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2005.04.15

「真理がわれらを自由にする」を検討する(4)

4.法律に詳しい同僚の見解。

 二人めにして、やっと指宿氏の指摘そのものについて議論ができた。
 しかし、憲法技術論に陥ってしまったのは否めない。

 彼自身は、「十戒」問題が話題になっていたことは、「新聞にも載っていたじゃないか」と当然知っていた。
 次のURLで指宿氏が紹介したケースの事情が日本語で読める。
 http://home.att.ne.jp/wood/aztak/news/seikyoubunri.html

 そして、日本における政教分離問題で話題になる「目的効果基準」をストレートに検討した。
 結論から言うと、国会図書館の場合、目的から言っても、効果から言っても、問題はないだろう、と。
 一人めの憲法学者は、当然これを前提にしていて、図書館条理にこだわる自分のそれを相対化しようとされていたのだろう。

 憲法学ではコンメンタールの類が最近出版されなくなって久しくなり困っているがそれでも新しい部類に入るのは、高橋和之・大石眞編『憲法の争点 第3版』ジュリスト増刊法律学の争点シリーズ2,有斐閣,1999.である。
 「政教分離」(小泉洋一執筆)の項目によると、「目的効果基準」は最高裁大法廷の津地鎮祭判決によって次のように定められている。引用する。

 目的効果基準とは、「政教分離原則は、…国家が宗教とのかかわり合いを持つことをまったく許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとする」ものであり、特に憲法二〇条三項「宗教的活動」は、「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」とする基準である。

 このような基準を前提に彼との議論では、「目的効果基準で国会図書館を宗教的に苦痛を受けたと言って訴える人はいないだろう」という話になったというわけだ。
 しかし、本当に、「宗教的」とは言えないのだろうか?

 問題となっていることばへの疑念から図書館の本質を追おうとしている自分の姿勢からなのか、気になる。
 なぜなら、政教分離の判例で同様に話題になる「自衛官合祀判決」では「少数者の人権」の問題を孕んでいる。要するにこの判決は、「精神的自由の問題について、少数者が大事だと思っている問題(夫を悼むという行為)に対して靖国に祀るくらいのこといいじゃん、がまんしろよ」というとんでもない判決だ。
 図書館は、共同性をどうしても前提とせざるを得ない。公共性の名の下に"リベラルな共同体"における少数者の利益をどのくらい大切にしていけるのか。
 この「少数者の人権」という意味で、「われら」性は宗教-精神的自由-の本質に絡む問題に関わっているのではないかと思うのである。

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