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2005.04.16

「真理がわれらを自由にする」を検討する(5)

5.もうひとり、憲法学者の見解。

 師事した方だが、故あって、学者はおやめになられた方。
 しかし未だに憲法学への情熱は変わらない。

 彼とはまず、知りうる事実を丹念に話して、まず『法学教室』長谷部恭男氏と安念潤司氏の連載、政教分離に関する回を読むことを勧められた。
 というのも、一人めのところでも書いたが、指宿氏の記事の構成、「十戒」の問題と国会図書館の問題を同列に扱ってよいものかに疑問があるとおっしゃっていて、上記連載には少しくだけた形で政教分離の問題を扱っているからなんだそうだ。

 しかし、彼はキリスト者でもある。
 思考実験として、国会図書館に聖書に書かれた、より宗教的な引用が展示されていたらどうかと考えてみた。
 その上で、国会図書館の事情をもう少しお聞きいただいた(というか関心をもって聞いてきた)。

 本館目録ホールのカウンター上部のコンクリートの壁に、法から採った「真理がわれらを自由にする」ということばが彫り込まれていること。並べてギリシャ語で聖書の原文が彫り込まれているということ。
 建築上どうしてそのような経緯になったかは、「窓」の記事でも紹介されている、元国会図書館職員である稲村徹元氏らの論考では不明であること。
 聖書のことばが変形した館法前文の由来としては、GHQに提出した法案が反故にされて、起草に携わった日本側委員がその精神を込めるだけでもと、前文を付けたということ。特に「真理がわれらを自由にする」ということばについては羽仁五郎氏のドイツでの経験から来る発案であったらしかったこと。

 これらのうち彼は、現状で、日本側で意図的に前文を付けたこと、ギリシャ語の聖書の原文が彫り込まれていることに特に注目された。
 曰く原文は、キリスト者からすれば、「真理」とはイエスのことばそのものであり、「イエスを信ずればあなたがたは自由になれますよ」という意味である。イエス信仰そのもの、神髄を表現しているほかにない。
 ということで、彼との議論では、「政教分離の"問題"にはなるだろうね」との結論に至った。問題の結論がどうあれ。

 しかし、この議論にはあとがあって。
 上記のとおり憲法談義にひと区切りついてから(自分もしゃべる方だが彼もまた自分の方からよくしゃべる)、「自分がこだわっているのは、宗教と憲法の問題ではないんですよ。図書館の原理の問題なんです。もちろん、少数者としての宗教者は視野に入っていますが、ひとりひとりの個人の問題としてです」と切り出した。
 自分の意見を話した。図書館の原理としては、「われら」と言ってしまっては、真理と自由を前に、利用者の前に提供者、主体としての図書館が存在しまう。だから、自由ということばを前にしては、原文のとおりに「あなた」「あなたがた」ということばの方が好ましいと思っている。
 こう言うと、「となると、さらに面倒なことになるな。今度は信仰の核心と図書館側の勝手な解釈の問題になる」。
 うーん…。

 余談。
 この先生によると、アメリカでは、「十戒」が学校に貼ってあって、読み上げるということを普通にやっていた時代があったそうな。やはり問題だという声が上がって、とりやめになったそうだが。なんかほとんど「教育勅語」ですなあ。
 この場合の「十戒」は、目的効果基準からすると(アメリカには元となったレモンテストという基準がある)どうなんでしょね、指宿先生。

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