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2005.04.17

「真理がわれらを自由にする」を検討する : まとめ

・指宿氏指摘の政教分離問題について。

 政教分離「問題」として議論はされうるが、「目的効果基準」により問題とはならない

・図書館条理の問題として。

 自分の疑問自体は議論によって変更はなし。
 自分の疑問・主張を繰り返すと、次の2点。

 「この言明は「政府の言論」である」。
 「国や図書館によって唱導される「われら」性は、個人を利用の中心とする図書館になじまない可能性がある。少なくとも何かしら疑問をもたれてしかるべきではないか」。

 しかし、文化専門職たる図書館だからこそこの疑念は阻却される/そのような解釈が妥当とは限らない/どうでもいいじゃないかという意見はあり。
 ちなみに、自分のこの「われら」性への疑念は、厚生経済学への疑念にも連なっている。厚生経済学は「公共性」に関係しているのに、個人の一般的自由と「われら」たる政府の言論との関係には触れない。やっぱりおかしいと思うよ。

・思想信仰の自由と図書館

 納税者の中には「聖書のことばを公的施設に掲示されて精神的苦痛を受けた」と不愉快に感じ、場合によっては訴えられるかもしれない。その納税者がキリスト者であれ、ほかの宗教の信者であれ。
 その場合は、習俗化した図書館条理であると説得するしかないのだろう。
 そのためにも、どのような意味での図書館条理であるのかという自覚が必要である。

 「政府の言論」として、抽象的ながらスローガンとしての位置付けを与えるのであれば、説明は必要だ。それが利用者であれ、国民であれ。
 その第一が、まずは換骨奪胎させてもらったキリスト者たちに対してかもしれない。そもそも、目的効果基準をクリアするためには絶対である。

 図書館は共同体主義的なサービス提供しかできないとは言え、精神的自由に関わる社会制度だ。その精神的自由に関わる制度が、少数者であるかもしれないが個人の精神的自由、表現-思想-信仰の自由という、心の内面、中核に関わる部分に触れるかもしれない。
 精神的自由に関わる以上、そのような敏感なセンスはもっていていいのではないか。
 「わたし」と「あなた」は違うね。そこから始めよう、そんなセンス。

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