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2005.08.06

GHQ没収指定図書総目録関連文献紹介(5)―『略奪した文化』を読む : 4

 ※8/7に書いています。

 松本剛『略奪した文化 戦争と図書』岩波書店,1993.

 第3章や第4章に寄り道しているわけにもいかないのだが、やはり驚きはしたので備忘しておく。
 「日本軍またはその指揮下の組織による図書の略奪は、大規模で、中国の文化・教育・研究を根底から破壊するものであった」(p.87)。本書は逐一各地の資料にあたって、特に日本側の調査結果からも明らかにしている。

 南京だけでも、p.80に当時の首都「南京での日本の接収文献」という表があり、その注に「この数字は接収当時のもので、後に80万冊以上であることがわかった」とある。

 この表に示したもののほか、南京城内一三ヵ所から数万冊の本も集めた。日本軍の侵入前に南京には公共の蔵書が約一四二万冊あった。日本は「正にその六割を戦禍散亡の裡から救出し得たわけである」。
 当時の帝国図書館の蔵書は約八五万冊であった。ちょうどこれと同じ冊数の本を集めたことになる。一般の公立図書館で最も多く蔵書をもっていたのは大阪府立図書館で、約二五万冊であった。この図書館三つ分を集めたといえば、どれだけのものか想像もつくであろう。こうして日本は一挙にして「中支那における中央国立図書館の実質を有する」蔵書を作り上げたのである。

 接収後返還がなされたものはいいが、本書にはもちろん、大規模な図書の焼失・図書館の破壊の記述が第4章にある。程度の問題ではないし、相殺されるものではないが、GHQ指定図書総目録で焚書に遭った4,000冊だけを採り上げて主張するのはあまりに均衡を欠く。本書によれば、日本軍が中国で焼いた図書の数は自分が読んだだけでも数十万冊は下らない(例えばp.124-125,135-136)。
 日本占領下における「焚書」を、どのように評価するのか。国(の発展)というレベルでしか見ることができないのであれば、それは保守思想やら自由主義史観どころか、第二次大戦以前の古い発想だろう。第二次大戦以降は、現行の日本国憲法や国連憲章で謳われているとおり、人類史的な視点が欠かせない。文明や文化の相対性はあろうが、「焚書」を声高に言うとき、始皇帝等々の世界史的事績を挙げているではないか。そのような世界史的普遍的な視点に立ったとき、ある戦勝国A=日本が占領下でなしたことに目をつぶるような議論、知らなかったですますような議論は自分は許すことができない。まあ自分が許そうが許すまいがどうでもよかろうが、誰でも疑問には思うのではないか。
 ある「焚書」を殊更に罪だと言う者、特に歴史学者は、同じ人類史的な罪がどこでなされていたかを知る義務がある、とは思うのである。

 その意味で、西尾幹二氏の口頭弁論はトンチンカンだというのである。自らの「表現の自由」が侵されたから救済してくれと言えばすむものを。そして、(結論は別として)その論理を認めたのであろう最高裁の知性をも疑う。
 自分はしがないサラリーマンで、仕事と家族の優先順位にも迷う。本を燃やすぞと徴発しようとしているところで抵抗できるだろうか。しかし、図書館員ではある。本は、形を変えながらも、"人類の歴史を越えて残されてきた"。「そのこと」くらいは、知っている。そんな、「つもり」ではいる。
 自分に焼け、と言われれば焼きたくはないだろう。では自分の書いた本が焼かれたとしたら。それに対して、人類史的な罪とまで言う勇気は、いまのところ自分にはない。

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