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2005.09.20

著者の人格的利益と納本制度・全国書誌・著者名典拠

 船橋市西図書館蔵書廃棄事件の判決が妙な影響を及ぼしてきているとの記事を読みました。
 下のリンク先をまずはご覧いただくこととして。

 「葦岸堂:著者寄贈(^_^;」経由、
DORAの図書館日報:寄贈図書の取扱い
DORAの図書館日報:寄贈を受け取らない?

 doraさんの話はまだ途中、確認をとっているところでもあるので、ぜひ続きを期待しています。
 関連してここでひとつ、図書館では著者の人格的利益を無視するケースが伝統的にある、社会的に認められてきた、という話を。たいしたネタじゃないんですが、このネタ、前から書いてみたかったんだよなー。
 もちろん、船橋判決は廃棄の局面についてのみ、次のように言っているだけでありますので、念のため。


他方,公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。


 では、判決からは離れますが、図書館と人格的利益について、指摘を三つ。

 国立国会図書館の納本制度は、著者による納本にのみよるものではありません。著者が「納本してほしくない」と仮に考えていたとしても、著者以外の本の所有者が寄贈をしますと、納本されてしまいます。ちなみに別の記事でも書きましたが、国会図書館の納本制度は法定されており、出版者の義務です(日本の場合は強制規定や罰則はない)。

 日本全国書誌もそうです。納本された以上、その書誌事項=その本がこの世に存在すること、を著者が世に知らしめてほしくない、と思っていても、全国書誌に掲載されてしまう。端的に言うと現在では、NDL-OPACから検索できるようになる。国会図書館の蔵書として、不特定多数の人々に利用が可能になる。
 国内の出版物を網羅的に収集してその記録を作る。それが全国書誌の機能だからです。それにしても傲慢な制度というか(苦笑)、著者個人の意向は反映されないんですよね。自費出版にしても「ぜひ図書館に」という方もいますが、「少部数の限定した読者のための刊行で…」という方もいるでしょう。正に、「国民の」Nationalな「公的な場」であることは自明です。個人の人格的利益を無視した制度。おそろしい。

 著者名典拠ですが、これ、実は個人情報ですよね。典拠ファイルには諸々書いてある。仄聞したところでは国会図書館では、著者名典拠ファイルにいろいろ載せないでもらいたい、という著者からの声がときどきあるのだそうです。これは対応しているとか。
 しかし余談があって、米国の書誌ユーティリティでは著者名典拠ファイル作成に当たり、著者からそんな苦情はまったくないのだとか。

 以上、三つの局面を提示してみましたが、反対する考え方も想定されます。特に三つめから。
 上の局面は図書館が著者の人格的利益を無視するような事態ではあるけれども、「出版する」という行為は、そうしたことは前提でしょ、という反論です。

 「出版する」=publish=公け(publicな状態)にする、ということは、不特定多数が読む表現の海の中に、それも時間や空間を越えて、自分の表現を投げ入れることです。どんな読みをされるかわからない。それでも、自分の考えを「自分の名前の下に」社会に胸を張る。
 そうでなければ、出版なんかするな。著作を公けになんかするな。そんな大事なことなんだったら閉じたところに置いておけ、という考え方が見え隠れするようです。public、公けの場に置いたからには、著者は自分の都合のいいようにコントロールにおけると考える方が間違っています。絶対にコントロールしたいという考え方は、読み手に対して失礼とすらも思えます。ごく普通に考えて、表現を受け取る自由、ありますからね。
 図書館は、どう考えてもそのような怯懦な理解の「著者の人格的利益」を重視していません。公立図書館で重視しているのは「読み手」たる、利用者、納税者、市民です。
 そしてまた、だからと言って、ある特定の利用者や寄贈者の意見のみを重視するわけでもない(doraさんの紹介している事例でも、そう反論してやったらどうでしょうか?)。patronたる市民全体の利益に資するための、合理的な裁量が求められる。だから、蔵書構成方針が大事なんだと思うんです。
 選択的に「表現をさせる/させない自由」を公立図書館=政府が積極的に保障するというのであれば、「だからこその説明」が必要なのではないでしょうか。

 蛇足。
 「愛弟子」が就職が決まった頃、尊敬する図書館員の方から、蔵書構成方針について話を聞いたことがあります。
 提供しない資料群が何であるかを書いている、と。○○を受け入れる、と書くと、それに適合するか境界事例が発生する。××は受け入れない、と書いた方がいい、と。
 なるほどなあ、それで柔軟に対応できるようにしてあるんだ。

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