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2005.06.04

船橋市西図書館蔵書廃棄事件の口頭弁論における疑問 (2)

 前回の疑問から、次の疑問に連なった。
 戦間期の図書館人の行動は、批判もされてきている。
 では、占領期はどうだったのだろうか?図書館員という人種は、そんなに、政府に唯々諾々と従うものか?
 そこで、西尾氏が紹介した資料に当たってみるところから始めてみたのである。

 文部省社会教育局編『連合国総司令部指令没収指定図書総目録:連合国軍総司令部覚書』今日の話題社,1982.4.
 以下必要な部分のみ抜粋したものが「bosshu.PDF」

 この「覚書」一(昭和21年3月21日付)には次のように書かれている(p.2)。

4.一般民家或は図書館に於ける個々の出版物は本指令の措置から除外する。

 また、p.8の昭和23年6月22日の文部次官通達でも、次のようにある。

4.(1) 没収は、書店(中略)等の販売及び輸送経路上にあるものについて行うのであって、個人、図書館(室)のものは除外されていることは今まで通りである。

 上記をそのまま読む限りは、「図書館での焚書」は政府レベルでは指示されていない。←ここ重要!

 その後も文献調査を続けると、確かに拡大解釈が行われて図書館でもこの指令に基づいて「没収」が行われたり、一方で隠してなんとか免れた例も見つかった。
 そして、かなりまとまった研究もある。この文献については、(忘れてなければ)最高裁の判決が出た後に紹介しよう。こうした図書館に関する資料の方が、適切でもあろう。
 少なくとも、西尾幹二氏の陳述に、ご自身で紹介された資料は「適切ではなかった」と思われる。実際、「占領期に図書館で焚書が行われたのはかの目録による」という誤解を、ほかのサイトではしておられる。
 そうではなくて、正しい事実はこうだ。
 図書館は焚書が行われた数多くの現場のひとつで、それも直接図書館を指定はしなかった指令であり、運用はまちまち、図書館員の対応も一定ではなかった。
 神奈川県立図書館の戦時文庫のように、守る側に回った例もある。船橋西の例をひき、「GHQの焚書」の歴史を引いたからといって、「図書館員は危険だ!」という話にはならない。

 現在までの結論をはっきり言えば、西尾幹二氏の裁判所での発言には些細とは言えない誤謬が含まれている、ということである。誤謬と言って悪ければ「間違ってはいないが誤解を生む不親切さ」だ。意図的だったのか。
 正直、残念なのだ。西尾氏の政治的立場には必ずしも全面的に寄り添うものでなくとも、西尾氏自身の論理がそれなりの知的明解さをもっていただけに、弁論での内容や真摯な態度には非常に説得力を感じていただけに、この「あいまいさ」に、…素直に書いてしまえば「くやしい」。
 これで最高裁が正確な事実を知らずにそのまま、判決に影響があるとすれば、偽証には問われないのだろうか?過失ならば、早急に最高裁には訂正を申し入れるべきだろう。

 今回読んだ参考文献の一部。
・「あなたは公立図書館の焚書事件を知っていますか」西尾幹二『日本がアメリカから見捨てられる日』徳間書店,2004.8.
・井沢元彦「告発 朝日新聞読者だけが知らされない船橋市西図書館「焚書事件」の犯人像」『Sapio』小学館,14(10)[2002.5.22]
・『みんなの図書館』111号[1986.8]「特集・戦争と図書館員II」

【当ブログ内船橋市西図書館裁判関連記事 20050610現在】
2005.05.23 船橋蔵書廃棄事件裁判。傍聴に行こうかな、どうしよっかなと
2005.05.28 最高裁の判断は、日本の図書館史に残るのではないか?
2005.06.02 船橋焚書事件、傍聴報告。
2005.06.03 船橋市西図書館蔵書廃棄事件の口頭弁論における疑問 (1)
2005.06.04 船橋市西図書館蔵書廃棄事件の口頭弁論における疑問 (2)

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「図書館」カテゴリの記事

Comments

さっそくご紹介くださりありがとうございます。ご苦労様でした。上記の疑問の点も理解できます。

Posted by: momotarouです | 2005.06.08 at 20:22

貴重な資料を読ませていただきありがとうございます。
一つ疑問があります。
当該通達を読む限り、図書館での没収は起きるはずがないと思われます。
念入りに除外行為として記述されているからです。
通達に明白に逆らう行為がなぜ発生してしまったのでしょうか。
没収に協力した図書館員の内心に、占領軍への恭順の意を示したいという強い動機があり、
占領軍の意を先回りして十二分に汲み取ったつもりでしてしまったのではないでしょうか。
仮にそういうことであったならば、これは単なる軽率や不注意のあらわれのようにかたづけるのはまずいです。
彼ら協力図書館員の内心に理念の序列があり、図書館の自由の理念よりも焚書を正義とする理念が優越していた。
だからこそ占領軍の意を先回りしたときに、秘められていた理念が剥き出しになってしまったのではないでしょうか。
占領軍は、通達でこそ図書館は対象外としていますが、日本の図書館が「自発的に」焚書することをどのようにとらえたのか。
「自発」をそそのかすような点があったかなかったか。今後の検証に待ちたいところです。
ともあれこのような焚書を正当化する考えは、船橋事件の犯人司書も内心で堅持していたのではないかと思います。

Posted by: 高木 | 2005.06.11 at 00:49

 高木さま、こんにちは。レス遅くなりまして申しわけありません。
 改めて資料を読み込んでみたり、追加情報が入ってきたりしていてどうレスしたもんかと考え込んでしまっていました。
 長くなってもしかたがないので、ここでは断片的に2点ほど。

>一つ疑問があります。
>当該通達を読む限り、図書館での没収は起きるはずがないと思われます。
>念入りに除外行為として記述されているからです。
>通達に明白に逆らう行為がなぜ発生してしまったのでしょうか。

 一点め。
 この辺は、非常に混乱があったようです。高木さまはこれに続けて図書館員の問題に収斂させてしまっておられますが、そんなに簡単ではない。とりあえずはぜひ、私が本記事内で挙げた『みんなの図書館』111号の特集をお読みください。雑誌記事索引DBから検索した程度ですが、その程度の調査結果でも、お近くの図書館から入手は容易なもののはずと思います(いざとなれば国会図書館に複写を依頼するのもいいでしょう)。
 この特集を読むと、あの混乱期に図書館の自主性の問題に帰せられるべきケースもあったようですが、私も記した神奈川県立図書館の戦時文庫のように守る側にまわった例や、図書館よりも上の自治体や警察レベルで動きがあって、重ねて「誤った」通達が出ていた例が紹介されています。

>彼ら協力図書館員の内心に理念の序列があり、図書館の自由の理念よりも焚書を正義とする理念が優越していた。
>だからこそ占領軍の意を先回りしたときに、秘められていた理念が剥き出しになってしまったのではないでしょうか。

 二点め。
 どうもこの辺は、私も時代の状況に詳しくはないにせよ、「図書館の自由の理念」をここで引っ張り出してくるのは「あとづけの論理」です。
 むしろ、当時の戦時文庫のような良書政策、大政翼賛的な戦時体制に協力的な図書館の時代に、「図書館の自由」なんて理念自体あてはまらない。
 出版後更に選書、蔵書構成の段階で一種の思想的検閲を経てきていて、いまから見たらどうかなという図書館ですよ。出版自体されない・選書も民主的にはなされないという図書館では「見えない焚書」が既に行われていたのだと考えることもできます。
 「焚書」の観念自体、いまの時代に直観しうるものと違うと思うのです。上記のような蔵書を「GHQから守る」挙動は一種「皇民的」だという逆説すら成り立ちませんか?

>占領軍は、通達でこそ図書館は対象外としていますが、日本の図書館が「自発的に」焚書することをどのようにとらえたのか。
>「自発」をそそのかすような点があったかなかったか。今後の検証に待ちたいところです。

 そんな思想的逆転・混乱の時代に、図書館員がどのように自らを定位していたか。資料の保持自体が、非民主的な行為と言えるのかもしれない。
 ちょっと極端な話ですが、いまでもヒトラーの『わが闘争』はドイツでは出版流通ができないそうですね。インターネットで越境して購入できるようになって、問題になっているとか。
 当時の没収図書目録収載文献が『わが闘争』クラスのものばかりでないことは一瞥してすぐにわかりますが、アメリカの図書館界でも「読書の自由宣言」自体が同様のマッカーシー旋風が荒れ狂った時代に宣言されていることを考えると、なおさら、日本の戦後直後に「図書館の自由」の理念をもってくることには違和感を感じないではいられません。
 戦争の時代を踏まえているからこそ、戦後憲法の時代があり、これら「宣言」があるわけですから。

 追加でもう一点。
 当時の図書館員に上位の理念が優越してしまったか、という点については、私見ながら、「時代を越えて上位の理念が存在します」と断言しておきましょう。
 それは、設置母体の「意図」や「目的」であったり、それを反映した「蔵書構成方針」(選書・廃棄を含む方針)であったりするわけです。たまたま民主国家であるから、「図書館の自由宣言」が添え物のようにあるわけですが、このことは図書館職員が当該「設置母体の職員」であり、かつ「図書館員」でもあるという二重性に帰着します。「図書館の自由」が普遍性をもってほしいというのは別の理念にもとづくものであって、また理想でもあります。
 設置母体の意思に反して「それでもお前は図書館員でいられるか?」といえば、専門性の確立していない日本では難しいでしょう。「自由宣言」に普遍的な妥当性があるかのように思われるのは、たまたま、「民主的な」「図書館という職能」の方針として宣言されていることが、とりわけ公立図書館の世界では、「公務員の論理に近い」にすぎないからでしょう。

>ともあれこのような焚書を正当化する考えは、船橋事件の犯人司書も内心で堅持していたのではないかと思います。

 したがって、高木さんの「このような焚書を正当化する考えは」、同じ文章の述部に論理的に連ならないと感じます。私が1点めで指摘したとおり、GHQ時代のそれについてもう一段階きちんとした検証が必要です。また2点めの歴史性、追加部で述べたとおり組織論上の問題から言っても、疑問があります。
 もちろん、図書館員が個人として偏った蔵書構成を為したという点では非常に問題です。この問題司書の内心の「上位の理念」は、高木さんが指摘する「このような焚書を正当化する考え」とは異なるものですが。法的に明白に違背したのは公務員としての倫理で、これは設置母体=船橋市に対するものでしょう。
 但し、そのことと、上告人が著作者の告発とは一致しません。「追加でもう一点」に書いたように、今度は逆に、著作者が設置母体と必ずしも権利・義務関係にないわけで、そこがさらに問題をややこしくしていると思っています。

 とりあえず、四苦八苦しながら書いてみましたが、いかがでしょうか。まずは上記の文献を入手されることをお勧めします。

Posted by: roe | 2005.06.15 at 03:01

初めまして、西尾日録管理人の年上の長谷川です。

さて
>神奈川県立図書館の戦時文庫のように、守る側に回った例もある。船橋西の例をひき、「GHQの焚書」の歴史を引いたからといって、「図書館員は危険だ!」という話にはならない。

西尾先生は上記のような主張をなさってはいません。

さて、それはともかくとして、GHQによる「焚書」事件に対して、現在それらの失われた文献を収集することから西尾先生は始めようとなさっています。

図書館に対しては除外されたその「命令」にもかかわらず、4000冊の書物が一般家庭からも図書館からも、ほとんど失われているのが現状です。

これらの本をどうやったら、もう一度一般の我々が目にすることができるでしょうか?

・・・・現在古本屋でそれらを高値で購入することしか手段はありません。

お考えをお聞かせ願えませんか?

Posted by: 年上の長谷川 | 2005.07.19 at 15:06

 年上の長谷川さま、ようやくようやく「はじめまして」。
 いただいたコメントにレスできなかった理由(7/19)はお読みいただけたでしょうか?当方の事情に帰せられる問題でしかありませんけど、大変申し訳なく思っております。
 「日録」からのTBも実のところ光栄に思っておりまして(歯牙にもかけていただけないかと思ってましたから)、まともな私見が書けましたらぜひTBを打とうと思っておりました。

 投げていただいた問いに対する回答を提示する下準備を、手のあいたときにガーッとやってみたつもりです(7/25-31付の記事)。
 7/19付の予告どおり(といっても亀のあゆみですが)、7/30付記事に書いたように憲法学的な議論はあとまわしにして、図書館と失われた蔵書の話をしたいとは思っています。本当は、手順としては前後逆(7/30付の順序どおり)の方が誤解がないと思うのですけれども。

 自分の視点は、かつての法学徒としては、公立図書館(自治体=地方政府の一部)対表現の自由の問題として関心はありますけれども、図書館人としては、設置母体に関係のない(=民主主義政体と関係ない)図書館一般と社会との関係に力点を置いているので(だいそれてますが)、ここで投げていただいた問いに対しては、ぜひ私見を述べさせていただこうと思っております。
 元々が遅筆のところ、諸事情ありましてお許しください。

 ところで、「年上の…」ってことは年下の長谷川さまもいらっしゃるということですよね??(笑)

Posted by: roe | 2005.08.02 at 03:05

ずっとお返事があるかなと待っておりました。
お返事有難うございました。

6年くらい前に掲示板ネットデビュー?をした時に、たまたま長谷川という人がいたので、その方と区別する為に「単なる思い付き」で、年上をくっつけた次第。

でも、HNというのは使い続けるうちに、そのものが人格を帯びて歩き始めるようですね。


Posted by: 年上の長谷川 | 2005.08.02 at 11:57

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