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October 2005

2005.10.03

ノート・法律学方法論(1)―法哲学と基礎法学

※9/28から書き始め、10/20エントリー。

 法規範の認識や評価、実践の問題を論ずる必要を感じるので、参照用にまとめておく。
 このテーマは自分で考えたわけではなくて、学部生の頃の講義からだ。当時のノートと記憶に頼って書くから、自分が書くまとめは素人考えにすぎないというご批判もあろう。修正意見があればコメントいただきたい。
 なお、「ノート・法律学方法論」という連載タイトルは、師事した教官の思考枠組みが特徴的に顕れたのが「法律学方法論」だったからで、ここではその周辺を扱う代表として用いている。法理論や法哲学にも足をつっこむかもしれない。

 まず、領域の確定。この辺は、自分が講義を受けた先生の考え方だし、法哲学の教科書では様々に書きようがあるだろう。ただ、とても扱いやすい目配りの届いた考え方だったと思っている。

 法律学方法論とは、「広義の法哲学/法理学」の一分野。
 「広義の法哲学/法理学」は、次の三つの領域に分けられる。
 「法理論/狭義の法理学」は、法学内部における、概念相互の関係を考察する。法源論や、法体系についてなど。
 「狭義の法哲学」は、法学と他の学問分野の概念との関係を考察する。例えば法と、正義とか。道徳とか。
 「法律学方法論」は、法規範の「認識の方法」を扱う。

 法学の領域は、「実定法学」と「基礎法学」に分けられる。
 実定法学がいわゆる実定法の解釈を扱う。法解釈学とはRechtsdogmatik、直訳すれば「法教義学」だ。科学と言えるか疑問の声もある。
 これに対して、基礎法学は、三つの領域がある。「法制史/法史学」、「比較法学」、「(広義の)法哲学/法理学」である。

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2005.10.04

ノート・法律学方法論(2)―法制史と比較法学

※9/28から書き始め、10/20エントリー。

 先に、「基礎法学」には三つの分野があると述べた。そのうち、この記事では二つについて述べる。

 まず「法制史/法史学」は、法現象の歴史を扱う。しかし、歴史学自体が、ある種の認識/解釈でもある反面、法はそもそもが解釈を含んだ価値判断を示すものだから、なかなかにその立場・方法を「法学という学問の一領野として」明確にするのは難しい。かつてはマルクス主義法学なんてのもあった。法学の一分野として考えるより「歴史学の一分野」として、講座としては文学部にあるべきだという考え方にも一理ある。
 次に、「比較法学」である。通例、実定法学は国内法を扱うが、外国の法制を扱う。実定法学が国内の法解釈論を行うとき、比較法学という外国の法現象を研究する分野の力を借りる。「比較憲法」「英米法」などの科目はここに入る。

 例えば英米法系の判例法主義による規範の発展(?)を、判例の変遷を丹念に追っていくと、参照元の文脈をあえてミスリードして「先例はこう言っているが」とし、都合のいい意味解釈を行って新たな規範創出を行っていたりする。
 反面、法史学の観点からすれば、法(判例を含む)の背景にあるさまざまな現実的な利益(政治・経済的な利益)まで見る、それも淡々と「事実(と思われる現象)を見る/解釈する」のが歴史学だから、社会現象の中で規範の側面だけ見るような、実定法学、殊に判例法の変遷などは一種滑稽ですらある。

 自分が英米法の講義で学んだのは、アメリカ合衆国における不法行為法からPL(消費者保護)法が生成されてくる判例の流れだったし、イギリス法制史では、ヘンリー8世治世前後の土地法制の変遷だった。学者・学問という、現実の実践から一歩離れた「認識」という立場から見ると、実定規範の変遷というものはいかに都合よく(「必要に応じて」なのだが)変貌を遂げるものかと感心する。
 その一方で、時代や文化の違いからあぶり出されるように、法と呼ばれてきた規範の普遍的な妥当性が、ぼんやりと見えてきたりすることにも感心した。この点は、中国法制史やローマ法などで強く感じるところがあった。実際に現代の日本とほぼ同じ取引のルールがあったりするのである。
 いずれも、法学の分野の内にありながら、目前の実定法を相対化し、一般化するのに寄与している。

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2005.10.05

ノート・法律学方法論(3)―基礎法学と「法律家」

※9/28から書き始め、10/20エントリー。

 今回の副題は、「法律屋」と「法律家」の違い、とでもいうべき内容の記事。
 承前。とりあえず、基礎法学でもわかりやすい、法制史と比較法学を承けて。

 裏返して言えば、法律家は、そのときどきのケースの事実背景を丹念に追って、歴史的背景をも知った上で「あえて」新たな規範創出に与するのである。同じ規範で裁いていると見られる元々のケースと現在直面しているケースが、事実関係を丹念に見ていくと実は利益配置が異なることはよくある話だ。特に、時代背景の変化は大きく、ある国の個々の実定法なんぞは、そのときどきに認識される「事実としての規範」、「道具」でしかない。
 この「道具」を、いかなる理念から見解を述べたり、実践的に扱っていくか。こうした場面が、むしろ法律家の腕の見せどころである。立法当時の制定者意思や行政における有権解釈、最高裁の判例が「現状こうなっている」という法規範の現在を述べる「だけ」なら、調べ方さえわかればむしろ誰でもできる。調べ方がわかれば誰でもできる、というのは理想だが、その「最低限ができる」ことが法律で飯を食っていく「法律屋さん」の最低条件でもある。

 大学の先輩に聞いた話だが、旧制度(戦前?)での法学博士号は、実定法学の博士を取るのにも、実定法の論文だけでなく、基礎法学をもものせねばならなかったという。そんな教養をカリキュラムで強制された実定法学の大家はもういなくなってしまった。
 学部卒なら実定法学中心の教育もよいが、法曹や法学者のための法学教育ならどうだろうか。

 既存の実定法解釈学を学ぶことは、大事である。基本六法は、基本として大事は大事、ほかの法律を読む前提にもなろう。
 しかし、民事・刑事の両訴訟法は実際の訴訟にでもならなければ、毎日の生活において詳細が必要かというと???となってしまう。行政法特講で土地法を聴いたが、これこそ直接は日常、何の役にも立たない(自分の土地が区画整理のために強制収用される機会があるなら別だが)。所詮、実定法のひとつひとつでしかない。
 社会に出てみると、改めて、租税法や労働法の講義を取っておくのだったなあと思う。警察行政について知るなら、刑事訴訟法だけでなく「刑事政策」の講義も聴いておいた方がよかったか。少年法なども絡むだろうし。知的財産法は一応、単位を取っているが、基本的には個々の法律の集合体である。

 一般の社会人ですら、こうである。一般の社会人が法律家に求めるのは、個々の法律そのものの解釈それ自体「だけ」ではない。日本における実定的な法解釈の現状(有権解釈、有力学説)を聞くだけなら、「法律屋」さんとしては最低限のことしかしていないと言える。法解釈(認識上の法規範)の現状を踏まえて、何が欠けていて、いまできることは何か、将来的には何が必要なのか。そこでバランスよく見て初めて優れた「法律家」と言えるだろう。
 法学者や法曹は、単に実定法の解釈学に詳しいだけでは足りない。それがメシのタネなのだから、知っているのは当たり前なのである。その上で、何ができるか、如何にすべきか、が問題なのだ
 そのとき、目前の実定法を相対化するため、歴史学の方法や外国法の知識、他の法文化を読む基礎的な素養があった方が、法を学問として、それも実学としてバランスよく論ずるのに確実な足がかりが得られるはずである。

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2005.10.06

ノート・法律学方法論(4)―法源論と法規範の成立要件

※9/28から書き始め、10/20エントリー。

 法源とは、「法規範が生成される論拠のこと」とでも言えばいいか。まあ、知っている人は知っているので、簡単に。

 制定法。
 判例法。
 慣習法。
 条理。

 以上である。制定法と判例法は議論の余地はあるまい。
 慣習法について、二つ関連して話題を。

 近代的な立法・司法機能が有効な国家の国内においては、議会が制定法を定め、裁判所が判例法を発展させる。
 ところが、商法などでは、民間において慣習が社会的に実質的規範として秩序維持に機能している場合があって、制定法も判例法もこれを尊重することがある。

 国際法は、国内のような絶対的主権がないゆえ、法理論と親和性がある。国際法では、国内法のようには、紛争解決のための絶対的な機関がない。国家間の意思の合致が規範の原初的な形態である。いわば契約である二国間条約、多国間条約が基本であり、国際機関による保障もあるが強制力としては不充分である。
 殊に、慣習法を国際法において見てみると、慣習法がなぜ法規範と言えるのか、説明がされる。

 通例、「実効的な行為+法的確信」が法規範の成立要件であると説明される。
 これは国際法のみならず、慣習法の定義である。と同時に、法一般の成立基盤でもある。

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2005.10.07

ノート・法律学方法論(5)―自然法論・社会契約論

※9/28から書き始め、10/20エントリー。

 国家の妥当性論拠として挙げられる表題そのものを論ずるのではなくて。
 法源論の延長線、別の側面から見た議論を。
 国内法の法源は、前回挙げた。慣習法について補足した。

 ところで、自然法論は、一種の慣習法である。自生的秩序と言うべきか。条理よりの考え方である。
 対して、社会契約論は、個人の契約によって、国家が成立すると説く。契約の考え方自体は、社会的普遍性は必ずしもなく、当事者間の人工的な「決まりごと」にもとづく。

 規範一般、「ルール」は何を理由に守られなければならないか。国際法の例を再度想起していただいてもいいが、もっと単純に。
 ひとつには、万人が歴史的にその社会において理の当然と考えてきた「慣習」「条理」よりの考え方である。
 いまひとつには、「契約」「約束」よりの考え方である。当事者双方の意思の合致が規範を生む。国際法における二国間条約、多数国間条約のみならず、昼休みの食事の約束から始まって、社会一般に遍く存在している。

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2005.10.09

この数週間を振り返ってみて…

※10/5書き始め、でやっとこさアップ。

 しばらく沈黙していたが、億劫になっていけない。リハビリがてら何か書いてみようか。

 2005.9.21,22,23付の記事以前の段階で既に、公私ともにオーバーフロー気味だった。まとめ書きをしているのでもわかる。
 上記日付の記事冒頭で、「先週末…」と書いているが、CDショップ店頭に足をとめたのは、通常の一週間就業に加えて休日出勤の帰宅途上だったので、なおのこと疲れていた。
 結果、上記の記事では、きわめてストレートな表現をしている。書きたくなってしまったのだ。
 あの局面での直観としては、間違っていたとは思わない。「アニメファンから見た…」という表題と観点も、意図して自分の感じたことを書こうとした

 しばらく休んだのは、上記記事(2)のコメント欄、Dryad氏とのやりとりが直接には影響している。
 氏とのすれ違いが原因、というよりは、「ちょっとひいて見てみた方がいいなにかがあるな」という心持ちになったからだ。
 Dryad氏のブログは、MMORPG以外の記事は数ヶ月分目を通させていただき、自分が痛い目を見た記事のちょうど翌日の記事に氏がやりとりしているブログが紹介されていたので、そちらにも見に行った。
 その中のいくつかが記事にしていたが、いわゆる「まとめサイト」を無批判に受け入れることに対する疑問については、なるほどねぇとも思った。

 それと、これを機にと、TBいただいたウェブログ図書館の記事にひかれている関連記事を読みに行った。
 ウェブログ図書館で採り上げていただいたのは、こちら記事の中の見つけにくいところ(けっして短くはない文の途中)にきちんと反応いただいていたので、「ああ、よく見てくださっている…」という驚きと感謝の念があった。そして、勉強させていただくべきことは勉強させていただこうと思っていた。
 辿っていってみると…、「ネット上の匿名の是非」論争、流行する以前にブログの世界でも既にあったようで、なかなか耳が痛い。匿名の問題は昔のNiftyの頃からあるんだろうけれど、いまどきは2chとブログ、で再燃したんだろう。

 ところで「のまネコ問題」。ここに至り、円満とは言えない、解決とは言えない形で収束しつつあるようだが、これまで「まとめサイト」もまた改めてチェックしていた。自分は当初、複数のまとめサイトさんを見始めるとほぼ同時期に、「しっぽのブログ」さんも平行して見ていて、「まとめサイト」の検証をやっておられた。
 更新もしないのにカウンターがまわり続けていた。9.18.にタグふれんずを入れてから、一日130から上は300超のヒット。最近2週間平均は一日200である。どう見てもこれまでと違ってきている。かといって、タグふれんずで呼び込んでいたわけでもない。散歩に出かけている余裕もなかったから。
 アクセス解析でlivedoorの掲示板から来訪している方が多かったのだが、その先が辿れない。しばらくしてどういうことかやっとわかった。
 かの「エイベックスのまネコ問題まとめサイト」に掲示板がある。いくつかのスレッドに目を通している中に「この疑惑に反応しているページ・blog記事を集めるスレ」があった。そこに自分の記事へのリンクが貼ってあったためだった。
 多くの人に自分の記事が「見られる」こと、自分の記事の誰かへの言及(殊に批判)に、ある種の畏怖を感じた。

 いずれにせよ結果的に、Dryad氏がコメント欄に残していった「襟をただす」ということばに思いを致していた。

 Dryad氏の当ブログへのコメントには、やはり反応に"違和感"が残っている。かのブログにせよ小倉氏のブログに書き込んだコメントにせよ、自分の拠って立つ考え方からすれば、別に人格攻撃だとも思っていないし、感情的になっていたとも思わない。まあ、得てして当人(自分)がそう思っているだけで、外から見たらそうではない(ように見える)ことはあるけれど。
 ただ、端的なコメントをストレートに投げたきらいはあり、Dryad氏の言う「自分の考えを概略提示する」ことは必要だったとは思う。だから、自分の拠って立つところを明らかにしようかとも思った。自分のブログは自分の考えを整理するために始めたブログだから、それもまた、様々に必要な局面もあると思ったからだった。書き出してみたネタもある。
 しかしこの「のまネコ問題」に限っては、あちこちで議論が巻き起こっていて、語り尽くされた感やら、また自分が引き受けるべき能力の欠如を痛感もした。
 日々の状況に対応しながら目を配り、議論に参入することは、現時点での自分の生活(特に年末まで)の中での優先順位を考えると、下位におかないわけにいかない。あっちやらこっちやらを参照していると、小倉弁護士やDryad氏、ほかの固定ハンドルの方々がときどき現れていて、頭が下がる。

 本記事冒頭に「公私ともにオーバーフロー気味」と表現した状況は正直、変わっていない。
 むしろ、実名で引き受けていかねばならない優先順位だけでいっぱいになってしまっている。そこで更に、ネット上の言論に対して、引き受けていこう、引き受けていきたいと思っても、本末転倒になってしまう。
 社会での責任の果たし方があって、ネット上の言論に参入する足場なりがあることを実感もした(連続した顔なり、別の顔をもって入るなり)。そう、ネット上の言論という観点に軸を置き直してみても、中途半端、無責任になってしまうようで、書く意欲が削がれた。言ってみれば、言いっぱなしになりかねないと思ったからだ。元からそうだったとは言え、気づいて猿ほどの進歩があっただけでもマシだと思いたい。お猿さん、すみません。

 残念ながら、悪く見れば「言いっぱなし」というこのブログの立ち位置は、優先順位からいって変えられそうにない。
 迷走気味だが、個人的備忘という位置づけは変えられないだろう。その上で、自分の余裕のあるところや書けるところから、誰かしらにプラスが与えられるように。何かを難じた記事については、可能な限りでフォローを入れる。そんなふうにやっていけたらと、いま思っている。

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2005.10.10

私見「のまネコ問題」追記

※10/19書き込み。「二次創作の仁義と「創作」の意味」TBを承けて。

 この機会に、ずっと考えていたこと、メモ及び意思表示しておきます。

「アニメファンから見た「恋のマイアヒ」」は、「のまネコ問題」そのものには何の基礎知識もなく、素の反応を書いたものです。最初、わたさんなんて知らなかったし、ネット上のフラッシュ発のブームということも知らなかったんです。当然、avexという会社のプロモーションアニメの品質にまんま怒っていました。記事の焦点はそこです。
・アクセス解析の検索結果の中に、アニメーター残酷物語みたいな記事がヒットしていました。上記記事の文脈上、紹介したかったんですが、すぐ出てきません。あとで出てきたらここに追記しておきます。

「わた」氏について。クリエーターもしくはデザイン職人として、また趣味のアングラ職人としては「哀れだな」という印象をもっています。失ったものは大きいでしょう。当初浮かれていたという話もあるようですし、周囲に及ぼした結果を見れば「過失」といわれてもしかたがありません
・でも、巷間言われるように、元が黒フラッシュだったのですから、著作権を確保しているavexから脅された可能性もあるんでしょうね。どこで大人の決断をすべきだったのか。

・まあ、やはりavexとその企画に乗ってあんなアニメを制作したスタッフは許せません。アニメで苦労している人々のことを考えるだに…。O-ZONEがかわいそうだという意見も見てますが、その辺は自分の守備範囲じゃないです。

・もうひとつ。自分はモナー、好きじゃないんです。Nifty-Serveでいろいろな情報が手に入らなくなってきたから、「2chという名の総合掲示板」を見るようになっただけで、ほとんど書き込みません。流れを茶化すキャラクターを「かわいい」ってセンスを疑うというのが正直なところ。
・でもね、新潟県中越大震災のときは、ほんとにネットは助かりました。2chからリンク貼ってある「まちBBS」なんかもうローカル情報ばかりで。
・でね、素直な気持ち。一時期2chトップページがモナーになりました。「しない善よりする偽善」でしたっけ?「カイロを送ろう」っていうかけ声で支援Wikiが立ち上がったの、とても嬉しかった。あの活動の様子を見ていて、むしろ「2chはコミュニティではないのだ」という印象をもっています。「何かできませんか」「初めて参加しました」っていう声、たくさんあったもの。モナーって、そんなシンボルの機能を果たしていたことは事実です

・モナーって何だろう、というとき、商標法だのの問題を論ずる前に、既存の社会的(歴史的)事実を無視した議論をするのは、法学をかじった者としては許せないですね。あ、許せないっていうか、法を論ずる以前にバカなんじゃないの、基本がなってないでしょ、という感想を率直に抱きます。法的判断の8割が事実認定だってことは、訴訟法の講義で習いましたよ。この辺は、また別の機会に。

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2005.10.11

耳鼻科にて・鼻吸いの恐怖

 ひさしぶりに育児の話を。

 先週の気候変動で一家で体調を崩している。衣替えもした。
 3歳の子どもを連れて、自分もついでに、医者に行く。二人とも治りかけだったが、早め早めに手を打っておかないといけないからだ。
 今回の風邪もまた喉から鼻にかけてのもので、となると小さな子どもは鼻がつまりがちになる。洟が出ても、うまくかめない。昨年に比べれば格段に進歩したが、大人とは比較にならない。

 そうなると、耳鼻科の登場となる。
 最初は小児科の先生が聴診器をお腹と背中に当てるだけでも怖がっていた子どもも、最近は「歯医者さんは好き〜フッ素塗ってもらいに行こ!」(慣れるためにひと月ほど連れて行っただけで結局治療に至らなかっただけだよ…)だとか、わかってきている。薬も子ども向けの味は悪くないらしく(…)、「お医者さん」「お薬」即、嫌、ではない。
 しかし、耳鼻科だけは、泣き叫ぶ。
 洟吸い器でズズズーッと吸引すると出ること出ること。よく溜めていられるもんだとかわいそうになるし、だからなんとか機会が合えば、連れてきてしまうのだ。当人が泣いて身体をよじっても…。
 ちなみに耳鼻科でも、薬の入った霧の吸入器は好き。「先生と向かい合うと」コワイことされる、とわかっているのである。

 で、今回。小児科でざっと見てもらったあと「帰ろうよぉ、ジビカはイヤ!」。親の自分も診てもらうんだよ、と本当のことを混ぜながら耳鼻科に入る。自分がまず診察の席につき、「出ようよぅ」と必死な子どもには「手を握って勇気づけていて!」もらった(笑)。
 あ、おっしゃるとおり、喉の奥が腫れていますねえ。鼻の方から薬を塗りましょう。
 (…エ!?いま、「鼻の方から」っておっしゃった?)
 あれよあれよ、洟を吸われ、細長い器具を鼻の穴から通して喉の裏に薬を塗られ。
 最後に口の方から、「舌を出してください〜」。咽頭とその周囲に薬を塗られて、オエッとなった。

 わが子よ、なるほど…。鼻吸いってイヤなもんなんだなあ。

 しかしその後、しっかり身体を親と看護師さんに固定され、やっぱり鼻吸いをされるのであった。治りかけにもかかわらず、ものすごい量が出てくること出てくること。連れていってよかったなと思いましたよ。処置が終わったあと、二人で吸入器をやって、落ち着きました。
 小児科は、コワクナイと逆にわかってくれたみたいです。これも収穫。

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2005.10.13

ノート・法律学方法論(6)―法規範の構造と法的三段論法

※10/25エントリー。

 まあ、基本中の基本だろう。しかし、認識論的には基本をおさえておくことにしくはない。

 一般に、法規範は、「構成要件+効果」の形で表される。
 当為命題α「構成要件Aに合致するならば、効果Bたるべし」。

 そして、事実認定との関係でいうと、次のようになる。
 「認定された事実βが構成要件Aに合致する」ことは、「法的な評価の対象となる」ということだ。
 構成要件とは、価値評価の基盤である。

 また、当為命題とは、次のような事実命題に言い換えられることも留意する必要がある。
 「国家(政府)は、当為命題α『構成要件Aに合致するならば、効果Bたるべし』と意思する/命令する」。

 論理学で言う「三段論法」から類比して、「法的三段論法」とは、次のような論理構成を言う。
 大前提:当為命題α(AならばBたるべし)
 小前提:認定された事実β
 結論:事実βはAの要件を構成するので、効果Bが発動される。

 法的三段論法において重要なことは、純粋な論理学上の論理ではないことである。
 結論先にありきの「法的直観」と呼ばれる心理的作用が意識されることもよく知られている。その上で、事実に対応する形で要件や効果の概念構成が行われ、法的判断がなされるものとされるのだ。

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2005.10.14

ノート・法律学方法論(7)―法規範の解釈、事実認定

※10/25エントリー。

 法的三段論法における大前提と小前提について。

 「大前提」において大事なことだが、法命題αは、法源そのものではない。実際の法適用段階で「解釈」という営為を経て構成される。
 先例を引用していても、判決文中で法命題αを再構成することはよくあるし、制定法であっても通例、文理解釈(文章そのままの意味)では規範たり得ない。
 法の解釈学は文献学的な手法が前提となり、その上で規範体系上の概念操作をも行っている。

 法命題の実定的な解釈は、実は勉強すれば誰にでもできる。それが法律を生業とする者の必要条件である。
 法解釈学、実定法学は、一定の価値体系の理解が必要だが、そのほとんどは定まったものである。立法者意思、判例、学説を参照しないわけにはいかない。法命題の導出そのものに創造性はそうそう働かせるわけにいかないのである。新説を主張するにしても、先に示した法学界への配慮を踏まえてのこととなる。
 したがって、「大前提」に関わる作業=法命題の解釈そのものは、「方法論」さえわきまえていれば問題はない。

 しかし法的三段論法において重要なのは、実際の法的判断においては、事実認定が8割を占めると言われている。「大前提」=法命題が適用されるべき「小前提」=事実が誤っていては、導き出される結論、法的判断に誤謬が生じる。
 問題解決、法的議論のためには、事実認定が共有できていないと、混乱の原因となるため、法解釈などよりも実務上はこちらの方が重要だと聞いている。

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2005.10.15

ノート・法律学方法論(8)―法規範の種類と法の本質

※10/26エントリー。

 裁判所で用いられるだけが、法規範ではない。この辺、法律や「きまり」にマジメな人にぜひ読んでもらいたい。

 裁判規範。もちろん、裁判所で用いられ、解釈される規範。
 行為規範。一般市民や、行政の行為に指示を与える規範。
 評価規範。社会に対して、法が一定の価値判断を示しているのみの規範。

 多くの法は、裁判規範や行為規範としての強制力はあるが、それ以上のものではないことが多い。裁判規範は本来は直接当事者のみを拘束する効力しかないし、行為規範は行為を強制・指示する名宛人が決まっていることが多い。

 ところで評価規範である。
 「法律に書いてあるから」というだけで、それが社会的価値判断・言ってみれば道徳的規範の論拠としている場合が多いが、これは必ずしも法規範の理解として正確ではない。
 当為命題としての法命題が、事実命題と見ることができるという指摘を想起してほしい。「強制権力をもった国家が命題αを意思している」という事実でしかないからだ。法規範における評価は、「国家機構を前提とする価値判断、評価でしかない」。
 もちろん法規範は、社会で通用している実定道徳や、個々の人間の内心に普遍的に及んでいる倫理との関係はなくはないが、「論理的な必然性はない」。さらに言えば国家/政府の評価は「善い」「正しい」とも限らないということを忘れてはならない。

 法規範とは、国家の判断、価値評価である。国家意思を示す評価規範であるということこそが、法規範の本質である
 法規範が「法規範」としてとりわけ認識されるのは、しばしば、法命題「要件−効果」における効果の強制力にある。国家の強制力が、社会における事実的な実効性を担保している。
 法規範の構成要件が「実効的な行為+法的確信」であるとは既述のとおりだが、重心が法的確信という評価/価値判断にありつつも、事実として通用させる実効性/強制力があってこそ法規範は法規範たり得ている。

 強制力が、正しさを担保しているわけではないことは念のため述べておく。強制力は国家意思を通用させるための「力」でしかない。正しさとは無関係である。
 そして、あなたは個人として自由な立場から、様々な規範的局面において自律的に判断しているだろうか?

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2005.10.17

プッシュ回線と災害

 今年からNTTは「ひかり電話」を吹聴してまわっているようだが、実家が地震にあった身としては、「電気がなければ通じない電話はセーフティネットの名に値しない」と思っている。新潟県中越大震災のとき、外部にいた親族としては、一に情報、二に生活物資の必要性、だったからだ。だから、IP電話を導入するにしても、通常のメタル回線とは、別回線で用意したいと思うのである。
 で、実家の回線のIP電話化(=ブロードバンド化)とともに、実家にもこちらにも、従来使っていた電話機とは別に、IP電話用の電話機を用意していた。

 ところが、…ここんところ、やっぱり疲れているんだな。窓際に電話機が置いてあるんだが、夜、窓をうっかり開けたままにして寝たら翌朝びっしょり。メインで使っている、学生時代に買ってもらって以来の電話機が、パルス信号が出なくなってしまっていた。IP電話用に用意していた機種は全損で修理に出した(けっこうな金額…涙)。
 メインの電話機、トーン信号はなぜか出るので、しかたがない。大枚はたいて、NTTにプッシュ回線に変更してもらいましたよ。しめて2000円也。まあ、料金改定のおかげでプッシュで月額100円を取られなくなっていたのは助かったけれど…。

 しかし、プッシュ回線・トーン信号で、ACアダプタをはずしても電話ができるのか
 さもなければ、上で書いていることの意味がない。
 で、NTTに聞けば…「プッシュ回線自体は、電話機がACアダプタから電源供給しているかどうかは関係ありません。トーン信号さえ出ていれば、拾います」とのこと。あとは、電話機のメーカーだ。
 自分の電話機のメーカーさんに問い合わせた。通例、プッシュ対応・トーン信号発信の電話機は、10時間ほど経つと、電話機内のメモリだかがパアになって(バックアップ用の乾電池ではないそうです)、トーン信号が発信できなくなるんだそうだ。
 親切にも、十年選手のわが愛機のことをメーカーの方は調べてくださった。結果、「電話線から取れる電流でトーン信号は送れるそうです」。いやー、助かりました。

 それにしてもプッシュにして、確かに早いかなとは思うけど、2000円払って切り替えるメリットを感じない。ダイヤルのパルス信号の方が、原始的だが確実な気がする。
 たまたま、今回自分の電話機は電気が来なくても電話がかけられるからいいけど、みんな、こういうこと気にならないのか?

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2005.10.18

おもむろに中越地震直後の三日間を振り返る

 10/17の記事へのkawさんのコメントに触発されて、一年前のことが思い出されてきました…。10/19に書いています。

 こちらの一家が風邪でやられてしまって、母が救援に。土曜日の日中こちらに来て、揺れたのは夕食どきでした。
 県内の親戚から電話で即第一報。自分は情報収集を始め(ネット大活躍)、日曜はてんてこまい。月曜朝に新潟空港行の臨時航空便で母を送り出しました。
 その頃実家。水道はちょろちょろ、ガスと電気が止まっていました。冷蔵庫とガステーブル(電子レンジと炊飯器も)、お風呂と洗濯機が使えない、ということです。
 家の中は家具がひっくりかえっています。余震が怖いので(倒壊の可能性もある)、必要物資(毛布)を自動車内に運んで過ごしていたとのこと。

 ところが、遠くから心配していた割には、父は元気だったそうです。近所の方に言わせると意気軒昂。
 家事・洗濯は、母が実家を後にする前にすませて、食べるものも用意してきたし。ガスコンロも鍋を昔よくやりましたから、あります。
 その上、父が電気いじりをやるんですね。ガソリンさえ調達してくれば、車のバッテリーから、変圧器を使って(よくそんなもんもってる…)、煌々と灯りを点けていたそうです。電気の切れた冷蔵庫の中を確認、冷蔵が効かない肉を使って、庭でスキヤキをやったとか。

 その頃、東北電力が即行動開始。号令一下、福島と山形経由で自力でルートを探して、長岡に到達。一日で信濃川の河川敷に巨大な仮設基地を設営!ほかの商品も三日後には普通に店頭に並びました。民間の、生活を支えんとする物流の使命感はものすごい。ガスボンベもガソリンもほどなく並ばずに買えるようになりましたもの。
 わが実家の場合、一週間ほどで水道、最後はガスで半月ほどかかったかと思います。電気は確かにすごい。繋げば通じちゃうんだから。父が電柱の作業員さんに伺うと、東北一帯から呼集されてきたそうです。

 ところで、電話ですが。
 実のところ、ずっと電話線自体は切れてませんでした。コールが成功してもつながらなかったのは、父が車内にいたからで、屋内の電話が鳴っても気がつかなかったんですね。
 NTTが県外からの抑制をしていたくらいで、県内の親戚同士は比較的つながりやすく、実家−親戚−関東の自分と連絡を取っていました。
 そのうち、実家に普段あまり使っていないPHSがあることに気がついて。日曜の段階で母にもたせる救援物資に、バッテリか車内のシガーソケットから取れる充電器を用意しようかと思いましたが、変圧器の話が間に合い充電問題は解決。PHSでコール→屋内電話の連絡態勢を確立しました。
 当人は、せっかく変圧器で交流電源が生成できるのに、充電器を探し出してくるのを忘れていたそうです。まったく、情報がライフラインだということを現地の人間はわかってくれなくて…。

 しかしこれも、DDIポケットだったからよかった。ほかの携帯電話サービスよりも、たまたま安定していたんです。なんとvodafoneは、基地局に予備電源の確保がなかったために、まったく使えなくなっていました。
 そしてもちろん、わが実家の屋内電話が電気不要のダイヤル回線だったということがあります。

 連絡態勢の確立に、実家に携帯メールを提案したのですが、これは蹴られましたね。「まだ余震の緊張が続いているときに新しいことを覚えている余裕がない」。
 ライフラインとしての情報交換の態勢を確立する上で、電話をどのように組み入れるかですが、「携帯電話だから大丈夫」なんていうことは言えません。大事なのは、連絡態勢の複線化・バッテリ供給も含めた組み立てでしょう。
 以前は、slim60のメーカー「ベイサン」に非常用電源があったんだけど、携帯PC用バッテリしか扱わなくなってしまっていた。非常用に買ってもいいかなと思っていたんだけどな。
 まあとにかく、「ひかり電話」を導入するお宅もいろいろ考えた方がいいんじゃないかな、ということで。

【10.20.おう一番大事なことを】
 それでも、「風雪をしのいで眠れるところ」が安泰だったから、こんな安楽なこと書いていられると思うのね。
 各地の天災被害のニュース、水害の床上浸水とか、ハリケーンの集団避難とか、避難所生活も見てると冗談じゃなく心が痛みます。だって、生活の基盤が確保されていないわけで。自分だったら、疲れ切ってしまうと思う…。

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2005.10.19

読者のみなさまにご注意

 変則的だが、これまでのあいている日付に記事を入れている。
 この数日で、9.249.2510.10に入れた。

 日記としてはおかしいのだが、ウチのブログではよくやっていることだ。
 その頃までに考えていたことで記事に仕立てようとしていたことは間違いないし、日付順に読んだり特に週別のバックナンバーにして並べると読みにくくないよう、配慮はしている。もちろん、日付と書き込んだ日付が一致しないときは従前のとおり記事冒頭に注記を入れている。

 それにしても、ちょっと今回は激しくなると思う。仕事が忙しくて、まともなペースで書いていられそうにないからだ。
 もし丹念に読んでくださっている方がいたら、左サイドバー「最近の記事」にはご注意を。

 9.24-25は記事に自信がないので、こっそりと。
 10.10は記事中に注記を入れた。
 あと、今週末には学会、来週には図書館大会も控えてるしねー。身体がもちそうになかったら、キャンセルしよっと。

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2005.10.21

歯医者さん、がんばったね!

※10/22にアップ。

 わが子、以前の通院から3ヶ月経過したので、歯科に予約。当初より「3ヶ月経ったら定期診断のつもりで診せに来てください」。
 今回は、上の前歯に少し着色が出てきたので、さすがに心配にもなり、ちょうどよい頃合いかと行くことにした。
 前回までは治療に至らず。慣れるためのフッ素塗布まで。フッ素がリンゴの味で、好感を得、歯医者さんはこわくなくなったらしい。

 子どもと一緒に診察台に座ったが、こわくなかったなあ。「こわがらなかった」というのが正確か。
 「口をあける」のに抵抗はまったくなくて。(削る道具でなくて)電動回転ブラシで助かったんだけれど、よく長時間おとなしく口を開けていた(子ども主観時間)。
 歯磨き指導。子どもが自分でやってみるのは初めて見た。衛生士さんから「お子さん、歯ブラシを歯面に対して垂直に当ててますから、よくできてますよ」。毎食後(親主観としては)一生懸命歯磨きしてやってるけれど、保育園での指導に感謝しました。

 この医院でお世話になったお若い先生、今回でお辞めになる。子どもが歯医者さんに慣れたのは先生のおかげです。本当に残念。

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2005.10.22

JSLIS研究大会2005・第一日め

 正式には「日本図書館情報学会,三田図書館・情報学会 合同研究大会2005」。
 10/22(土),10/23(日)両日にわたって開催。
 土曜は、午後から参加(木曜からゴタゴタしていたので…)。興味深かったところをメモ。

・橋本孝先生記念講演・細野公男「情報検索の過去・現在・未来」

 検索しているのは情報ではなく、データであるということ。あまりに未踏である、「概念」に踏み込むべきであるということ。
 情報検索の専門家がきちんと提示しておられたのは感心した。

萩原幸子「住民セクターに対する公共図書館の認識の変遷:1960年代から現在まで」

 (萩原さんは今回学会賞受賞。住民セクターとの関係において「(government-governmence)ガバナンス」概念の導入に功績を認められたとの評。)
 今回の発表でおもしろかったのは、図書館が住民を、「何」として扱っているか、「何」として扱うのが概念上適切なのか、という点で比較をしていたこと。以下の「何」に当たる捉え方三つを挙げて、文献収集の上で分析。

 「ステイクホルダーA」…政策立案・決定(運営)をともに担っていこうとする「ステイクホルダー」としての認識。図書館と住民の接点としては「住民運動」。
 「顧客」…サービス供給に対する「受け手」としての認識。接点としては「貸出」。
 「ステイクホルダーB」…サービス供給を、ともに担っていこうとする「ステイクホルダー」としての認識。接点としては「ボランティア」。

 三つの概念上の射程を比較して、「顧客」という側面だけ見ているだけじゃダメ、限界があるとの指摘。なるほどなあ、と思いました。詳しくは要綱をご覧ください。
 発表者としては今後、図書館協議会に焦点を当てていくつもり、だそうです。あまりに顧みられていないため。

池内淳「サイバースペースにおけるフェアユース概念の存立構造:情報学研究、及び、情報政策との接点」

 池内さんノリノリ!ライブ感抜群!パワーポイントもフラッシュ見ているかのような出来のよさ!壇上で事前に「今回は準備ばっちりでしたから」と漏らしていたのが聞こえてきました。
 マジメに紹介しておきますと…ネットワークと著作権法の問題を考えている人は「法の欠缺」に着目してしっかり考察したこの発表には注目した方がいいと思う。
 最後の方では具体的に国会図書館のウェブアーカイブをずいぶん援護射撃されていたので、国会図書館の人は接触した方がいいんじゃないかなあ。

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2005.10.23

JSLIS研究大会2005・第二日め

田村俊作ほか「公共図書館利用者の知識共有メカニズム」

 共同研究者が7人もいるので、田村先生ご自身が発表されるとは思わなかった(驚)。筆頭だったから当然と言っちゃそうかもしれないけどさ。二日めに狙いをつけていた発表は別だったので、この発表を聴けたのは拾いモノ。
 司書資格取得時に熟読した教科書のレファレンス部分が、あとで田村先生のご執筆だったことがわかったこともあって(整理がとてもよかったのです)、田村俊作先生の「レファレンス論」にはずっと注目している。先生の過去の論文はけっこう読ませていただいている。

 既往研究手法について、二つ挙げる。ひとつは、図書館利用者調査。ひとつは、個人の情報探索行動に焦点を当てた研究。
 ふたつの利点を指摘しつつ限界を示して、「知識共有」という観点を導入し、新たな局面を拓こうとしておられた。

 電子図書館が話題になった頃、レファレンスといえば電子レファレンスばかり論文が立っていて。レファレンスそのものの理論(認知モデルとか)やアナログな実践やサービスそのものの意義については、文献渉猟しても古いものしかひっかかってこなかったんですよね。
 田村先生が展開される今後が楽しみ。

山梨あや「戦前期公共図書館における教育の模索―今澤慈海の図書館論を中心に」

 図書館の歴史は自分は弱いし、「今澤慈海」という人名にひかれて勉強。
 文献から中田邦造と比較していた。二人とも背景は違いながら、図書館を独立した教育機関として定着させていこうとしていたことはわかったけど…。ふーん…という感じ。
 質疑は簡潔ながら数多く出され、山梨さんはてきぱきと回答。

大場博幸「公共政策としての公立図書館:論点の整理」

 今回参加の主目的。質疑冒頭で糸賀先生に苦言を呈されていた。要綱もパワーポイントも字が小さすぎてよく読めない。要綱は事前に読んでいたのだけれど、プレゼンテーションの方がずっとわかりやすかったのでもったいなかった。詰め込みすぎて、とばしまくっちゃったから。pptファイル、ほしい…。
 「図書館サービスを公的に供給することそれ自体の正当性」にまっ正面から取り組んだ発表。導入をちゃんとしながらも例によって公共経済学を用いているが、標題に示すとおり従来の先行研究に比べると、かなりタイトに、公共経済学の理論と公共政策を俯瞰した視点に沿っている、という印象を受けた。
 構成としては、公共政策論を規範的に扱う上で公共経済学を導入する理由付けとレビュー、余論としての「公共性」概念、本論としての「効率」と「公正」、そして「結論」。
 以下、要綱から抜き書きしておく。


 「ここでは敢えて規範的に考察をすすめる。ここでいう「規範」とは、財を公的供給するか民間供給するかを境界づけている公共経済学の理論を指す。…影響のある理論の上で、図書館の公的供給が否定されるかあるいは位置づけが曖昧なままならば、社会の広範な支持が獲得できるとは考えられないだろう。」
 「特に日本の議論における傾向だが、「市場の失敗」分析は盛んだが、もう一つの規範である社会的公正さについてはあまり突っ込んだ分析がされていない。」
 「結論から先に述べれば、公的供給の規範として、公共性は十分な概念とはいえない。」
 「公立図書館に「公共性」認めることができても、なお税金で運営された方が良いのか、それとも民間に任せた方が良いのかという問いは避けられない。」
 「定義に従えば、やはり公立図書館は公共財ではない。だが、直後に「準公共財」である、という留保もしばしば加えられている。しかし、準公共財というカテゴリには、民間供給されるものも同時に含まれる。…つまり、公立図書館が準公共財であることは公的供給の正当性とは関係がない。」


 この辺までが「効率」までの部分。肝心の検討部分をすっとばして…結論。


 以上の考察を踏まえれば、図書館が公的に運営される正当性の根拠は、読書やサービスによってもたらされるはずの正の外部性に多くを負っているといえる。純粋な再分配政策としての正当性はかなり怪しい。むりろ、機会均等という意味では再分配の面を有しながらも、外部効果を期待する競争促進策とした方が理解しやすい。また、一見、再分配的に見える自由な情報アクセスという理念も、外部性に正当性を求めざるをえないだろう。
 ただし、外部効果の測定には不確実性が残る。今のところ、公立図書館に正の外部性があるということは信念の領域だろう。


 つまり、公共経済学そのものからは公立図書館は正当化できない「読書」の社会的評価に、正の外部性があると考えられることによってようやく正当化ができると信じられている、というのが論旨。

 所用あって、このあとは退出。喫茶コーナーで3人の方と話ができたのも収穫だった。

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2005.10.24

書物蔵、閉鎖!

 図書館関連の古本収集日記を記して来られ、その圧倒的資料による知見をユーモアまじりに披瀝されてこられた書物奉行さんのブログ、「書物蔵」が、2005.10.23.をもってプライベートモードに移行してしまいました。自分が変なTB送ったりしてたからかなあ。
 図書館の戦前・戦後の歴史には疎いので、勉強させていただいていたんですけど…本当に残念です。
 はてなっていろいろな機能が付いてますけど、mixiみたいに入会してなんとかすればプライベートモードの「書物蔵」見せていただけるようになりませんかね?どうしたらいいんだろう。
 途方に暮れる私。

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2005.10.25

公立図書館の公共性?と公共経済学という手法

 今回JSLIS研究大会で大場さんの発表を聞かせていただいて、改めて…どうも疑問なのだが。自分が愚かなのを告白するようで恥ずかしいのだけれど、備忘にて。

 先行研究にあげられている昨年の池内淳氏の発表や塩崎亮氏の諸論文には、当方、感銘を受けたクチである。
 そして、今回の大場さんの発表で、なるほど公共政策のための一般理論として公共経済学を考えた場合、どうだろうねえ、という考察にもやっぱり感銘を受けた。
 大場さんは発表で既述記事のとおり、指摘している公共政策のために公共経済学を有用な指標とするのは、その「効率」(市場の失敗)と「公正」(社会的公正さ)という概念である、と。←理解間違っていたらごめんなさい。
 不安定な「公共性」概念に必ずしも依拠しない。大場発表だけでなく、「公共性」概念に手を焼いている様子は先行研究でも見え隠れする。

 しかし、どうなのだろう?ここからが自分の疑問。
 公立図書館を数多くの政府の事業と並べて論ずることは大いに意義あることだと思う。ちゃんとついていけていないが、理論上はそこまで来たのだなあと感慨もわく。
 しかし、しかしだ。
 ではね、ほかの「図書館一般」には公共性とか、ないの?
 大学図書館や専門図書館の蔵書構成は、図書館員の裁量一辺倒なの?
 これはまた自分の勝手な命題設定だけれど。公的資源が投入される理由付けあらばこそ、公立図書館設置の正当性や公立図書館司書の専門職制が正当化されるのだとすれば。
 大学図書館や専門図書館は、正当性はどこにもないのかな?委託する/しないの考え方の枠組みは、何もないのかな?
 むしろ、図書館一般の、社会的な妥当論拠ってのが論じられるべきじゃないのか?
 自分は、ロジックが逆転していると感じられてならないのだ。

 もちろん、公共政策を記述するための理論として、公共経済学を用いるのはいいかもしれない。だけど大場発表のとおり、理論的には公的セクターによる図書館サービスの供給は正当化できなかった。
 ここをもう少し意地悪く突っ込んでみると、消防や警察だって、純粋な公共財じゃないよ(反証があるそうだ)。国防や外交はどうかと思うけれどさ。司法制度だってあやしいもんだ。
 自分がかじった程度の経済学では、「現実に公共財と定義されている財・サービスは、「歴史的にそのように認識されてきたという程度のもの」であって、理論的な純粋公共財とは弁別されるべき」という記述もあったやに記憶する。
 公共性概念をなんとか説明・記述するため、あるサービスの政府による供給を正当化するために、公共経済学が生まれたんじゃないのか。
 逆に、大場理論を突き詰めていくと、政府の公的サービスすべてが公共経済学で説明できるのかということにもなるんじゃないか。大場発表は図らずも「多くの公共政策は外部性に依存する」というオチを、言ったんじゃないかとも。

(…自分は、もんのすごいオオバカな理解をしているんだろうなと赤面しながら書いている。)

 たまたま、公共的な性質をもっている/もっていないとされる事業体(政府)があって。
 政府なら公共的なサービスを供給すべきものだとの考え方があって。
 「法」「契約」も、単なる「道具」。
 「図書館」も。
 そんな一種の限界をもった現実の「道具」の性質が先にあって、それを政府なり様々な事業体が採用するかしないか。本当は、図書館という制度、しくみ、「道具」の側になんらかの「性質」があって、それを事業体(設置母体)が様々に理屈をつけて(つけないかも)政策として採用・設置しているだけ。
 だから、公立図書館が公共的な性格があるように見える。公共性をもっているとされる政府がやってるから「公立図書館」と言ってるだけなんで、考え方が逆転してるんじゃないか。
 大場発表が経済理論による規範の「記述」であること、そのこと自体にはとても感銘を受けている。
 でも、正に「読むことに正の外部性があると"信じられている"」とする、社会的価値にコミットしていくこと、そのことこそ、実は学として整序を付けていくことが必要なんじゃないだろうか

 うーん、結局同じところで勝手にループしているのかもしれなくて。大場発表の序論でも、きちんとした断り書きがある。「公共政策として公立図書館の規範理論を論ずる際の論拠には、民主主義だからとかあるけれども、理論として公共経済学を選択する」と。
 でも、混乱しているようで、疑問は疑問としてあるんだよなあ…。ああ、バカだバカだ。

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2005.10.26

船橋西図書館蔵書廃棄事件差戻審の判決言渡しの予定

 東京高等裁判所に電話してお伺いしました。以下のとおりです。
 今週だか来週だかという話が耳に入ってきたので(当方の勘違いかもしれないのですが)、確認してみたんですわ。全然違ってました。

 判決言渡 11/24 13:20

 「判決の言い渡し」も「口頭弁論」の一種だそうですので、傍聴は可能とのこと。といってももちろん、今回も判決の主文を読み上げておしまいだろうからあっという間に終わっちゃうだろうけど。

 ついでに一般人が裁判の過程を知るためにはどうしたらいいか、少し教えていただきました。
 基本的には、裁判の事件番号を知らせないと状況はすぐわからないらしいのですが、今回は最高裁からの差戻審で、最高裁と控訴審の事件番号がわかっていたので、それでなんとか。
 でも、だいたい事件の概要と当事者がわかっていればなんとか対応いただけるようです。今回で言えば井沢元彦氏、西尾幹二氏ほか7名と、船橋市、事件の内容。

 また、訴訟記録の閲覧が可能です。もちろん、裁判実務に使っていない、あいているときだけ。ですので、予約ができるというものでもなく、裁判所に行って問い合わせてみてあいていればラッキー、ということになるようです。判決の期日が迫れば審議に使うことになるわけですから、余裕のあるいまのうち、ということになります。

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2005.10.27

自薦記事紹介:ノート・法律学方法論

 10月の間のあいた日付に、「ノート・法律学方法論」という備忘をあとづけで挿入しておいた。第一回に書いているとおり、自分の拠って立つところを明らかにし、そうすることでまた、簡単であっても書いてさえおけば、様々に参照することもあろうかと思ってのことだ。
 実のところ、法学にお詳しい方には自明と思われてもしかたがないところも大いにあるが、まああまり侮らないでいただきたい。当たり前の話をぶっとばした技術論がやけに目に入る。
 下記の通りの回を重ねていたが、そろそろ基礎法学の中でも肝心の、法の認識を扱う法律学方法論に入る。そこで、中間段階ということでちゃんとしたエントリーを立てておくことにした次第。
 一応、間のあきそうな辺りを狙って入れてきているので、「バックナンバー」で週別に表示すれば割とまとまって表示はされるように配慮している。今後もそのつもり。

いわば「基礎法学編」。
10.3.付 ノート・法律学方法論(1)―法哲学と基礎法学
10.4.付 ノート・法律学方法論(2)―法制史と比較法学
10.5.付 ノート・法律学方法論(3)―基礎法学と「法律家」

いわば「法理論編」。
10.6.付 ノート・法律学方法論(4)―法源論と法規範の成立要件
10.7.付 ノート・法律学方法論(5)―自然法論・社会契約論
10.13.付 ノート・法律学方法論(6)―法規範の構造と法的三段論法
10.14.付 ノート・法律学方法論(7)―法規範の解釈、事実認定
10.15.付 ノート・法律学方法論(8)―法規範の種類と法の本質

今後の予定。「法律学方法論編」。適当に頭に浮かんだ話題を書いておく。
―法規範の認識過程
―法認識の主観説・客観説、歴史主義との関係
―概念法学と法の欠缺
―法規範の認識主体とその役割

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2005.10.28

三人の法律専門家と続くのまネコ「論争」

 「のまネコ問題」と書くと、正確ではない。
 「のまネコ問題」に出てきたアスキーアート「モナー」を、「墨香オンライン」というゲームに登場させるにあたって、avexのように問題とならないように講じた解決策について、三人の法律専門家がそれぞれ意見を交わしたということ。
 「墨香オンライン」の解決策と三人の法律専門家、という方が正確かもしれないが、「のまネコ問題」から飛び火した話題なので、かくのような標題に。
 また、ここで紹介するのは、「のまネコ問題」ではそれぞれ記事を書いていた三人の法律専門家が、ひとつところで議論しているさまは、ともあれ、非常に希有な貴重な記事なんじゃないかと思うからです。それだけ面倒な問題であるようにも、自分には見えました。

 まとめサイトじゃないけど、整理してくれているところがあるので、まずこちらをお読みになることをお勧めします。こちらはコメントまでは見なくていいでしょう。
 音極道茶室:Matimulog:「墨香オンライン」エントリーコメント欄の議論を徹底解説する

 その上で、問題のエントリ。整理記事を前提に、要所要所で各専門家のコメントをご覧ください。
 Matimulog:墨香online論議とフォークロア
 Matimulog:モナーと墨香問題についてcommentを受けた再考
 ひとりが、「使える条文があるのに使わないのはおかしい」「元々権利もないんだから(ショバ代みたいなモンを払う慣行が根付いてはまずい)」、と強い異論を述べている。小倉秀夫弁護士である。

 ひとこと自分の感想を述べておく。「彼はいちゃもんを付けているように見える」。
 だってさ、avexのときにもほとんど類似のことが言えたんじゃないの?権利者不詳の場合の文化庁長官裁定制度って、国会図書館とかが電子化のときとかに使ってるヤツだよね。それ、avexが著作権者不詳のモナーを改変させたときに探すためにやらなくてもよかったのかな?(不勉強で申し訳ないが)「二次的著作物にしたんだからいいんだ」ってんだったら、なおのこと納得できない。
 要するに、倫理的な問題は別にしてしまって、「法律的(法技術的)にぎりぎり問題なし、だからいいんだよ」って論じゃない。それ、法律万能主義でしょ。
 そのつもりがなくても、「実定法外のところで話をつけてしまうのはねえ…」なんて言っているのは、法曹という立場で一段上の視点でことを言っているように聞こえてしまう。法律の世界の外にも、世界はあるんだ。法律の世界は、問題解決のone of them。
 で、今回の「のまネコ問題」は、法律の問題じゃないところで問題になったんだし、「墨香オンライン」の解決に法律の専門家が当事者でもないのに「法律的観点から問題だ」と口を挟んで喚いてる状態は、単なる第三者なんでしょ?と言って終わり。当事者は、小倉弁護士自身が言うように、モナーの著作者であって、小倉弁護士じゃない。

 ドイツ歴史法学を継いだ、「概念法学」と揶揄された学派は、「制定法実証主義」に陥った。「法の欠缺」を認めず、制定法の解釈による概念体系の無謬性を誇ったからだった。
 確かに、法は理論上、神も動物も扱うことができる。言語によって表すことができる以上、あらゆる概念を無限界に扱うことができる。
 しかし、現代の法が目指すところは、「現実に目前にある実定法の欠缺の冷静な認識」と、「近代法の役割・限界を自覚的に認識し、人々の自由な社会秩序形成に委ねること」ではないだろうか。
 法の専門家は、法律の現状を冷静に語っている分にはいい。けれど、法の欠缺を淡々と指摘するだけにとどまらず、かつ既存の不備な法律をのみ前提に解決策を探ろうとすれば、法以外の現実を見ない「概念法学」「制定法実証主義」と揶揄されてもしかたがない。それも、「法律の専門家」として振る舞えば振る舞うほど、解決策を提示しても、一般の人々を説得できるかどうかはあやしいだろう。

 念のため断り書き。もしあちこちからコメントいただいても、あまり返せません。理由は10.9.付記事を参照ください。ほかの記事にいただいたコメントに返してもいないので、ごめんなさい。

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2005.10.29

Starbucks、いまさら初体験

 図書館大会の帰途、スターバックス・コーヒーに初めて入りました!
 考えてみれば通勤途上にもいくつかあるのに、意識して入ったことなかったんだなー。今回は時間調整。

 数年前にまずは隣の新開地にできて、「おおやっぱりご近所にまで来るか!」と「何が何でもその流行に乗ろうって気分がねえ…」という気持ちがないまぜに。
 それがとうとう自分が利用する側の駅ビルにまで入って、「おおすごい!」と「え?あんなセンスのないビルにもがんばって入っちゃうんだ…ビルも集客に必死だな…」というまたまたひねくれた気持ちで。駅ビルには普段、乳幼児用品の店にしか行きません。子連れでコーヒーってわけにもいかないですからね。

 一緒に入った方と。
 「パンとかおいしいんですよ」
 「なんかコーヒーのメニュー見てすぐ思ったんですけど、シロップ入りとか、どんなメニューにも必ず甘くするオプションがありますねえ」
 「そうそう。だから女子高生とか年配の女性が入ってくる。男性サラリーマンはドトールに行くわけです。スタバは禁煙だし」

 そう言いつつ、自分も連れに流されてか、一番クリームがドンと乗ったコーヒーを頼んじゃいました。
 チョコレートはそんなに好きというほどじゃないけど(ありがたみがわからない)、ケーキは生クリームのスタンダードなイチゴショートが好きだし、パフェも好きだし。あ、確かお腹すいていたんです。
 ウィンナコーヒーみたい、新鮮でおいしかったです。ドトールよりもイスとテーブルがしっかりしてるので、おしゃべりにもいいですね。

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2005.10.30

まわってきました、夢バトン

 タグふれんずで"本当にお友達になった"「娘。」の父親って切ないよねーの「「娘。」父」さん(通称「お父さん」)から、夢バトンがまわってきました。
 バトン系は一度Musical Batonで微妙な心境になったことと、今回の「夢バトン」はなんか書きにくい。で、パスさせてもらおうかとも思いました…けど、記事にしちゃいます。ぐだぐだ言っておいてなんだそれは。ネタがないこともある(笑)。
 だけどもちろん、「お父さん」の期待に応えたいというのはありますねー。あれだけチャットに付き合ってもらっておいても、意外にお互いのことわかんないしさ。

 はてなで設問を確認、いきまーす!

   1. 小さい頃、何になりたかったか?

 まあ、「図書館員」になりたかったと答えておきます。

 おもしろい答えを用意していた記憶がないんですよ。最初「郵便局の窓口に座っている人」→堅そうだったのか同じく窓口の「銀行の人」(銀行がどんな仕事してるかも知らなかった)→「地方公務員」だったからなあ。
 たぶん、田舎でそのまま普通に大人になって生活することしか考えてなかったんだと思います。幸せだったんだな(涙)。でも、カウンターでお客さん相手に気持ちよく仕事をしたいという気持ちは変わってないんでしょう。

 中学、高校の頃、図書委員会の委員長をやりました。
 プラモが流行っている中でウェザリングやジオラマがうまい友人や、自作小説を書いたりしている友人に、「自分には"オリジナル"がない…」とコンプレックスを抱いていました。同時に、地方公務員になって穏やかな生活を考えている自分しか想像できなかったそんな頃、「自分にオリジナルがあるとしたら―図書館かなあ」なんて思っていた。それが、図書委員会の委員長の経験です。
 いまの職場も、たまたま記念受験で受かったところにそのままいます。ほかの選択肢が残ってなかったという現実があったんですが(苦笑)。

   2. その夢は叶ったか

 そんなんだから、「叶った」んでしょう
 複雑な心境。

 ちなみに、図書館員で「中学高校で図書委員長」ってのはよくある話で、図書館体験を話していると「あ、やっぱり」なんて。オリジナルでもなんでもない(苦笑)。
 でもオリジナルでないだけに、「自ら何かを創造・生産する」のではないだけに、図書館の仕事には誇りはもちたいとは思っています。オリジナルを維持・伝えていくのも大事な大事な仕事です。

 あんまり頑張りすぎると心を壊してしまうでしょうから、…でも、いまの自分の季節はそういうときかなと思っています。
 家族で楽しく過ごすってのも、いまの幸せですね。これは、タグふれユーザーにお母さんが多かったのと、その中で「お父さん」と話していて改めて思ったことでもあります。

   3. 現在の夢は?

 人並みの図書館員になること。あまりにも経験に乏しすぎる。努力中です。

 あ、あとほんとは2人めの子どもがほしい。ずっと現実と照らし合わせて考えた末に無理と断念してますが。ブリッジにしてもモノポリーにしても4人いないと成り立たない(笑)。

   4. 宝くじ3億円当たったら?

 図書館屋でときどき出る話ですが、自分たちで好きな図書館やってみたいよね、というのはありますねぇ。
 3億で足りるのか想像できませんけど。いまの状況じゃ所詮雇われ人だからねえ。

 現実的には、ローンを返して、好きな本・コレクションを買いまくっておしまいだろうな。
 ホームズ、ヴィクトリア朝・イギリス、憲法・法理論、図書館関連本、モノポリー、チェス、Mac、あもちろん日本酒とうまい肴はいくらでも…。もう本じゃなくなってきたな…じゅる(笑)。
 田舎に別荘がほしくなってきました。

   5. あなたにとって夢のような世界とは?

 「どこでもドア」のある世界。お父さんも似たようなこと書いていたけど。
 親孝行のしたい実家にも、旧知の親戚・知人のところにも子連れで、最近とんと行けなくなった山にも、…そして通勤はもちろん。

 とりあえず、お給金がもらえているいまの現状でも幸せは感じております。

   6. 昨夜見た夢は?

 昨夜っていうか、さっき起きてきたばかりなんです。21時頃寝かしつけて一緒に寝て、明日(10/30)は朝普通に起きてきちんと子どもに付き合おうと思ってたんですが。起きちゃうんですよね…寝ようと思っても眠れなくて、もう3時頃かな?なんて出てみるとまだ24時だったりして。エエーッて感じ。
 そんなんで、ここのところあんまりいい夢見れてません。
 元々、子どもの頃からそうなんですけどね。想像力はばたくようなのはないです。

   7. この人の夢の話を聞きたいと思う5人は?

 さあ困りました。当初自分でも書かないつもりでもいたので、まわさないという選択肢にほとんど傾いていたくらいです。
 でもまあ、あえてお遊びで。書き手のお人柄が垣間見えるのも、データだけでない、ブログのおもしろいところかとも思いますから。
 もし見ていてくださって、よろしければ。

 エンドユーザーの見た著作権の暇人#9さん、お願いできますか。
 なんか、最近、書いた記事を続けて採り上げてくださってるので。あえて冒険してみます。
 コメントでの面識もないのですが、あちこちでハンドルお見かけしていた方でもあったので、嬉しかったんです。お礼じゃなくて面倒を押しつけるのじゃダメだろーって気もしますが、どんな方か興味もありまして。ごめんなさいね。
 もちろん、ほかの人にはまわさない方向でけっこうです。繰り返しますが、無視されてもかまいません。あのブログの路線じゃ書きにくいかもしれないし。あと、ダブってるかもなあ。

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2005.10.31

図書館大会、参加感想。

 地元開催なのに行く気がしなかっただの言われてる図書館大会ですが…私、行ってまいりました。
 2日目の「図書館の自由」分科会で、山本順一先生の発表があるというので。「船橋市立図書館蔵書廃棄事件 最高裁判決の検討」です。ほんとピンポイント。それはまた別項として。

 確かに、ひっさしぶりに参加しましたけれど。昔ほど参加していて楽しくなくなりました。

 誰か来てるかなあと名簿を繰ってみたのですが、…糸賀先生も小林是綱さんも来てないじゃないか。
 以前参加が重なっていた時期は、JLAでも町村図書館振興に力が入っていた時期で、自費で地方開催の「町村図書館セミナー」に行ってきたりしていたこともあったんですよね。都道府県立版を都内でやったこともありました。
 いずれにせよ、本会参加した後の有志での交流会、情報交換が楽しかったわけです。
 図書館業界といえば、若い(独身)男女というのはいないもので…自分もどちらかというと「若いのに来たねえ」なんて言われながら公民館図書室の方とお話しするのが楽しかったりしたんです。

 根本先生はLIPER、ほかにも何人か学界からもパネリストが出てましたけど…なんか、「お茶しに行きましょう」って引っ張っていってくれる人が少ない気が。薬袋先生のところは元気の出る分科会だったのかなあ。
 こういうのって、地元に詳しい主催県の職員の方々の力量にも拠るんだとは思うんですが。
 図書館業界全般に元気のある話題がないせいなのかもしれない、と元気のない方向の記事を追加してしまうのでした。

 指定管理者に対して積極的に反発する発言をやっちゃあ混迷の一途という気も、確かにするんだよなあ。

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