来る。

 p.352「恩人の告別式に参列することも叶わない現在の我が身に、切歯扼腕する。」
 p.356「でもさ、俺だけじゃなくってさ、塀の中にいる間に、親兄弟や世話になった人に死なれちまうってケースは、けっこう多いんだよな。…なんだかさ、俺たち受刑者っていうのは、法律だけじゃなくって、運命によっても罰せられてるんじゃないかって、つくづくそんな感じがするんだよな」

 書き出してみると、ありきたりだ。涙もろいだけかもしれない。
 でも、読んでいて、「この自分」の心がグッと来たのは間違いないし、他の人に「前後を読んでみて」という気持ちになる。
 ほかにも、考えさせられる、感じたところは多い。

 あなたも受刑者になるかもしれない。
 案外と、簡単に。
 受刑者になったらどうなるか。
 終章に至るまで、それが書いてある。
 家族、それも子どもとの生活、近親者の死…。
 時間は、誰にでも平等に過ぎていく。

 いまの社会を考える上で、ぜひ手に取ってほしいと思う。
 今回の選挙の投票前に、ぜひ。
 ただ、個々の政治家の名前が挙がっているが、自分は直接の判断の材料にはしない。

 さーて。次の『累犯障害者』『続 獄窓記』の読了は、いつになるかなあ。

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2010.06.28

ここ数年の、自分の読書。それと、ネットの検索

 図書館では、関心がある特定の一冊が出てきたときは、「同じ著者の本」をなるべく予約をかけ、読むようにしている。一冊だけでは、その著者の主張や方法、背景を、誤解しかねないからだ。
 この考え方は、かつて「主標目」が著者だったことに関連している。
 「標目」も古い言葉になってしまった。

 「広がりのある読書」について、もう少し。
 自分の地域の公共図書館のOPACの簡易検索窓で、その本の題名を入れると、書誌上の「著者紹介」等のフィールドに入っている文字列を拾った検索結果まで返してくるので、それで簡単に、候補の広がりが出てくる。必要であれば、書誌詳細表示を確認する。同じ著者でも、別の主題を扱っていることもあるし、関心に含める主題とするか除くかの目安として使う。
 主題に関して、OPACと平行して使っているのは、Amazonのレコメンド機能。同一主題で、(商業的に)話題となっている本が挙がってくる。
 どちらも、参考程度なんだけれど。

 おかげで、図書館の予約はいつも満杯だ。
 Webで予約が可能となり、自分の窓口図書館に配本されると、メールが届く。
 最近の、このありがたい機能と制度にもかかわらず、取置期限を逸してしまって、再度予約と配本をお願いすることもある。
 おかげで、案外読書に時間がかかる。予約が重なっている本は、自分の番がまわってくるまでに更に時間がかかる(←当たり前)。
 もちろん急ぎの本は、ネット書店で買うし、手にとって確認したい場合はリアル書店でめくってみる。

 その割に、購入本はまったく減らない。
 読了後、手にしておき、再読の可能性のある本は、買う。入手できなくなることが多いから。
 逆に、買った本は、むしろ開けていない本の方が多い。

 自分にとって「本を読む」ためには、図書館はどうしても必要な機能だ。
 「本を買う」ことに繋がっていることは間違いない。
 「本を買う」ことと「本を読む」ことは別だ。
 「本を読む」からと言って、「本を買う」量は減ってはいない。
 「本を買う」ことが、質的に充実する。

 ネットは、「本に関するテキストを読む」ために使っている。
 昔に比べ、Amazonのカスタマーレビューくらいしか、使い物にならないのが不満だ。
 昔は、検索エンジンでYahoo!のカテゴリを使って書評サイトがヒットしたし、ブログが出たばかりの頃はきちんとしたコメントが読めた。
 今は、検索エンジンがバカ。
 書店サイトばかりを上げてくる。ブログの記事も、「読んだ」だけの記事が上位に上がってきてしまっている。
 更に、検索ページが膨大になってしまったせいで、あるサイトにその本に関する記述についてあっても、きちんと上げてきてくれない。
 これは、本だけではない。いろんな商品等についても同じだ。
 ロボット検索には昔から懐疑的だったが、最近ではいい加減にしてくれ、と思う。
 ほんと、なんとかしてくれ。

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2010.06.29

PowerMacintoshのHDDを換装し(てしまっ)た

 大昔からこのブログをご覧いただいている方は、ご存知だが、ここには一応Macintoshのコンテンツがある。

 あまりに部屋が物置化しているので、捨てられるものに手を着けた。
 某漫画誌5年分、とか。この処分については、興味深かったので、そのうち触れたい。無知なだけだったかもしれん。

 かつてPerforma系のMacintoshを愛用していた。
 その同系統の機種を、パーツ取りやサブマシンとして、入手して、おいてある。
 その内、デカいだけの一体型(5400系統)は本当にパーツ取りにしかならず、場所塞ぎ。数年前から廃棄処分の筆頭だった。
 漫画誌の処分に気をよくして、「さあ次は」とこいつに手を着けた。
 HDDの点検をして、と。

 「子どもが触るのに使ったら捨てるよ。大昔のエデュテイメントソフトでマウスやキーボードに触ってみるとかさ、そのくらい」。
 「インターネットはダメ。それと、学校で操作が違うといけないから、やっぱりWindowsがいいんじゃない」
 「うん。そう思うよ。だから、ほんと「触ってみる」くらい」
 子どもパソコン入門用に仕立て上げるため、作業スペースの確保とサブディスプレイを購入する許可が出た。

 実は、メインのMacは「メールクライアントとして未だに稼動中」(!)である。
 15GBのIDEのHDDを内蔵させ、パーティションを2GB程度に切って、使ってきた。
 今回、このメインの容量が本当にあとわずかになってしまったので、移行し「なければならない」理由ができてしまっていた。

 それで、まずは処分、と手を着けた。
 処分候補機のHDDは、カッコンカッコン、イカれていた。おお破壊も不要になっていたか。
 次に、予備機を丹念に見てみた。元のオーナーが充分に改造を施してある。
 これが…、よくいじってある。
 いかん、ふるふるふるふる。

 ほんと、改めて思う。
 確かにPerformaシリーズは、改造してもスペック上の限界がある。
 しかし、アプリケーションを見てみよう。
 今現在Classicと呼ばれている(た)、OS X以前の当時で、既に充分すぎるほどの品揃えだ。中古のソフトを、ネットオークションで二束三文で買い置いてある。
 LANカードさえ認識できたら、わが家のLAN上のモノクロレーザープリンタは使える。カラーインクジェットも対応する最後のものを買ってあるので、充分。

 MacOS8.6以降、どこが変わったのか。
 ブラウザだ。
 ブラウザが重くなった。対応したブラウザがなくなった、という以上に。
 ココログを更新しなくなった理由はいくつかあるが、ブラウザに対してココログが無理な処理を要求してきていたために、ブラウザが固まるようになったからだ。
 表示さえ崩れまくっていた。
 Yahoo!のトップページも。
 ココログは、編集もままならなくなった。

 それが、昨今、ブラウザは簡易モードで自動的に表示され、昔に比べれば使えるようになっていた。表示しない、ということはない。
 技術の進歩はありがたい。携帯に対応したってのが大きいんだろうな。
 もし、PowerMacG4をもっていたなら、MacOS9をそのまま、快適に走らせていた。この部屋じゃ場所がないけど。
 対応ブラウザは、WaMComだったが、なんとその後継も出ているという。
 Classillaというそうだ。今度試してみよう。

 ということで、この太古の愛機諸君。

 まず予備機については、整理して、子ども用に使えるようにすることに。
 昔のMacOSは、起動ドライブがどれでもかまわない。コピーもかなり容易だ。そのまんま、移すだけ。
 40GBのHDDが余っていたので、かなりな余裕を持ったパーティションを切る。
 予備機のHDDはオリジナルとして保管、40GBのHDDのパーティションにコピーを作成して子ども用Macの環境として加工する。
 WindowsXPのバックアップやコピーに比べると楽だ。
 コピーも起動ドライブの選択も自由にできるから、安心していじれる。
 XP機のフォーマッタやパーティションエディタに苦しめられたのに比べれば、簡単だ。システムのバックアップも復元がうまくいくとは限らないし。

 その途中で。
 あれ、待てよ。
 メインのMacも、何とかなるんじゃないか。
 移行を促す条件は整ってきてしまっていたが、その最も大きな要因、「現状のHDDが限界だ」ってのは、クリアできるぞ。
 MacOSのHFS+が2TBまで運用できることを確認して…失敗したときのWindowsへの転用も考え、400GBという選択肢を振り払い。
 IDE HDDの120GBを買ってきた。中古で2000円以下。

 120GB強の壁のために、IDEドライブの120GBは一年前はかなりな品薄だったが、さすがにWindows7がリリースされた現在、少しは流通があるらしい。
 こちらも贅沢にパーティションを切り、コピーをして…。

 やったやりました。
 これで、暫くは、延命だ。容量を気にしないで、メールをローカルへ落とせる。
 インターネット万歳。規格が一致していれば動くってのは、すごいなあ。
 次世代インターネットが普及したりしたら、絶体絶命だけれど。
 XPがまだ動く、どころじゃない。
 「Classicはまだ闘える」。
 今のうちに、今度こそ、ちゃんとした移行の準備をしようっと。

 メールクライアントとして使えなくなっても、スタンドアローンのマシンとして、使えるかもしれない。
 文章を書くとか、パソコン通信時代から変わってないもんなあ。
 変わったのは、デジカメの容量と、iTunesくらいだ。
 クラウドコンピューティングの時代、iPadやiPhoneの方にこそ、対応しきれない機能というかシーンが、ありそうだ。
 それもまだ、始まったばかり。

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