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January 2008

2008.01.01

越年・初夢

 12/28の記事、頑張って再現しました。
 半分くらいが、カットされてしまっちゃってた。
 min2-flyさんところにもトラックバックが入らない。
 機嫌が直るまで放っておこう。
 果報は寝て待て。今夜は初夢。

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2008.01.05

アフィリエイトは結局アマゾンに

 いい加減、アマゾンアソシエイトに慣れたいと思っているのだが…めんどくさい。
 ココログの正規のアフィリエイトサービスがアマゾンしかない現状では、「長いものに巻かれろ」で慣れてしまえば楽なんだが。
 アマゾンにもいいところがあるかもしれないし。
 …あああ、bk1。なんでやめちゃったんだよう。トラックバック打ちやすくていいんだけどなあ。

 ヘルプには「本リスト」への登録は書いてある(簡単だ)のだけれど、「記事中のアフィリエイト」については、ココログフリーのことしか書いていない。ココログベーシックの新規記事作成画面を見ると、どうもフリーと同じではないようだ。

 あああめんどくさいなあ。

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2008.01.07

仮面ライダー電王、クライマックス!

 今年のライダーは子どもと一緒に見ていた。
 今月で終わりだ。

 「電車とライダー!?」当初コンセプトにクラクラ。
 そうは言っても、子どもは電車好き。気軽に子どもと一緒に見始めた。
 けっこうぶっ飛んでいて、楽しかった。

 しっかし、デザインはどこまでもチープだったなあ。普通は怪人のデザインに凝ってたりするんだが。
 ライダー各フォームも怪人も、劇中人物のイメージが実体化している設定で、主人公が「良太郎、…センスねえな」と突っ込まれていた。

 スポンサーが「ライダー、今年は電車で行きましょう」と言っておもしろくなったのはいいが、玩具にびっくり。ほとんど毎月新しいアイテムが出るし、値段、凄いのねえ。
 戦隊もののロボが高いだろうこと、2号ロボが出てることも、…でも、今年は3台めが出てる上に、全部一万円近くしてるようだった。
 デンライナーセットもキングライナーにも、びっくり。
 わが家は『てれびくん』の付録で、親子とも充分楽しめたけれど。
 来年は特撮はナシ。子ども自身は「親に付き合って観ていた」様子(苦笑)。

 映画のエンディングには泣けた。「人の記憶こそが時間」という劇中設定はなかなか。
 「過去が希望をくれる」というキーワードに導かれて、ドラマの終着駅を楽しみにしている。

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2008.01.14

一万年と二千年前から愛してる

 家人がある番組を見逃して塞いでいたので、YouTubeを探してみた。
 それはあった。やっぱり。

 ついでに、前から気になっていた曲が、あるんじゃねーかなーと探してみた。
 『創聖のアクエリオン』。

創聖のアクエリオン ver高音質 
ヴァイオリンとピアノで創聖のアクエリオン
創世のアクエリオン 英語版
創聖のアクエリオン OP オーケストラVer

 PC立ち上げて作業しているときは専らこればっかり聴いていた。

 しかし…河森正治の頭の中はどうなってるんだろう。
 完全合体・完全変形はわかるんだけれど。「あなたと、合体したい。」って。無限拳とかはやっぱゲッターロボ的な破天荒なもんだし。
 「マクロス」の変形ロボと歌と恋愛ってコンセプト以来…なんかすごい。
 曲は、例によって菅野よう子。『マクロスプラス』の曲もよかったな。

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2008.01.21

みんなのうた三昧リクエスト・アワー

 「今日は一日みんなのうた三昧 リクエスト・アワー」
 昨年末はまた「みんなのうた三昧」だったわけだが、FMを全部録音するのはやめた。
 絵のない「みんなのうた」が寂しかったということもある。
 で、リクエスト・アワーの部分だけテレビで放映していたので、そこを録画した。
 なおこちらは、「今日は一日○○三昧」のページ

 「やっぱ絵がないとなあ」「自分のほしいのがまとまったDVDがほしいなあ」と思いつつ観ていた。よかった。「恋するニワトリ」とか、アニメないとねえ。

 その中で、「コンピューターおばあちゃん」。
 初音ミクさんのサイトにあった。これに付けられた絵もほほえましい。

 初音ミク情報館
 Blog Bros.:初音ミクさんがコンピューターおばあちゃんを歌ってくれた

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2008.01.22

図書館と財産権の精神

 『ず・ぼん13』が届いた。話題の「有川浩インタビュー」ほかもりだくさん。
 ちなみに自分は「図書館戦争」シリーズのファン。一方で有川浩氏の困った側面をネット上で見たこともある。またまた一方で、図書館雑誌誌上の図書館戦争批判は難癖だと思っていた。
 それは別項にて、今回は措いておいて。

 ポット出版には、ときどき「おや」と思わせられていた。
 そもそも『ず・ぼん』なんて本を作ったり。『ず・ぼん』のバックナンバーをネット上で公開したり。
 『ず・ぼん』が出た頃は、公貸権論争もかまびすしく、「図書館のことを採り上げ、考えてみようとする出版者がいるんだ…」となんだかわくわくしたことを覚えている。

 ポットの日誌「図書館で働いて、ちょっと、と思った事」

 どきんとした。
 そうだよ。こういうことをこの間まで議論していたはずじゃなかったか。

んでんで、その後、その区でだしている「図書館だより」を見ました。
そこには、「読み終えた本を寄贈していただけませんか」という記事があり、
特に予約の多い本のタイトル/著者名/出版社、の表がついていました。

(中略)

僕自身、この事態をどう考えるのがいいか、今もちょっと整理しきれてません。
でも、図書館が無料で本を貸し出すのはいいし、副本(説明省略)も一定の限界を設けてあればいいと思うのですが、寄贈をよびかけるのはどうなんだろう?という感情になっているのです。

無料貸し出し、副本、はいいとしても、購入という形で著作権料を支払う、というのが図書館にもとめられていいのではないか?

 本の作り手の、こんな観点を無視してはいないだろうか?

 ポットの沢辺さんは敵にはまわしたくない。
 しかし実際、リクエストの多い本については、今回の記事のようなことは日常茶飯だろう。
 図書館の予算は限られているわけで、複本を買わなくて済むなら、ベストセラー以外の本にまわすことができることも自明。
 沢辺さんの違和感はこれで解消できないかな…と思っている。 

 しかし。
 そこから延長して、矢祭を安易にモデルケースとしてしまう考え方ってどうなのよ、と妄想してしまった。
 つまり、寄贈をメインとする図書館。出版界の側はどう捉えるのだろう?
 『ず・ぼん』は次、矢祭町に取材に行かないかしらん。

 公立図書館には、国立国会図書館の納本規定に込められた日本国憲法第二十九条第三項「財産権の相当補償」の考え方は、ない(のでいいのですよね)。
 ただ、民間納本の納本代償金制度については、国会の初代館長金森徳次郎は憲法学者で、一冊といえど財産権の存在を指摘したんじゃなかったか。…あれ、著作権じゃないよな、この話って。モノとしての本のことだな(…だから「寄贈もかまわない」って?)。

 図書館業界がそんなこと言ってる場合じゃない、ってのもわかる。
 わかるが、それってさ。図書館や、自治体、ひいては読み手の側の都合じゃないの?
 なんだか、安定的・普遍的なモデルであるとは、到底言い難い。

 矢祭町を成功と言うなら、自治意識のきちんとした自治体の決断、というだけで充分だ。そのこと自体はもちろん、尊重に値する。いろいろな図書館があっていい。そのひとつだ。そのひとつ、というだけだ。
 しかし、本の作り手との間の問題では「決定的に欠けた図書館である」ということは言えるんじゃないのか。これがボランティアが勝手にやってるんだったらわかる。自治体という名の「政府の元において作られた住民の共有資源であるところの公立図書館」であるというところに、問題がある。

 そう考えてしまう。
 自分がとらわれているような、「旧来の思考枠組」なら。

 学術・小出版がかつてあげていた「図書館で3000部買ってくれたら」という声。図書館の側からしたら無理な相談、そんな都合のいいことを言われてもね、ともわかってはいる。
 だけど、そんな作り手の声を考慮しない図書館-出版流通モデルってのは、どうなんだろう(「一回誰かが対価を払っているんだから問題なし」とする)。寄贈はもちろんありうるが、資料収集の「原則を寄贈とする」ならば、違和感がある。
 確かに収集手法が紋切り型ばかりじゃつまらないが、これまた考察に値するんじゃないか。誰か、寄贈型図書館モデルの展望を示してもらいたいな。

 いやー実際には問題じゃないですよ、という見解もあるでしょう。それはそれで示していただければ。この記事で提起した問題意識とは全然違いますが。
 それでも、上で重ねたロジックにも、妙なズレを感じてもいます。
 どなたか整理していただければ、幸い。

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2008.01.26

『図書館の論理』、特集・図書館法の30年

 こんなの忘れていた。

 就職してから、図書館員の知人に聞かれた。
 「図書館に興味もったのはどんな本から?」
 「大学図書館の書架に並んでいた羽仁五郎『図書館の論理』。憲法の先生が真理と自由の関係を話題にしていた頃に、中井正一と国会図書館の前文の話を見つけたりして。あと、塩見昇『知的自由と図書館』かなあ…実物の塩見先生は、就職してから多摩方面でやった講演会を聴いたときに、申し訳ないけど「あーこりゃあ…」と思っちゃった」(そのときのテーマは「図書館と法」だった)。
 佐藤晋一『中井正一・図書館の論理学』の最初の版が出たとき、なけなしのお金を出して買った。「ちびくろサンボ」が問題視された時期で、「図書館と自由」シリーズを借りて読み、根本彰先生に憧れたりした。
 かの知人も法学部出身だったが、「図書館の思想に興味をもつにしては、中井正一から入るなんて普通じゃない」と言われた。
 今でこそ岩波文庫で出たりしているが、大学図書館にあった「中井正一全集」はほしかったなあ。はたして価値があるのかわからないが。
 筑波の後藤先生が中井を研究されているが、羽仁同様、歴史ではある。図書館界からすると正道ではない気がする。不勉強なこともあって、いつまで経っても外様感覚が抜けない。

 前の記事の、国会図書館の「納本」制度の位置づけの変化と納本代償金「相当補償説」については、『図書館の論理』に出ていたんじゃなかったか…と思って、積ん読状態の本の山を越え、書棚の奥に眠っている学生時代のファイルをひっぱり出し始めた。当時コピーしたファイルをまだもっている…さすがに今年は整理しよう。
 それでまた、肝心の部分が出てこないんだなー(苦笑)。
 めくって見ている中に、こんなものが!

 『法律時報』1980年(52巻)11月号・特集=図書館法の30年

 『法律時報』で「図書館法の30年」の特集、かあ…。5本も論文がある。
 すごい時代だったのだなあ。
 今の『法律時報』で図書館法なんて、特集してくださるかしら。

 しばらくして、『図書館の論理』のコピーが出てきたが、このコピーには金森徳次郎氏の相当補償説は出てこなかった。
 どこで読んだのだったのかしらん。

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2008.01.28

疲労感

ダメだ…眠い。
身体が健康な証拠…かな?
無理無理記事を書いてもしょうがない。
寝よう。
(明日のことは考えないで。)

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2008.01.30

自分自身も寄贈はしたいんですけどね

 愚智提衡而立治之至也:此れ臣の未だ解せざるの一なり

 相変わらず議論がかみ合っていないな…と思います(相手にしていただいていないかもしれませんが)。
 こちらは煙に巻くようなつぶやきを、次の記事で。

 自分はレコードを含む「著作権の問題」としては論じていません。そもそも自分の元の記事は、言いたいことが読みとりにくかったと思います。
 G.C.W.さんの論理は、

 roeの論A。
 →Aに対する(Aを含む?)批判材料として「反証b」を提示。
 →したがってAには疑問がある。
 →さらに、G.C.W.氏のB論。

 といったものと感じました。
 bの提示の段階で、Aを唱えた私自身「そんなこと言ってないんだけどね、反証にならないと思う」で終わっちゃう話、と受け止めました。これが「かみあっていない」という意味です。
 G.C.W.さんに対しましては、申し訳ありません、以上です。
 失礼な物言いなり、読解力のなさ・説得力のなさについては、謝っておきます。
 以下、上記エントリに対する感想を述べさせていただきます。

 各紙のご紹介、G.C.W.さんのB論に相当する部分は、ごもっともです。
 実際、私も近所の病院や集会施設にわが家の不要本を寄贈したいと思ったことはいくらでもあります。必ずしも公的な施設ではありませんが、人が集まるいわば公共空間(自分が「図書館的なるものの意義を、法制度によって定義された図書館にのみ見いだしている者ではない」こともまた、付記しておきます)。
 いつもお世話になっている図書館も、遠いところにあり(自治体全体、人口と面積で考えるとなんたる設置数…そして資料購入予算)、寄贈したくもなります。
 また私は、小学生の頃、先生発案の「同級生同士で互いに貸し出してもいい本」リストに随分と書き出し、「えーこんなに!」と驚かれました。自分から借りてくれ、本の話をした友達もけっこう多かったけれど。今思えば、嫌な小学生だったんだろうなー。

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2008.01.31

政府と寄贈型図書館モデル・迷考

 さて次。「煙に巻くようなつぶやき」。
 以下の会話自体が、寄贈型図書館論者と著作権論者とどちらに荷担するものか、自分でもよくわかっていません。
 ただ、自分はこのような議論の延長線で、出版物と寄贈型図書館の問題を捉えたいと考えております。「図書館員として」。これが、以前の記事で「旧来の思考枠組」と述べた由来です(古い・ついてこれていない、という時点で、無駄な思考かもしれません)。

 「公貸権」論なりが論じられた頃、むしろ前夜でしたでしょうか。再販制がまだ論じられていた頃だったかもしれません。私は、図書館員の友人と、図書館と出版について議論していました。友人は、図書館員でありながら、これまた法学部卒でしたので、実定制度としての著作権法を無視できませんでした。
 当時のことですから、現在のそれと同様、とは誤解しないでください。状況も相当異なります。整理もされていません。2000年代に入って、出版界との議論の中で、以下の雑談は既に無意味になっている可能性もあります。そうであるなら、ご指摘ください。ぜひ、その文献をご指摘いただけるとなお幸い。

 私「(公立の)図書館が、出版物を購入するということは、出版界にとっては、政府による一定の支援になりうる。市場への介入。それが意図的であろうとなかろうと、"市場に対する政府の機能"としての側面はあって、特に地方・中小出版に対しては、図書館はそれなりの意義・役割はあるんじゃないだろうか。大きな出版社やベストセラーはこの際、議論の外」。
 友人「市民に対して「あらゆる資料へのアクセスを保証する」だとか「(ベストセラーだけではない)零細な言論(出版物)へのアクセスを用意する」というのなら、求める市民に対して、政府はお金を直接ばらまいたらいいんじゃないの?ブックスタートみたいにさ。「市民が読む」ことがそんなに大事なんだったらね。政府がそれを実現する方策が、「図書館」という手段でなければならない理由がわからない。実定的に確立された財産権に図書館が優先するという論理は、自分には簡単には見つからないな。基本的には「自分で買う」のが原則なんじゃないかな」。

 図書館が設置主体の経営に依存する以上、寄贈型図書館は、自治体の決断としてはありえます。矢祭町のように、自治体全体のポリシーが明確ならば、私は肯定できます(すみません、「明確らしい」くらいしか知識はなし)。しかし、それは例外です(自分に「例外だと考えたい」という願望があるということもまた、否定できません)。
 しかし、「政府がとにかく図書館に金をかけない」という流れに与するということは、自分は、とうてい「当然である」とは受け入れられないのです。「政府は"文化"に金をかけない」という判断をしていると思ってしまう。
 高齢化社会は予想されており、「図書館は福祉に対して勝てるだろうか?同じ自治体の中で予算獲得という名のお金の奪い合いをしなければならない。理由付けが起こせるだろうか?」という問題意識は既に十年前からありました。自治体から図書館に求められるものとして、「高齢者サービス」どころではなく「ニート対策」が優先順位の上位に来るとは思ってもみませんでしたが。

 設置母体に対して、図書館員は「資料費かけなくてもいいです」と言っちゃっていいのでしょうか
 実際的な問題としては、寄贈もまた、進めて収集していくべきでしょう。お金がないのだから、そうせざるをえません。収集対象は新刊本ばかりではないでしょうし。しかし、その現実的な対応と、寄贈型図書館モデルを称揚することとは、まったく別に思えてなりません。
 少なくとも、躊躇や検証はあっていいんじゃない?「公的セクターとしての図書館」についての学問的な積み重ねはあったはずで(疑念や「空洞であった」という指摘を含む)、それらの努力を抜かして誘導しているかのように見える議論には、いかに結論が正しかろうとも、荷担する心情にはなりません。

 いやー実際には寄贈って当たり前でさ…という数字的なところはあえて挙げませんでした、あえて今回は。
 もし挙げるのでしたら、どなたかどうぞ。それはそれでおもしろいと思います。

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