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2005.08.26

安井一徳『公共図書館における図書選択の理論的検討』を読む(2)

 論文を知人の図書館員に読んでもらったところ、論文全体も非常に興味をもって評価してくれ、「第3章がおもしろかった」と強く言っていた。
 自分は、第2章はよく整理された前振り、事例としての第3章が来て、"第4章が"おもしろかったんだけどなあ。

 さて第3章は、安井一徳「「選書ツアー」はなぜ批判されたのか〜論争の分析を通して〜」『2005年度日本図書館情報学会春季研究集会発表要綱』p.27-30.の元となっており、読書日記でも紹介されているこちらでも)。事例研究なので具体性があり、普通は確かに本論文で一番おもしろい箇所かもしれない。ちなみに春季研究集会の発表要綱も短いのでお勧めである(このリンク先は要旨)。
 筆者感ずるところの第3章の要点をキーワード的に並べておく。当ブログは筆者の備忘が目的なので、念のため。関心を喚起された向きは、論文自体に当たられたい。

  • 「カウンターに立つことの特権化」「リクエストの特権化」
  • 「要求論」による選書における、図書館員の「判断を隠蔽する構造」
  • 「図書館員の専門性」の矮小化・自己目的化

 第4章も引用して賞賛しておきたい。
 キーワードはブルデューの「象徴的権力」である。自分はブルデューなんて知らないが、"symbolic power"を図書選択の領域に導入して示そうとしている問題意識は、非常によく理解できる。
 引用するのは「4.3 本章のまとめ」全節である。下線、太字は引用者。

 1節で確認したのは、潜在的要求を把握する際の、いわば「恣意性」であった。潜在的要求は、原理上部分的にしか知ることができず、また所与のものでもないので、図書館側がそれを形成する余地が生まれるのである。そうだとすれば、恣意性をコントロールし、一貫性を保つための基準が必要となる。すなわち潜在的要求を、社会的妥当性を含んだ「ニーズ」概念と切り離して考えることはできないのだ。しかし、それは市民に対する「ニーズ」の押し付けではないかという批判もありうる。一体何の権利があって、図書館が市民に必要とされるものを判断できるのか、そんなことをするのは戦前のような価値観の押し付けに他ならないのではないかと。こういった批判は部分的には当たっている。図書館の判断が誤りうることも十分考えられるし、実際に戦前の図書館の基準は教化にあったからである。では図書館は何も押し付けてはいけないのだろうか
 仮に図書館が何も市民に押し付けまいとしても、結果的には何かを押し付けてしまうことを明らかにしたと思われるのが、2節の「象徴的権力」という概念であった。そもそも「図書館」という機関の存在自体が、読書や情報活動を「善いもの」とする社会的価値の産物でなのであり、そのような価値観を市民に対して表明しているのだ。ここでまた、読書や情報活動が善いものなのは当たり前ではないかという批判があるだろう。その批判も正当なものであろう。問題は「押し付けをしないこと」ではなく、「社会的に妥当とされない押し付けをしないこと」なのだ。では社会的に妥当な押し付けとは何か。この問に答えることは筆者の能力を超えている。ただ、一つ条件を挙げるとすれば、「その押し付けの内容が公開されており、それに対する批判に開かれていること」になるだろう。一定の社会的合意を得ていることは当然であるが、何を以って社会的合意になるのかもはっきりとは決められない問題である。
 要求論的立場が暗黙の前提としている価値は、一種の「ヒューマニズム」と呼べるものであった。だが要求論的立場ではそれが意識化されず、「普通」や「常識」として批判することを許さない概念となっている。それが意識化され、批判に開かれたものになるなら(例えば「ヒューマニズム」の立場は何通りもありうる)、要求論的立場も一つの基準として成立するだろう。

 最後に、第5章で印象に残った部分を。「目的」と関わって自己相対化の困難について述べるくだりに付いた注6、最後の注において、バーリンが出てきたのには驚いた。安井さん、あなたコレ学部の卒論でしょ。バーリンにまで手が出るわけ?再引用になるがこれも引いておくか。

 20世紀の自由論の基盤を築いた一人であるバーリンは次のように述べている。「現代のある尊敬すべき著者は書いている、「自己の確信の正当性の相対的なものであることを自覚し、しかもひるむことなくその信念を表明すること、これこそが文明人を野蛮人から区別する点である。」これ以上のものを要求することは、おそらく人間の不治なる深い形而上学的要求というものであろう。しかしながら、この形而上学的要求に実践の指導をゆだねることは、同様に深い、そしてはるかに危険な、道徳的・政治的未成熟の一兆候なのである。」

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Comments

読んだわけではないので、要約を拝見しての感想。
「何を以って社会的合意になるのかもはっきりとは決められない」と逃げているのが残念。これが決められないのであれば、結局図書館員または一部批判者の恣意をもって「社会的合意」とされてしまう。
一番重要なのは、「何を社会的合意とみなすか」「どのような手続きを経て社会的合意との合致を図るか」というところではないのか。
問題意識には共感しました。

Posted by: kaw | 2005.09.06 at 22:32

 kawさん、おひさしぶり。
 仰るとおりだと思います。しかし、安井論文を評価するのは、学部の論文で、選書論の世界の論理をご指摘の点まで追いつめるまでやったってことです。
 これって、本当は日々実践の世界に身を置いていて、図書館員が考えなくてはならないことではありません?または、学者でも。たぶん、考えてはいるのだろうけれど、理屈にして表現していない(もしくは主流派に流されて思考停止)。ところが、ありがたいことに彼がやってくれて、だから「その先を考えればいい」という「手掛かり」になると踏んで紹介したんです。
 そもそもは、自分もいらついています。8/11付記事冒頭に書いたとおり、「判決が粗いのは、図書館学界の側が充分な論理を展開できていなかったこと」。問題はそこだと思ってます。

Posted by: roe | 2005.09.12 at 02:22

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