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June 2006

2006.06.05

ミュージカル『ミー&マイ・ガール』を観た(1)

※6/6に公開。

 ひょんなことからチケットが手に入り、どんな演目かも知らずに見に行った。事前に調べている余裕もなかったので。
 帝国劇場の『ミー&マイ・ガール』である(リンク先、フラッシュが動くので注意)。この6月いっぱいの上演なので、印象新たなうちに、久しぶりに記事を起こすことにした。
 先週マンガ『エマ』第7巻が刊行、本編の単行本は完結。同時にアニメーションガイド第3巻も刊行されこちらも完結。
 実にタイミングのいいネタであった。英国ファンのみなさんは観に行くとよろしいのでは、と。

 ミュージカルは、食わず嫌いだった。
 演劇は、関東に出てきて、たまたま縁のあった三百人劇場には行っていたことがあるが(これまた建物は最近閉じちゃったんですよねー)、広くは知らない。音楽も、オペラだのは聴きに行ったことはない。
 ミュージカルを初めて見たのは、CATSだったが、あの濃い化粧に付いていけなくて。

 (ここで「私とミュージカル」について縷々書いてみたが、くどいので記事としては後回しにする。)

 現代のミュージカルというのは、一分野といった印象だがどうなのだろう。少なくとも単に「ドーランが濃い」という表現では足らない、あのゴテゴテとしたメイク。一昔前の「特殊メイク」じゃないんだから…自分の感性では、あれだけで一ジャンルといった印象をもってしまっていた。
 それが、今回の『ミー&マイ・ガール』で、「へえミュージカルって言っても、四季がやってるようなミュージカルばかりではないのだなあ」と認識を改めた。

 残念ながら今回の『ミー&マイ・ガール』も、ポスター、パンフレットは写真がよくない。ミュージカルに慣れていない者から見ると、違和感がある。
 特殊メイクの要らない劇なのに、と少し残念であった。

 『ミー&マイ・ガール』は、背景を知って楽しむとまたおもしろいのではないかと思う。
 まあそんなことを言う自分は、スノッブで、洗練されていないロウアー・ミドルクラス以外の何者でもない気がするが。

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2006.06.06

ミュージカル『ミー&マイ・ガール』を観た(2)

 友人への最初のメールより。


 行ってみてよかった。
 ロンドンでキャッツを観て、ミュージカルには偏見というか、苦手意識が付いてしまったんだけれど。今回のは普通の演劇の延長線として見ることができて、ミュージカルへの認識が改められた。
 テレビの名探偵ポワロの舞台がそのまんま。
 階級社会の背景は変わらない。家事使用人(メイドさんに執事等々)、都市の労働者の風景は世紀末と同じ。上流の人々の服装が男性女性とも時代が下ってんのね。
 ストーリーはエマよろしくエンターテイメント。コメディだし。

 なんだか、キャスト・スタッフとも楽しそうにやっていたなあ。
 主人公役の役者さんは男性の目から見ても好印象。脇役もそれぞれの見せ場楽しくて。
 ヒロイン役だけがどうも僕は評価できなかったんだけれど、パンフ見るとなんと小学生からピーターパン5代目に抜擢されてやってきている人なのね。ちょっと彼女への演出がまずいんじゃないかと思ってしまった。スキル自体は確かに、もの凄くある。


 ミュージカルのファンは、主演の井上芳雄(ビル)、笹本玲奈(サリー)に注目!ということらしい。ポスターの写真のアピールも、「ミュージカルの文法に則って」「この二人で売ろうとしている」ように読める。

 日本版『ミー&マイ・ガール』は、宝塚に始まり、数年前の帝劇=唐沢寿明・木村佳乃コンビが有名、とのこと(Wikipediaを参照)。

 確かに、これまでの『ミー&マイ・ガール』の主役に比べて若いながら、二人ともすごい経歴である。詳しくは帝国劇場のHPなり主演の二人のサイトをご覧ください。
 素人目にはテクニックが素晴らしかったし(ほとんどバレエというシーンがある)、随所に組み込まれた笑いをとるネタをしっかりこなしていた。インタビューでは、井上氏は「ブロードウェイ版を自分で見ていて、いつかやってみたいと思っていたけれども、十年早かったかと泣きたくなった」と言っている。

 井上氏はこれまでプリンス役が多く、それで評判を得てきたというのに、自分は「いやー素でスチャラカ青年をやっている感じが気持ちいいなあ。"愛こそすべて"と言っても楽しくていい!」。若いから自分の素の部分を役に出していったところもあるようにお見受けするが、芸の幅を広げるという意味では相当の努力があったらしい。
 ちなみに唐沢版は酸いも甘いも経験済、貴族を茶化すようなところがあったとのこと。唐沢氏は好きな役者で、今回の観劇も彼の広告が記憶の底にあったからなのだが、このストーリーなら井上版が好きかもしれない。社会批評より、あくまで「ファンタジー」なのだから。

 一方、自分が笹本玲奈を評価できなかったのは、太っていたのが気になった(実際、これまでの彼女からすると太っているように見えるとのこと)。設定が下町っ子だとはいえ、着膨れしている感じはいただけない。
 エマに相当する立場なだけに、実はよくよく考えるとけっこう深刻である。深刻な立場でも、コメディ。キュートさとけなげさが個性を生かす形で伝わらないともったいない気がする。能力は非常に高いようなのだから。

 ジャッキー役の純名りさ、公爵夫人役の涼風真世、には難ありとするウォッチャーもいるようだが、自分には充分魅力的に映った。男爵役の村井国夫はもちろんよかったが、ほかのバイプレーヤーたちも実に魅力的だった。ミュージカルとして肥えた目で見ているのと演劇の延長で見ている目の差なのかもしれない。

 問題は、一人ひとりはとてもいいのだけれど、まだ全体としてこなれていないのかなあ…というところか。
 定番で楽しむ「ランベス・ウォーク」というナンバーがあるのだが、どうも違和感がある。それで、調べ始めたのだが。
 次の記事はストーリー上のネタバレがあるので、ご注意。まあ、ストーリーはある意味陳腐なので、オペラ同様ストーリーは知った上で、その場のライヴ感を楽しんだ方が楽しいとは思う。

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2006.06.07

ミー&マイ・ガール参考資料:新井潤美『階級にとりつかれた人びと』

Arai2001  新井潤美『階級にとりつかれた人びと』から引用する。
 なお、本書の目次はこちら
 左にリンクしてあるbk1には書評が2件付いている。いずれも充分な紹介記事なので、ご覧ください。
 新井潤美氏は『不機嫌なメアリー・ポピンズ』平凡社新書, 2005.で、副題「イギリス小説と映画から読む「階級」」が示す手法を採っており、作品を鑑賞する上で興味深い視点を提供してくれる。
 たくさんの作品が詰め込まれている平凡社新書の方には『ミー&マイ・ガール』は出てこないが、同じ手法の元本であるこの中公新書の方に、『マイ・フェア・レディ』と並んで採り上げられていた。

 劇中設定でも1930年代、初演時とまったくの同時代。そんな中で、BBCでのラジオ放映を機に爆発的ヒットをトバし、ロイヤル・ファミリーまで見に来たってんだから、興味深い。なんでさ、誰が見に行ったんだろう?

 以下、『ミー&マイ・ガール』についての部分。

 pp.136-139. (「第六章 貴族への憧れ、労働者への共感」より)


 『ピグマリオン』からアイディアを得たと言われたミュージカルは、実はこの前にもあった。一九三七年にロンドンで大ヒットした『ミー・アンド・マイ・ガール』(台本L・アーサー・ローズとダグラス・ファーバー、作曲ノエル・ゲイ)である。この作品は、ロンドンのイースト・エンドに暮らすワーキング・クラスの気の良い青年ビルが、実はヘアフォード伯爵という古い貴族の、唯一のあとつぎだということがわかり、その屋敷に連れて来られる。しかし話し方から始まって、礼儀作法、身のこなし、洋服の趣味など、あらゆることがらについて訓練が必要な上、彼にはワーキング・クラスの恋人がいた。すったもんだした挙句、恋人のサリーがこっそり訓練を受け、話し方、服装など、完璧な淑女となって登場し、これならビルの相手として申し分ないというわけで、二人とも伯爵家に受け入れられ、めでたしめでたしとなる。この作品が、初演のときには一六四六回の上演を記録し、歴史に残る大ヒットとなった。さらに一九八五年に、エマ・トンプソンをサリーの役に迎えてロンドンのウェスト・エンドで再演されたときも大きなヒットとなった。話は軽くてたわいないものだし、歌も軽快で楽しいが、特に素晴らしいわけではない。この作品がこれほどまでにイギリス人の観客の間に人気があったのは、まさにイギリス人にとっていちばん好ましい存在―アッパー・クラスとワーキング・クラス―が主人公だからである。ビルは心も態度もワーキング・クラスだが、『マイ・フェア・レディ』のイライザ同様、シンデレラ的大変身をとげ、ミドル・クラスをとびこして、いっきにアッパー・クラスの淑女になってしまうのだ。
 このミュージカルのいちばんのヒット・ソングは、ビルが昔の生活を懐かしんで歌う、「ランベス・ウォーク(ロンドンのテムズ川右岸のワーキング・クラス区域にある通りの名。「ランベス風歩き方」という意味にもなる)」である。

 ランベスに来てごらん、
 いつでも来て見てごらん、
 俺たちが「ランベス・ウォーク」をやってるよ。
 ここは自由できままな生活。
 やりたいことをやってりゃいい、
 一度来てみろよ、
 来て、そのまま帰るなよ。
 一度ランベスに来てごらん、
 いつでも見られるよ。
 俺たちの「ランベス・ウォーク」。

 前びさしのある帽子をかぶり、きらきら光る真珠貝のボタンを洋服に縫いつけ(十九世紀のコックニーの呼び売り商人たちの衣装)、親指をたてながら「オイ!」と声をかけ、ロンドンのコックニーたちが舞台を闊歩する。これは何度もアンコールを要求される、人気のナンバーだった。しかし、こうしてワーキング・クラスの生活を懐かしむビルも、「ウィリアム征服王の時代から伝わる」ヘアフォード家の血をひくものとしての義務、「ノブレス・オブリージュ」を教えられ、貴族としての責任を担う覚悟をするのである。この現実逃避的な「古き良きイギリス」には、ロウアー・ミドル・クラスの「リスペクタビリティ」は存在しない。どの階級の観客にとってもこれは、一つの「理想の中のイギリス」であり、現実とは別に、「イギリスのよいところ」として美化して楽しめる世界なのである。


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2006.06.11

私とミュージカル

 「『ミー&マイ・ガール』を観た」から除いた、余分な記事。

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 ミュージカルは、食わず嫌いだった。
 演劇は、関東に出てきて、たまたま縁のあった三百人劇場には行っていたことがあるが(これまた建物は最近閉じちゃったんですよねー)、広くは知らない。音楽も、オペラだのは聴きに行ったことはない。
 ミュージカルを初めて見たのは、CATSだったが、あの濃い化粧に付いていけなくて。

 CATS自体は、そもそもの原作にシャーロック・ホームズネタが散りばめてあると聞いていて(これは牽強付会ではありません)、ミュージカルの定番のようだし一度は観に行ってみるべきかなあと思っていた。このホームズ研究での作品紹介で、CATSは独自の世界をもっていることも知ってはいた。
 しかしそんなに熱狂するような内容かというと、付いていけなかった。よくは知らないが自分には、なんか、アノ「救い主は誰か」そして生死不明で昇天するってのはガラハッドっぽいし、娼婦ってのがまたケルトの発想っぽく感じられた。
 要は、純正のキリスト教・ローマ文化ではなく、かといってそこから離れられない「イギリスらしさが現代の文化に衣替えして現れている」ように見受けられたんだけれど、それがそんなにツボなのかなあ、と思う。アレンジのオリジナリティはあるとは思うけれど、だいたい、興行としてそんなに面白いもんなの?手が込み入りすぎていて、ただその場のライヴ感で楽しめるというものでもなかった。
 その上、日本での翻訳がヒットしているというのだから訳がわからない…観客の文化自体も異なっているだろうに。

 よっぽど、テレビで子どもと一緒に観る「おかあさんといっしょ・オンステージ」の方がストレートだと思う。子どもの頃、劇団四季が来て、「ピノキオ」やら「オオカミと七匹のこやぎ」やら「三匹のこぶた」やら見たっけ。同じ劇団四季とは信じられない。
 『ライオン・キング』なんて、自分にとっては最悪!あの着ぐるみでアニメを再現するという発想、気持ち悪い…。そもディズニーのアニメと『ジャングル大帝』との関係を想起させられ、日本人よ、自国の文化を知った上で見に行けよなーと頭に来るのだ。手塚プロとディズニーとの間では交渉があった上での展開だったらしいが、著作権者同士のことなんてどうでもよい。「聴衆」として、『ジャングル大帝』のマンガを知る者には手放しでは喜べない。

 現代のミュージカルというのは、一分野といった印象だがどうなのだろう。少なくとも単に「ドーランが濃い」という表現では足らない、あのゴテゴテとしたメイク。一昔前の「特殊メイク」じゃないんだから…自分の感性では、あれだけで一ジャンルといった印象だ。
 それが、今回の『ミー&マイ・ガール』で、「へえミュージカルって言っても、四季がやってるようなミュージカルばかりではないのだなあ」と認識を改めた。

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