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2005.11.01

たけぱんださん、そして私も新潟県中越地震を振り返る

 山古志出身のたけぱんださんの「たけぱんだな日々」が、一年前を回顧する記事を連載している。
 以前「落ち着いたらまとめるつもり」と書いておられた気がする。それに対応するシリーズだろう。
 たけぱんださん自身は既に故郷を離れて職を得ておられ、地震そのものが落ち着いた頃には、多忙でよくブログの更新がとまったり、仕事で死にそうな様子が推測される記事が出たりしていた。

 地震発生時は山古志を離れていたたけぱんださんだったが、被災地にいる家族を心配しての、地震直後からの動向、心情は自分にも共感するところが多かった。行動力はかなわないけれど。
 心配は心配、自分の実家はそれなりに大丈夫だったけれど、周知のとおり山古志は大変。何度か避難先や現地の様子を報告されるたびに、現地発の生の情報を読ませていただいた。
 印象に残っているのは、たけぱんださんがボランティアと協力しながら、クリスマスケーキをプレゼントするイベントを早期に始動させ、成功させたこと。自分はブログを拝見させていただいて、「ケーキどこがいいでしょっかねー」「やはりボン・オーハシでしょう」なんてコメントを書いたことくらいしかできなかったけれど(でも、様子を探りにボン・オーハシに電話してみたりしたんですよ〜。昔の「たけぱんだな日々」に残ってんじゃないかな)。

 改めて、今回の連載を読んで、あの一刻一刻の生々しさを思い出している。
 実家のごくごくご近所に、地震が原因で亡くなったオバチャンがいる。親戚以上の付き合いをしてきた、半ば親代わりでもあった方だった。長岡花火をそのご家族と一緒に観て、壮大さで胸がいっぱいになると同時に裏腹に「ああ、オバチャンともう一緒に見れないんだなあ」となんだか自然と涙が出た。
 地震だけではないが、今年は頻繁に実家に帰った。でも地震のせいもあるんだろう。実家がなんとなく心配で様子を見てきたかったり、地震があったからこそ、両親が健在なうちに長岡の自然と、子ども、新しい家族との付き合いをさせたかったんだな。
 子どもにとっては初めての雪体験、かまくら。春、桜がまだ残る悠久山に家族揃っての花見。そして花火…。

 自分の実家はもう落ち着いているが、帰るたび、そこここに残る傷痕を見ないことはない。
 いつも、ご近所の"兄ちゃん"と正月に詣でていた高龍神社もどうなっているやら。
 それこそ、山古志の春はまだ遠いのかもしれない。応援しています。

 そう、更新停止になった「きょうもつんどく中ココログ版」も読み返すいい機会だと思っています。
 図書館業界のみなさま、右サイドバーのリンクからぜひどうぞ。作者のかんちゃんがもてあまし気味なようなので今のうちです。あのブログとの"出会い"がなければ、このブログの"いま"もなかったなあ。

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Comments

…もてあまし気味、というかあれはあれでもう既に終わったことです。
そこに住む地元民としては、振り返るというだけではなく、日々、次に進まなければいけないという気持ちが正直なところなのです。
(だから、モニュメントなんていらない!というのが私の意見です。早く妙見を元に戻してくれないとイライラが募るばかり…)

っつーことで、十分に地震を回顧できる暇もなく、風邪ひいてしまいました。今も再起不能中です。

Posted by: かんちゃん | 2005.11.01 at 22:11

トラックバックありがとうございます。

なにか残しておきたくて、つたないことをつらつらと書いています。以前から書きためていたものを加筆、修正していますが、あの当時では書けなかったことや思っていたことをいろいろと追加しています。
正直、いまさらってとこもあるんですが、なにかしらのきっかけがないと載せづらかったというのもあります。
この機会を逃したらまとまりきれそうにもなかったというのもありましたし。

実際問題として、うちの実家も今月取り壊しますけど、どこに家を建てるかも決まっていません。身内といっても、県外にでてしまっている自分にはどうしようもないところもたくさんあります。
自分にできることといえば、たまに帰って手伝いすることくらいしかないんですけどね。
今は、そうやっていくしかないのかな、なんて思ってます。

Posted by: たけぱんだ | 2005.11.02 at 00:35

お久しぶりです^^
新潟県中越地震の状況はとても深刻だと感じます。私は阪神大震災の被災者ですが、阪神大震災の場合、都市部であったために行政による復興工事は積極的に進められ、何らかの形で復興住宅へ入居する事ができました。それは不満はあるものの、仮設住宅ではなく家と呼べるものに住む事ができる状況にはなったのです(時間はかかりましたが・・・)
私の家は半壊でしたから、修繕しましたが(修繕が出来ない半壊もあるのでラッキーでした)山古志村の場合、土地その物がなくなってしまった方々もおられ、また基本的なライフラインが復旧していない状態ですから、急いで整備を進めることが重要だと思います。

阪神大震災の記憶は今でも鮮明に頭の中にあります。地震直後は戦争で爆撃された町のようでしたし、そのあとは遺体を収容する場所が間に合わず、地面に毛布にくるまれた遺体が集めて置かれる状況は具体的な映像で報道はされませんでしたが、それは凄まじいものでした。また、生きている人間は無気力に立ち尽くすだけの状態でした。

山古志の方々も、何とか生きる力を取り戻し再出発ができるよう心から祈るばかりです。

Posted by: 橘屋宗兵衛 | 2005.11.12 at 09:19

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